子女は両親の血と肉を受けて生まれます。両親がいなければ子女はいません。ところが、この世の中に一人で生まれたかのように個人主義を主張する人がいます。誰からも何の助けも受けない人だけが個人を主張し、個人主義を語ることができます。世の中に自分だけのために誕生したものは何もありません。あらゆる被造物はお互いのために誕生しました。私はあなたのためにいて、あなたは私のためにいるのです。
自分だけのために生きる利己的な人生ほど愚かな人生はありません。利己的な人生は、自分のために生きているように見えますが、究極的には自分を破壊する人生です。個人は家庭のために、家庭は民族のために、民族は世界のために、世界は神のために生きなければなりません。
私が建てた学校には、どこでも3つの標語が掲げられています。1つ目が「昼12時のように影のない人生を生きなさい(正午定着)」です。影のない人生とは、すなわち良心に引っ掛かることがない人生です。地上での人生を終えて霊界に入っていけば、生涯、自分が生きてきた人生が、録画テープが回るように展開します。天国に行くか地獄に行くかは自分の人生によって決定するのです。ですから、一点の影もないきれいな人生を生きなければなりません。
2つ目は、「汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して生きなさい」です。人間が流す血と汗と涙は偽りではありません。すべて真実です。しかし、自分のために流す血と汗と涙は無意味です。血と汗と涙は人のために流さなければなりません。
最後の3つ目は、「One Family Under God!(神の下の人類一家族)」です。神様は唯一のお方であり、人類は兄弟姉妹です。言語と人種と文化の違いはあっても、すべて同じなのが人間です。
南太平洋には全部で14の島国があります。その中のマーシャル諸島共和国に行って大統領に会ったとき、私が尋ねました。
「本当に美しい地ですが、国を導いていくのに困難が多いのではないですか」
すると大統領は大きく溜め息をつきました。
「人口もわずか6万人だけで、島で最も高い所が海抜2メートルにすぎず、海面が1メートル上昇しても国全体が水浸しになってしまいます。しかし、最も深刻な問題は教育です。裕福に暮らす家の子供たちは皆、アメリカやヨーロッパに行って教育を受け、故郷に戻ってきません。貧しい家の子供たちは、きちんとした教育を受ける学校がないので、いくら優秀でも指導者になる素養を積み上げることができません。結局、私たちのような島国の悩みは、未来を導いていく人材を育てることができないことなのです」
マーシャル諸島共和国の大統領の嘆きを聞いた私は、すぐにハワイのコナに島国の子供たちのための「ハイスクール・オブ・ザ・パシフィック」という学校を建てました。各国から選ばれた子供たちに高等教育を受けさせ、必要であれば大学への進学も支援します。ハワイまで行き来する飛行機代、学費、寄宿舎費を提供することはもちろん、コンピューターも買い揃えて最高の教育をします。島国の学生たちを勉強させるのに条件はたった一つ、学校を終えたら必ず自分の国に帰り、国と民族のために奉仕しなければならないということです。それが唯一の条件です。
「為に生きる」人生を生きるということは、時として個人の犠牲を前提とします。数年前にわが教会の宣教師が南米を巡回する途中で大きな地震が起きたことがあります。宣教師夫人が真っ青になって私を訪ねてきました。「どうすればよいですか、先生。あまりにも心配でどうしたらよいか分かりません」と言って涙ぐんでいるのです。それで私がどうしたかといえば、肩を叩いて慰労するどころか、怒鳴りつけました。
「今あなたは夫のことを心配しているのか? それとも、夫が修羅場で何人の命を救っているだろうかと心配しているのか?」
夫の安否が心配なのは当然です。しかし、宣教師の夫人ならば、それ以上のことを心配できなければなりません。夫を安全に守ってくださいと祈禱するのではなく、夫がより多くの命を救えるようにしてくださいと祈禱しなければなりません。
この世の中に、自分だけのために存在するものは一つもありません。神様は、この世界をそのように創造されていないのです。男性は女性のために存在し、女性は男性のために存在します。自然は人間のためにあり、人間は自然のためにいるのです。この世界のあらゆる被造物は相手のために存在し、作用します。ですから、相手のために生きなければならないというのが天の道理です。
幸福は必ず相対的な関係においてのみ成立します。生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声が嗄れるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ幸福になることはできません。私がある相対のために存在しているという事実を悟ることは、人生の尺度を変えるような一大事です。私の人生が私のためのものではなく、誰かのためのものであるとすれば、今までの生き方とは全く違う道を行かなければなりません。
幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。幸福は、「為に生きる」人生を生きる時にこそ発見できるのです。
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