パラオとドミニカ共和国の希望前進大会には、私の代理を特使として送りました。国家の復帰勝利の路程を歩ませることで勝利圏を相続させ、天の父母様と夫に対して七ヵ国の国家の復帰と氏族復帰という贈り物をするための精誠を、共に捧げようという思いがありました。
このような理由から、パラオ大会には天上(霊界)を代表して長男の文孝進(文妍娥)家庭、次男の文興進(文薫淑)家庭を、ドミニカ共和国の大会には地上(肉界)を代表して五女の文善進(朴仁渉)家庭を特使として送ったのです。
パラオは約三百八十の美しい島々から成る、創造本然の美しさを残した国です。私たち夫婦は二〇〇五年、天宙平和連合を創設するため、パラオを初めて訪問しました。また、二〇〇六年にも再びこの国を訪れ全国民にみ言を伝えました。
私は二〇一九年のパラオでのサミットを、特に「ファーストレディサミット」として開催することにしました。パラオは母系社会で、家庭をはじめ、あらゆる伝統文化において、母親が中心の位置にいるからです。パラオの大統領夫妻は、一九九二年から私たちの運動を積極的に支持していました。特に大統領夫人は、私の夫である文総裁が聖和した時も韓国を訪問してくれ、哀悼の意を表してくれました。
太平洋文明圏の安着を、女性が先頭に立って進めなければならないという摂理的要請を考えるとき、神統一世界の出発となるオセアニアの、母系社会であるパラオでサミットと祝福式が開催されるのは、本当に意味があることです。しかし、このパラオにおける私たちの基盤は、まだ微々たるものでした。そのため、このサミットと祝福式を行うことは、実に驚くべき挑戦だったのです。
二〇一九年十二月九日、翌日にサミットを控え、世界中から訪れた>1卩たちを迎えて特別歓迎晩餐会が行われました。その場には、パラオのトミー•レメンゲサウ大統領とデビー夫人、元.現職の首脳夫人八人とトンガの国会議長夫妻、ブータンとスリランカの国会議員など、三十六ヵ国から総勢三百人以上の貴賓が参加しました。
澄み切った夜空に浮かぶ星々の饗宴の中で行われた歓迎晩餐会は、大統領夫妻をはじめ、すベての参加者が真の母を慕う、まさに「慕情の晩餐会」でした。レメンゲサウ大統領は、「私はこの国の大統領ですが、きょうは今回のサミットの主催者である私の妻から招請を受け、ゲストとして来ました」と親しみを込めて挨拶しました。皆が家族のように、和気あいあいとした時間を過ごしました。
翌十日、パラオのアマヨン文化会館で、歴史的な「アジア•太平洋ファ—ストレディサミット二〇一九」が開催されました。開会式は、デビー大統領夫人による開会の辞から始まりました。私の名代として、世界平和女性連合の世界会長である文薰淑が創設者特別メッセージを代読しました。私はメッセージを通して、パラオはもちろん、太平洋文化圏の出発地であるオセアニアに対する格別な愛を伝えました。
かって文総裁は、「環太平洋時代の到来」を宣布し、アジア•太平洋の摂理を何度も強調しました。一九九二年には、「統一世界はオセアニア(大洋州)から」と揮毫し、オセアニアの復帰のために多くの精誠を尽くしました。
私はこの「環太平洋時代」を、地理的な概念から、文明圏の概念に拡張しました。そうして、「天一国安着のための天宙的カナン四十日路程」において、カンボジアの希望前進大会では国家次元の支持を、台湾の希望前進大会では中華圏からの支持を得ました。さらに、ニジH—ルでは国家の次元を超えてアフリカ大陸次元の支持を受け、パラオの希望前進大会を通しては、環太平洋諸国からの支持を得たのです。
その場に参加した各国の首脳夫人たちは、真の母の心情で世界の根本問題を解決するために、みなで力を合わせょうと決意しました。参加者たちはこの日を、人類の独り娘、真の母が成し遂げた「女性解放の日」と命名しました。他のサミットとは違い、この日は、男性たちが女性のために大会を準備してサポートした、まさに女性が主役の日だったのです。
サミットの勝利の土台の上で、十二月十一日、国家主催の祝福式を挙行しました。しかし、
歴史的な行事であるだけに、試練が続きました。サミットがスムーズに行われたため、この日もすベて順調に進むだろうと思っていたのですが、祝福式の当日を迎えた深夜零時に突然連絡が入り、レメンゲサウ大統領が祝福式に参加できなくなったことが分かったのです。大統領が参加できなくなった理由は、国会の予算会議が、祝福式の行われる午前十時から十一時三十分の間に重なったから、ということでした。まさに青天の霹靂であり、スタッフはただただ、戸惑うばかりでした。
ところが当日、デビー大統領夫人と元・現職の首脳夫人たちが祝福式の会場に入った時、司会者が意外なことに、レメンゲサウ大統領が到着したことをアナウンスしたのです。そして、本当に大統領が入場し、舞台に上がってきたのでした。
太平洋文明圏の安着において、オセアニアの出発となるパラオの希望前進大会の勝利は、摂理的に大変重要な意味を持っていました。この大会のために、私の子女やアジア•太平洋圏の指導者たちは「至誠感天」の精神で臨み、無事に勝利したのです。
私たちは一家族であり、食口(韓国語で「家族」の意)共同体です。「中断すれば失敗であり、中断せずに前進すれば、勝利に至る」という信念のもと、いかなる困難にぶつかっても毅然とした態度で前進しなければなりません。私はこのすベての内容を、大洋のように大きな母の心で受け止め、過ちを包みこむ「愛なる母」、「慈愛の母」でなければならないのです。ですから、夜中、子供に布団をかけてやる心情で、きようも眠れぬ夜を過ごしているのです。
神中南米の偉大な前進、希望の花を咲かせる「中南米は、忘れようとしても忘れられない場所です」
「私たちはそこである時期を、そつくりそのまま捧けました」
「そこにかけた願いが水の泡になってしまったようで、胸がとても痛みます」
私たち夫婦が最も精誠を尽くし、汗を流した場所の一つが中南米です。炎天下の中、土ぼこりをかぶりながら、希望の土地を耕すために超人的な精誠を捧げた時期がありました。今も目を閉じれば、中南米で摂理を進めた地域がはっきりと思い出されます。
そのような私たち夫婦の汗と涙がにじんでいる中南米の地で、いくつかの訴訟が起こっていることを思うと、胸が締めつけられるようです。希望を抱くのが難しい荒れ址のような中南米の地。しかし私はこの地に、希望の花を再び咲かせました。
二〇一八年八月、文総裁の聖和六周年記念行事を前にして、私は十二年ぶりにブラジルのサンパウロを訪れました。そして、中南米サミットと希望前進大会を行うことを通して、国家を復帰する摂理のために火を点したのです。
さらに二〇一九年、十二月十四日から十五日にかけてドミニカ共和国で行われた希望前進大会を通して、それまで蒔いてきた希望の種がついに成長し、花を咲かせました。不毛の荒野のような中南米の地に一輪の花を咲かせ、実を結んだ中南米希望前進大会は、まさに偉大な挑戦であり、偉大な勝利でした。
カリブ海地域のドミニカ共和国で開催された希望前進大会は、同国第二の都市であるサンティアゴの州政府庁舎おょびホデルパ•グラン•アルミランテ.ホテルで開催された「ラテンアメリカ•カリビアンサミット」をもって、幕を開けました。この行事にはブラジル、メキシコ、アルゼンチン、コロンピア、グアテマラなど、中南米の三十三ヵ国を含む四十三ヵ国-Rら五百人以上が参加しました。
グアテマラのジミー•モラレス大統領(当時)をはじめ、トリニダード.トバゴ、ニカラグア、エクアドル、ボリビア、ハイチなどの元首脳六人が参加する中、ドミニカ共和国からはダニー口•メデイーナ大統領の公式的な名代として、サンティアゴ州のアナ•マリア•ドミンゲス知事が参加しました。そのほかにも元•現職の国会議長十人、国会議員三十人以上、そして中南米各国から政界、経済界、宗教界の著名な指導者が参加したのです。
サミットの開会式では、元ニカラグア大統領夫人のマリア•フローレス女史が私を紹介し、続いて世界平和女性連合の世界副会長である文善進が、基調演説として私のメッセージを代読しました。
「世界の難問題を解決し、恒久的な平和を安着させるためには、天の父母様に保るしかありません。天の父母様と一つになって、共に平和を実現しましょう」
基調演説を聴いた参加者たちはみな立ち上がり、大きな拍手で応えてくれました。
サミットの最後に、「世界平和頂上連合(ISCP)」を創立する意義深い決議の時間を持ちました。天宙平和連合のトーマス.ウォルシュ世界議長が世界平和頂上連合の趣旨と目的を紹介した後、トリニダード•トバゴのアンソニー•カルモナ元大統領、エクアドルのロザリア.アルテアガ元大統領、ハイチのジョスレルム•プリヴェル元大統領、ボリビアのハイメ.パス.サモラ元大統領などが、世界平和頂上連合を積極的に支持する演説を行いました。
続いて、世界平和国会議員連合の共同議長であるアメリカのダン•パートン元下院議員の提言に従い、サミットに参加した元•現職の首脳がみな立ち上がって、世界平和頂上連合の創立決議文に署名したのです。
サミットに続き、十二月十五日にはグラン.アレナ.デル.シバオ•スタジアムで、「天の父母様のもとの人類一家族」理想に基づいた平和理想世界を実現するため、「家庭平和フェスティバル」が開催されました。会場を立錐の余地もなく埋め尽くした人々が、フェスティバルを熱く盛り上げました。
このフェスティバルには、サミットに参加した元•現職首脳など、多くのリーダーが同席するとともに、ドミニカ共和国の自治体警察官約四千人やドミニヵ国立警察官約六百人を含む、一万二千人以上が参加しました。
文善進副会長夫妻が主礼を務め、六千組以上の祝福家庭が誕生したこの日の祝福式では、特に警察官を代表する参加者十人に、主礼から特別賞が授与されました。また、グアテマラのモラレス大統領が祝辞を述べ、祝福式の場を一層、輝かせてくれました。
困難な環境の中でも、中断なき前進を続けた中南米の指導者や信徒たちの精誠が、この「神中南米」の地に希望の花を咲かせたのです。今後、この花がしっかりとした希望の実を結ぶことを、私は確信しています。
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