広い地球村を巡回しながら、私は人知れず世界を舞台に行う事業について構想を練りました。教会が大きくなり、宣教地が一つ、二つと増えるにつれて、宣教費用もぐんと増えたので、それをまかなうためにさらに大きな事業が必要でした。アメリカ48州を巡っている時も、私たちの教会の支えになる事業は一体何だろうかと考え続けました。
それで思いついたことは、アメリカ人は毎日のように肉を食べるという事実でした。まず牛一頭の値段がいくらか調べてみました。マイアミで25ドルする牛がニューヨークに行くと400ドルになります。マグロはどうかと調べてみると、驚いたことに、1匹のマグロが4000ドルを超えます。さらに、マグロは一度に150万個以上の卵を産みますが、牛は一頭しか産むことができません。こうなると、牛を育てるべきか、マグロを育てるべきか、答えはおのずと明らかです。
問題は、アメリカ人が魚肉を食べないことでした。しかし、日本人はマグロといえば飛びついてきます。アメリカにも日本人は大勢暮らしていて、日本人が運営する高級レストランは、マグロの刺身をとても高く売っていました。一度刺身の味を覚えたアメリカ人も、マグロを喜んで食べました。
私たちの暮らす地球は、陸地より海がもっと広いのです。アメリカは広い海に囲まれていて、魚が豊富です。また、200海里(約270キロメートル)の外側であれば、誰でもそこに行って、好きなだけ魚を捕ることができます。畑を耕したり、牛を育てたりしようとすれば、土地を買わなければなりませんが、海はその必要がなく、一隻の船さえあれば、どこまでも行って魚を捕ることができるのです。海の中には食べ物が豊富にあり、海の上では世界を一つに結ぶ海運事業が活発に行われています。世界中で作られるあらゆる物資が船舶に載せられ、海を縫うようにして運ばれていきます。そう考えると、海は私たち人類の未来に責任を持つ無限の宝庫といえるでしょう。
私はアメリカで船を数隻買いました。写真集で目にするような大型船舶を購入したのではなく、34フィート(約10.4メートル)から38フィート(約11.6メートル)程度の大きさの船を買いました。エンジンを切ったままマグロを追いかけ回すこともでき、大きな事故を起こすこともないヨット大の漁船でした。ワシントン、サンフランシスコ、タンパ(フロリダ州)、アラスカに船を出し、船の修理場も作りました。
研究もたくさんしました。1つの地域に1隻ずつ船を出し、海水の温度を測り、日ごとにマグロがどのくらい捕れるかを調査して、図表を作成し、統計を出しました。専門家が作った統計を手に入れて書いたのではなく、信徒たちが直接海に入り、潜水して作成しました。その地域の有名な大学教授が研究した結果は参考にするだけで、私が直接その地で暮らしながら、1つ1つ確認しました。ですから、私たちが作った資料ほど正確なものはありませんでした。
そうやって苦労して作った資料でしたが、独占せずにすべての情報を水産業界に公開しました。それが終わると、今度は他の海を開拓しました。一つの海で捕りすぎると、魚介類が減ってしまいます。そうならないように、急いで他の海に進出します。水産業を始めていくらも経たないうちに、私たちはアメリカの水産業会を大きくひっくり返してしまいました。
次に、私たちはまた新たな仕事を始めました。はるか遠くの海に出ていく遠洋漁業に飛び込んだのです。一隻の船が海に出ていけば、少なくとも半年間は家に戻りません。その間は魚捕りに専念し、船に魚がいっぱいになると、食べ物と石油を満載した運搬船が出ていって、魚と取り替えます。船には巨大な冷蔵庫があり、捕った魚をしばらく貯蔵することができました。「ニューホープ」という名前の私たちの船は、マグロをたくさん捕ることで有名です。その船に私が直接乗って、マグロ捕りに行きました。人々は船に乗ることを恐れます。若い者たちに「船に乗りなさい」と言うと、怖気づいて皆逃げていきました。「先生、私は船酔いが激しいので駄目です。船に乗るだけで吐き気がして死にそうです」と泣き言を言うので、私が先頭に立ちました。その時から一日も欠かさず船に乗って7年以上が過ぎ、それから後も、90歳(数え)になる今でも、時間さえあれば船に乗ります。そうすると今では、「私も先生のようにキャプテンになりたいので、船に乗せてください」と言ってくる青年が増えました。船に乗りたいという女性も増えました。何であっても、まずリーダーが先にやれば、付いてくるようになっています。おかげで私は、すっかり名の通ったマグロ釣り師になりました。
ところで、マグロを捕ってばかりいても始まりません。適切な時間に適切な価格で売らなければ無駄骨に終わってしまいます。私はマグロの加工工場を造って、直接販売までしました。冷蔵施設を備えた大型トラックにマグロを載せて売りました。販売が行き詰まると、シーフード・レストランを建てて、マグロを消費者の元に届けるルートを作りました。ここまですると、誰も私たちを軽んじることができなくなりました。
アメリカは、世界的な四大漁場の中で何と3つを持っている国です。それは、全世界の魚の4分の3がアメリカを囲む海にいるという話です。それなのにアメリカは、魚を捕る人が少ないために、水産業が見る影もなく後れていました。国では、水産業を盛り上げるためにあらゆる振興策を出しましたが、大きな効果はありませんでした。誰でも2年半だけ船に乗れば、10パーセントの値段で船を譲ると言っても、志願者がいませんでした。もどかしいことです。そんな状態だったので、私たちが水産業を起こすと、湾口都市は大騒ぎになりました。私たちが入っていきさえすれば、都市が繁盛するのですから、そうならざるを得ません。私たちがやることは、結局、新しい世界を開拓することでした。単純な魚捕りではなく、人が行かない道を行くのです。人が行かない道を行くのは何と楽しく、胸のすくことでしょうか。
海は本当によく変化します。人の心は朝夕に変わると言いますが、海は刻一刻と変わります。ですから、海はより神秘的で、より美しいのです。海は天を抱いて生きています。蒸発した海の水は上空に集まって雲になり、雨になって再び降ってきます。自然にはトリックのようなものがないので、私は自然が本当に好きです。高ければ低くなり、低ければ高くなります。どんなときでも、バランスを保とうとします。釣り竿を垂らして座っていると、表現できないほどのんびりします。海の上では何者も私たちを妨害できません。私たちを急ぎ立てる者は誰もいません。当然、時間はたっぷりあります。ひたすら海を見て、海と話をしていればよいのです。海にいる時間が長くなるほど、私たちの霊的な世界は広がっていきます。しかし、時として、海は穏やかだった相貌を一変させ、荒々しい波が打ち付けてきます。人の背丈の数倍にもなる大波が、のみ込むように襲いかかり、船の舳先にほとばしります。激しい風は帆を破り、恐ろしい音を立てます。
ところがです。そのように波が荒々しく、風が激しく吹きつける中でも、魚は水の中でぐっすり眠っています。波に体を預けて眠るのです。それで、私も魚に学びました。いくら荒々しい波が押し寄せてきても恐れないことです。波に体を預けたまま、私も船と一体になって波に乗ることにしました。すると、どんな波に直面しても、私の心は動揺しませんでした。海は、私の人生の素晴らしい師です。
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