空腹でなければ神様は分かりません。空腹の時間が神様の最も近くに行くことができる機会です。空腹の時、私の前を通り過ぎる人がいれば、もしかしたらあの人が私の母ではないか、私の姉ではないかという思いがするものです。誰でも私を助けてくれる人を待つのです。そのようなとき、善なる同情の心を持たなければなりません。
空腹はアフリカのような開発途上の国々だけの問題ではありません。アメリカに行った時、私が最初にしたことは、貧しい人たちに食糧を分配するトラックを用意することでした。世界で最も暮らしが豊かな国であるアメリカにも飢えて死んでいく人がいるほどですから、貧困な国の事情は形容しがたいほど残酷です。
全世界を巡回して感じる最も差し迫った危険は食糧問題です。食糧問題こそ一時も先延ばしできない問題です。今も私たちが生きている世界では、一日だけで4万人が飢えて死んでいっているのです。自分のことではない、自分の子供のことではないと知らないふりをしていてはいけません。
単純に食べ物を分け与えるだけでは飢えを解決することはできません。より根本的な視角から接近しなければなりません。私は二つの根本的で具体的な方案を考えています。一つは、安い費用で食べ物を十分に供給することであり、もう一つは、貧困に打ち勝つ技術力を供与することです。
食糧問題は、今後人類に非常に深刻な危機をもたらすでしょう。なぜならば、限りある陸地で生産されるものだけでは地球上の人類をすべて食べさせることはできないからです。ですから、海にその解決策を見いださなければなりません。海の未来の食糧問題を解決できる鍵です。私が数十年前から絶えず海を開拓してきた理由もここにあります。食糧問題を解決しなければ、理想的な平和世界を建設することはできません。
アラスカでは、15インチ以上のスケソウダラをすべて肥料にしてしまいます。素晴らしい食物ですが、それを食べることを知らないので、そのまま肥料にしてしまうのです。わずか20年から30年前には、西洋の人たちは、私たちが牛の尾をくれと言えばただでくれました。韓民族は牛や豚などの動物の骨や内臓を好んで食べますが、そういう食べ方を彼らは知らなかったのです。魚もそうです。世界で捕獲する魚の20パーセント以上がそのまま捨てられています。私はそのようなことを見るたびに、アフリカで飢え死にする人たちが思い浮かび、胸が痛みます。魚は牛肉と比較にならないほど高たんぱく質です。そのようなものをかまぼこやソーセージにしてアフリカに持っていけば、どれほどよいでしょうか。
思いがそこまで至ると、私は本格的に魚を貯蔵して加工する仕事を始めました。魚をいくらたくさん捕まえても、後処理を上手にできなければすべて無駄になります。いくら良い魚でも、新鮮な状態で8ヵ月以上はもちません。冷凍倉庫にきちんと凍らせておいても、氷の間に空気が入って肉から水気が抜けていきます。それで魚に水をかけて再び凍らせますが、すでに元の味を出すのは難しいので、事実上捨てた物と同じです。私たちは、このように捨てられる魚を集めて粉にすることに成功しました。ドイツやフランスのような先進国でもできなかったことを私たちはやり遂げたのです。
私たちはそれを坂の粉、「フィッシュ・パウダー(fish powder)」と呼びます。魚を粉にすれば、蒸し暑いアフリカでも簡単に保管し、運搬することができます。フィッシュ・パウダーは、98パーセントがたんぱく質の塊である高たんぱくの中の高たんぱくで、飢えて死ぬ人類を生かすことができます。フィッシュ・パウダーでパンを作ることができます。生きてぴんぴんしている魚が10分もしないうちに粉になって出てきます。このように新鮮なフィッシュ・パウダーは、ルワンダとクロアチア、アルバニア、アフガニスタン、スーダン、ソマリアなどに供給され、飢餓に直面する人々の空腹を満たしているのです。フィッシュ・パウダーを求める人たちが増えてきたので、これからもっと多くの場所に魚の加工工場を建てるつもりです。
海の中には無尽蔵の食糧がありますが、人類を食糧問題から救う最も優れた鍵は「養殖」です。都市の高層ビルのように、これからは魚を養殖するビルができるでしょう。パイプを利用すれば、高いビルや山の上でも養殖をすることができます。養殖で全世界の人をすべて食べさせて余りある食糧を生産できるのです。
海は神様が下さった福の塊です。私は海に出ていけば、顔が真っ黒に焼けるほど魚釣りに熱中し、チョウザメも釣り、マカジキも釣りました。私が直接魚を釣る理由は、魚の釣り方を知らない人たちにその方法を教えるためです。魚を釣ることができなかった南米の人たちを連れて、川に沿って船に乗り、数ヵ月回りながら釣り方を教えてあげました。私が直接絡まった網を巻き上げ、3、4時間かけて、ほどく方法を見せながら教えました。
安い費用で食べ物を十分に供給するためには、人類の最後の宝庫である海と、いまだに原始林のまま放置されている大森林を開発しなければなりません。ところが、それが言うほど簡単ではありません。体を動かすのが難しいほど蒸し暑く、じめじめした所に直接入っていき、身を投じて献身する苦労があって、初めて可能なのです。熱帯地方の大森林を開発するのは、人類を愛する情熱と献身なくしてやり遂げることができません。
ブラジルのマットグロッソ・ド・スール州のジャルジンは、生活するにはとても不便な所です。天候は暑く、名前も知らない虫たちが容赦なく食いついてきます。私はそのような所で、鳥や蛇を友達にして暮らしました。靴を履くこともできませんでした。裸足でジャルジンの赤い土を踏んで歩く私の姿は農民そのものです。また、川で釣り上げる私が漁師そのものです。「お、あの人は本当に農民だ! 本当に漁師だ!」という声を聞いてこそ、原始林を開発することができます。きれいで安楽な寝床で8時間ずつ眠り、3食を食べ、涼しい木陰で横になって休みながらできることではありません。
パラグアイを開発した時のことです。フエルテ・オリンポに小さな家を探して、食口たち何人かで一緒に暮らしました。トイレが1つだけなので、朝はみんな順番を決めなければなりません。そこでも私は、早朝の3時になれば必ず起きて、運動して釣りに出ました。そのため、一緒に過ごしていた食口が随分と苦労しました。早朝、ろくに目が開かないまま釣りの餌を作ることは日常茶飯事でした。その上、船に乗ろうとすれば、人の牧場をいくつか通らなければなりませんでした。真っ暗な所で牧場の閉まった門を開けようとするので、すぐに開けることができず、それを見て私が雷のような大声を出しました。
「何をもたもたしているのだ!」
自分で聞いてもびっくりするほど恐ろしい声を上げるのですから、食口たちは本当に大変だったでしょう。しかし、私は一分一秒を惜しむ人です。いい加減に過ごす時間は少しもありません。世界平和が成し遂げられる時まで、やらなければならないことが、レジからレシートが出てくるように目にありありと浮かぶので、とても気が急いていたのです。暗闇がまだ残っている早朝の川で釣りをしようとすれば、蚊が押し寄せてきます。蚊の針がどれほど強いのか、ジーンズの上からでも刺して容赦なく食いつきます。夜が明ける前なので、釣りの浮きが見えないときは、目印になるように釣り竿に白いビニール袋を結んで投げなければならないほどでしたが、私が気が急いていて、日が昇るまで待てませんでした。
ジャルジンは今も懐かしい所です。目を閉じれば、ジャルジンのかっかとする熱気が私の顔にくっついているように思い、ジャルジンのすべてのものが懐かしいのです。体が少し大変なのは何でもありません。体の経験する苦痛はすぐに消えます。重要なのは心の幸福です。ジャルジンは私を幸福にしてくれました。
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