地球が一つの村になるために
日本の九州には、唐津(佐賀県)という港湾都市があります。玄界灘に面しているこの地域は、特に唐津焼が有名ですが、壬辰•丁酉の乱(文禄•慶長の役)の時に日本に連れていかれた朝鮮の陶工たちの優れた技術によって発展したという、胸の痛い歴史を持っています。
私たちは一九八〇年代からここでプロジェクトを開始していましたが、二〇一六年の秋、私はこの地を訪れ人類の/:.めの重要なミッションの一つを再スタ—卜することを決意_}ました。それは、韓国と日本をつなぐ海底トンネルを完成させることです。唐津はその海底トンネルの出発地であり、到着地なのです。
世界地図を見ると、ほとんどの大陸を一つにつなげられることが分かります。その日が来れば、地球は一つの村となり、全人類が隣人として仲睦まじく生きるょうになるのです。
私たち夫婦はずっと前から、すべての大陸を一つに結ぶ平和の道を構想してきました。問題は、アメリカのアラスカとロシアを隔てるべーリング海峡と、韓国と日本の間に広がる玄界灘です。この二力所に道を造ることができれば、人類は一つにつながっていきます。
もちろん、決して簡単なことではありません。もしかすると、人間の歴史が始まって以来の、最も困難なことかもしれません。しかし、それは私たちの時代に必ず成し遂げなければならな
い、最後の課題でもあるのです。
韓国と日本をつなげるに当たっては、両国の間にある暗い歴史が大きな障害物として横たわっており、世論の反対を覆すのは簡単ではありません。しかし、韓国の釜山と日本の唐津を結ぶ海底トンネルが開通すれば、韓国は世界経済の中でさらに重要な位置を占めるようになります。日本力らの物資をユーラシア大陸に運ぶとともに数多くの旅行者を呼び込むことガできますさらに重要なのは、このトンネルがアジアに平和を根づかせる役割を果たすという点です。葛藤し、反目し合うことで互いに足を引っ張っていた両国が協力の道に進む、歴史的な和解のきっかけにもなるのです。
世界を一つにつなげる「国際ハィウェィ(世界平和高速道路)」構想については、既にはるか昔、一九八一年に発表していました。日韓トンネルは一九八六年に唐津で工事が始まりましたが、様々な事情により中断されていました〇私はこのプロジェクトを放置してはならないということをよく分かっていたので、その現場を訪れたのです。
島国は大陸を慕います。私たち夫婦は、日本と韓国が一つになって日韓トンネルを造り、さらに南北が一つになれば、それがユーラシアを経て、全世界に広がっていく平和高速道路になるように祈りました。
現在、いくつかの強大国は、自国の利益だけを計算しているのが現実です。しかし、イギリスとフランスは百年戦争を起こしたにもかかわらず、互いに手を取り合い、ドーバー海峡にユーロトンネルを造りました。韓国と日本も真の許しと和解によって心を開けば、私たちの当代に海底トンネルを造ることができます。
私たちは三十年間、このフロジェクトを準備してきました。これからは、皆が心を大きく開き、未来を切り開いていかなければなりません。
国際ハイウェイの実現を妨げているもう一つの障壁は、べーリング海峡です。ここには、日韓トンネルよりもさらに難しい課題が横たわっています。ベーリング海峡は、かってアメリカとロシア(ソ連)の両国が力を競う中、民主主義陣営と共産主義陣営を分かつ海峡となっていました。ここをつなぐことが、世界を一日生活圏とし、人種、宗教、国家の垣根を崩して人類を大和合へと導く一歩となるのです。
このため、私たちは一九八〇年代から、海底トンネルプロジェクトを地道に遂行してきました。この計画が実現すれば、南アフリカの喜望峰から、アフリカ大陸、ユーラシア大陸を通って韓国までつながります。また、南米のチリのサンティアゴからは南北米大陸を通り、べーリング海峡、アジアを通過して、韓国までつながります。韓国は、人類が待ちわびた真の父母が誕生した中心国家であるため、まさに世界で最も重要な地となるのです。
このようになれば、南アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニュ^―ョークまで、誰でも自動車で、または自転車で旅行することができるようになります。愛する人と、あたかも故郷を訪ねるように、世界中を回ることができるのです。
このような途方もないことを、どうやって実現するのかと疑問に思う人は多くいます。しかし、私たちが成してきたことを振り返ってみれば、それはすべて、困難の中で実現されたものです。神様のみ意があるところには、必ず道があります。現代の科学技術は、べーリング海峡に十分トンネルや橋を通すことができます。その費用も問題にはなりません。世界が戦争に虚しくつぎ込んでいるお金を考えてみてください。各国が武器を買い入れるお金の半分でもあれば、ベjリング海峡に一本の道を通すことができるのです。
聖書のィザヤ書の教えのように、今や銃や刀を溶かして、すきとくわを作る時です。これ以上、戦争のための戦争に命を犠牲にし、天文学的なお金を費やす愚行を繰り返してはなりません。
唐津の海底トンネルはまだ工事中で、開通していません。しかし、決してあきらめたわけではありません。そこは世界を一つにつなぐ和合の門です。私はその門を大きく開け放ち、人種、宗教、国家の壁を崩して、神様が切に願ってこられた平和世界を成し遂げるでしょう。
凍土の王国を崩した勇気ある一歩
「いずれ冷戦という言葉は過去のものになるでしょうね」
「表向き、そう見えるだけですよ。ソ連はいまだに持ちこたえているし、共産主義はまだ多くの国で勢力を伸ばしているのに、平和がそれほど簡単に訪れるでしょうか?」
「簡単ではないでしょうが、誰かが必ず、平和をもたらしてくれると信じています」
一九九〇年になり、人々は今後、世界がどのように変化していくかについて、様々に意見を交わしました。確かに、表向きは和解の時代に入りましたが、水面下ではなおも冷戦の不気味な潮流がうごめいていました。また、世界の三分の二を支配していたソ連は、自由主義の国々を共産化しようとする野心を捨てていませんでした。
私たち夫婦は、世界をじわじわと締めつけ、苦しめている冷戦を、もう終わらせなければならないと決心しました。たとえ命を懸けることになったとしても、凍りついた大地、モスクワに入り、ゴルバチョフ大統領に会うことにしたのです。
その決断は、既に当時から遡って十四年前に下されていました。一九七六年、大成功で終わったワシントン•モニュメント大会の翌日である九月十九日に、私たち夫婦は重大な発表をしたのです。それは共産世界を解放するため、モスクワで大会を開くという宣言でした。モスクワのクレムリン宮殿を切り開いてこそ、神#と人類を解放することができるのです。しかし、人々の反応は冷ややかでした。ある人は、まさに無謀なドン.キホーテの虚言だとあざ笑いましたが、私たち夫婦は、「モスクワに行く」と言ったことを一度たりとも忘れませんでした。
共産主義との戦争は、政治体制や単純なスロ—ガンの闘いではありませんでした。「神はいるのか、いないのか」という問題だったのです。その戦争の真の目的は、共産世界を解放して神様を迎えるようにすることでした。
冷戦時代、自由主義世界の人々が何も知らないうちに、もしくは知っていても知らないふりをし、恐怖に捕らわれて戸惑っている間に、共産主義世界では数え切れないほど多くの人々が、苦痛に満ちた生活を強いられていました。彼らを救うため、私たち夫婦はソ連を凌駕しなければならなかったのです。
しかしソ連は、決して与しやすい国ではありませんでした。ゴルバチョフが改革を掲げていたとはいえ、クマが国を象徴する動物であることからも分かるように、依然共産主義圏のトップとして鉄の力—テンの奥に構える、冷血で屈強な国でした。
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