また、ジンバブエには六百万人の信徒を抱える、ヨハネス•ウンダンガ牧師という義人がいます。彼のおかげでエマjソン.ムナンガグワ大統領の大きな関心のもと、二万人以上の祝福行事を成功裏に行うことができました。ウンダンガ牧師は、「天の啓示により、真のお母様のことを知りました」と述べながら、「私は真の父母様の息子として生まれたことに感謝するとともに、必ずや真の父母様の王国を建設したいと思っています」と自らの抱負を明らかにしました。
ウンダンガ牧師は二〇一七年五月、ザンビアで行われた祝福式に祝辞を述べるために参加する際、天の啓示を受けました。
「祝辞を述べる者として参加するのではなく、自ら祝福を受けなさい」
そして彼は啓示に従って、実際に祝福を受けたのです。
私は同年七月、ウンダンガ牧師をアメリカのマディソン•スクェア•ガ—デンの大会に招請しました。
「お母様は、今まで人類が待ち焦がれ、探し求めてきた真の母です」
彼は証しをし、自己紹介をするときも、「私は真のお母様の息子です」と誇るようになりました〇ウンダンガ牧師はジンバブエに戻ると、牧師たちを集め、祝福式を挙行しました。
二〇一七年十一月十一日、ウンダンガ牧師はソウルのヮールドカップ競技場で行われた「韓半島平和統一世界大会」に参加しました。その後、帰路に就いたのですが、ちょうどその時、ジンバブェでクーデタ丨が起きたのです。彼は国家に影響を与える著名人でしたから、帰国すれば逮捕され、命の危険にさらされる状況でした。現に、同じ時に外国から戻つた大臣たちはみな逮捕され、連行されていきました。
ところが、ウンダンガ牧師は幸運にも、無事に空港の検査台を通過できたのです。彼はこのことを、「真のお母様による奇跡」だと告白しています。その時、もしも逮捕されていれば、彼は間違いなく命を落としたでしょう。彼は、真の母が守ってくださつたと信じています。私がウンダンガ牧師をジンバブェ天一国特使に任命すると、彼は第一声として、「独り娘、真のお母様に侍るジンバブエになります」と宣言しました。
神様の目には、人間の肌の色はただ一色に映ります。肌の色のため、長い間迫害されてきたアフリカの黒人の人々が、今や真の父母を受け入れることで、暗鬱な過去から解き放たれています。彼らが真の家庭として重生し、新しい歴史、新しい時代を迎えることで、アフリカは全人類に向かって光を放つ希望の大陸へと生まれ変わっているのです。
国家の復帰の最初のモデル、サントメ•プリンシぺ
「サントメ•プリンシぺというのは、どこにある国ですか?」
「さあ・・・・・。でも、国の名前はとても良い響きですね」
サントメ•プリンシぺで「アフリカサミット二〇一九」と「孝情真の家庭祝祭」を挙行すると発表した時、人々はそれがどこにある国なのか、とても気になるょうでした。私は二〇一九年の春、信徒をサントメ.プリンシぺに派遣して大統領、首相、国会議長に会わせ、政府とM0U(了解覚書)を交わしました。その時から、「サントメ.プリンシぺを国家の復帰のモテルとしなければならない」と考えていました。
サントメ•プリンシぺは、中部アフリカのギニア湾にある小さな島国です。この国は一九七五年、ポルトガルの植民地から独立しました。韓国から行くのに四十時間以上かかることもある、とても遠い国です。私はこのサントメ.プリンシぺを神様の真の国として祝福し、「彬サントメ」と新たに命名しました。
二〇一九年九月、サントメ.プリンシぺの国会議事堂で「アフリカサミット二〇一九」と祝福式が行われました。九月五日の午前十時、サントメ.プリンシぺのエバリスト•カルバリョ大統領と首相および国会議長、全大臣と国会議員、宗教指導者約二百人、海外の元.現職首脳など、八百人以上が参加する中でサミットの開会式が行われ、盛大にスタ丨卜した一連の行事は、サントメ•プリンシぺの国営放送によって生中継され、海外のメディアからも熱心な取材を受けました。
二〇一八年の南アフリカにおけるサミット以降、アフリカ大陸は祝福式を熱烈に受け入れています。二〇一九年の夏には、タンザニアで四万組の祝福式が自主的に行われました。このような基盤が築かれる中、国民の七〇パーセント以上がカトリック信者であるサントメ•プリンシぺでサミットと祝福式が開催されたのです。
行事の前日、サントメ国際空港に到着すると、貴賓室で待機していた国会議員と指導者たちが出てきて丁重に迎えてくれました。翌日の午前に大統領府を訪問した私は、カルバリョ大統領と会談した後、国軍儀仗隊の礼を受ける中、サミットの会場である国会議事堂に入りました。
ナイジェリアのグッドラック•ジョナサン元大統領(「世界平和頂上連合」アフリカ委員長)の紹介で舞台に上がった私は、その場で特別講演を行いました。
「神サントメの祝福と共に、真の母と一つとなり、天国のモデルをつくりましよう」
参加者たちは、講演中に何度も万雷の拍手と歓声で応え、私の提案に賛同してくれました。カルバリョ大統領は、「きようはサントメ.プリンシぺの歴史上、最も長く記憶に残る日となるでしょう。『神サントメ』として祝福してくださった真のお母様に、深く感謝申し上げます。真のお母様をお迎えでき、喜びで胸がいっぱいです。サントメ•プリンシぺは真のお母様が願われる天国のモデルになります」と感想を述べました。
翌日、国家主催による歴史的な祝福式である「孝情真の家庭祝祭」が開かれました。この祝福式には、政界や宗教界のリーダー、伝統社会における族長など、国の推薦によって各地域から選ばれた六百組、千二百人と、そのほかに六千組が参加しました。午前八時から人であふれた会場は、まさにサントメ.プリンシぺ史上、初めて経験する祝祭の場となりました。
海外の元•現職首脳十五人も同席する中、聖水式では政界、宗教界を代表する六十組のカップルを五回に分けて十二組ずつ登壇させ、私が直接聖水の恩賜を授けました。
この日の祝福式は国が直接主導したもので、大統領と首相、大臣がみな祝福式に参加しました。これまで、他の祝福式では見ることのできなかった光景でした。こうして、サントメ.プリンシぺは国家の復帰のモデルを成した最初の国となったのです。
サントメ.プリンシぺにおけるこのような国家主催の行事が実現するまで、すべてが順調に運んだわけではありません。国民の七〇パーセントがカトリックの信仰を持っている中で、ある司教が信仰的な観点から、家庭連合と祝福式に反対する声明書を発表したのです。
私たちは大統領と閣僚の意見を把握した上で、状況が思わしくなければ、すべてのプロジェクトを中断するという旨を彼らに伝えました。司教一人の信仰的見解により、サントメ.プリンシぺが一段階上に飛躍する機会を失うかもしれないと判断した大統領や閣僚は、予定どおり、すべての行寧を行うことを希望しました。
一連の行事を終えて出国する私に向かって、カルバリョ大統領は真心の込もった言葉を贈ってくれました。
「サントメ•プリンシぺはお母様の家であり、お母様の国です。いつでもお越しください」
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