日付:二〇〇二年八月十日
場所:韓国、光州、新陽パーク•ホテル
行事:天地父母統一安着生活圏韓国大会(真のお母様)
愛する祖国の兄弟姉妹の皆様、そしてこの歴史的な大会を見守っている世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。私たちは、いよいよ実に歴史的で摂理的な時を迎えました。六千年間、天と地がこれほどまでに待ち望まれてきた平和の理想世界、すなわち地上、天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたということです。
天は、歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許可され、人類は、その宗教圏内で平和の世界を成就するために、不断の努力を傾けてきました。しかし、人類はきょうも、あらゆる不条理と不道徳の中から抜け出すことができずに、うめき苦しんでいます。津波のように押し寄せる堕落の風潮を食い止めることができないまま、激しい波にのみ込まれる自らの姿にふと気づき、驚愕を禁じ得ないのが現代人たちの姿なのです。それでは、私たちには永遠に希望がないというのでしょうか。私は、夫である文鮮明総裁と共に、神様のメッセージを伝えることに生涯を捧げてきました。そして、その預言的なメッセージの数々は、時代と環境の現実的な制約を超え、事実であり、真理であることが証明されてきました。
人間の創造と堕落私は、きょうもこのように天のメッセージをもって皆様の前に出ました。信じるか信じないかは皆様に任せられていますが、私は悲壮な覚悟でこのメッセージを、終末期を迎えた今日の人類に神様に代わってお伝えします。「平和の根源は神様」と題してお話しします。
どうか心の扉を開き、無知と混沌で綴られた今日の終末期を生きている皆様に下さる天の警告を、謙虚に受け入れる知恵を見せてくださるようお願いします。
本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。真の愛と真の理念をもって生きるべき人間が、真の理念をもつことができず、真の愛が何であるか分からなくなってしまい、幸福な環境で暮らすべき人間が、幸福の園を失ってしまったのです。
自由と平和を謳歌し、ひいては創造主の前に心情で一つになった幸福のすべての要素をもって、栄光をお返しすべき人間とならなければなりませんでしたが、そのような人間になることができなかったのです。サタンは、私たちの真の父母を蹂躙し、私たちの真の家庭と真の兄弟を蹂躙し、真の氏族、民族、国家、世界を蹂躙したのです。それだけでしょうか。今まで六千年の長い歳月の間、神様を苦難と逆境に追い込んだ張本人です。
このように、堕落はこの地上に罪悪の歴史を出発させ、その日からこの地は、平和の地どころか苦痛の地となり、罪悪がこの地上に植えつけられたその日から、人間が身を置く所々に、平和ではなく闘いの歴史路程を経てくるようになったのです。個人的には心と体の葛藤として闘いが継続され、家庭においては家庭的な闘いがあり、またこの闘いは民族的な闘い、あるいは世界的な闘いへと拡大され、今日、世界のどこを見ても、争いのない所がないという歴史を綴ってきたことを私たちは知らなければなりません。
これらはすべて人間堕落の結果なのです。世界中の数多くの国家の中には、環境が良くなくても良い種をもつ国家がありますし、環境が良くても悪い種をもつ国家があります。もしこの世界がすべて良い種を受けていたとすれば、すなわち、もしこの世界がもともと良い木から採れた良い種を、良い環境で育てていたなら、今日のこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界になっていたに違いありません。しかし、不幸にも私たちが暮らしているこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界にはなっておらず、善悪が混在する世界になっています。周囲に現れる環境は、善の環境というよりは悪の環境になっています。このように周囲が悪の環境に取り囲まれているので、いくら種が良くても、良い実を結ぶことができないのです。
人類歴史を見ても同じです。人類が善であるためには、まず人類を形成している個々人が善でなければなりません。堕落していなかったなら、私たち人間は、理想的な春の園を迎えていたでしょう。その理想的な春の園で、神様が喜び得るそのような人々として育ち、そのように育った人類なら、この地上に創造本然の文化世界を開花させ、文化世界を創造したその中で、私たち人類は、平和で、幸せに暮らしていたでしょう。万物が春夏秋冬の季節に従って巡ってくるのと同様に、人類歴史もまた、春の季節、夏の季節、秋の季節、冬の季節のような過程を経ながら、永続する世界になるべきだったのですが、堕落することによって、人間の世の中では、人々が喜び得る希望のとき、栄光の一日を迎える喜びの出発ができなかったのです。
人間始祖アダムとエバから生まれたカインとアベルは、神様の愛を中心として生まれた子女ではありません。神様の真の血統を伝授されるアダムとエバが、堕落行為を通してサタンの偽りの血統を受け継いだがゆえに、彼らから生まれた子女たちは、神様の子女ではない、悪魔サタンの子女になるしかない運命のもとに生まれついたのです。ですから、イエス様もヨハネによる福音書第八章四十四節で「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と戒めたのです。
アダムとエバは、神様のむちで追い出された私たちの最初の先祖となりました。しかし、本来アダムとエバは、神様から「愛するアダムよ、愛するエバよ、私はあなた方を、万宇宙の創造目的の世界、愛の園を建設するために造ったので、あなた方は平和と幸福の主人であり、父母であり、王である」という祝福を受けるべきだったのです。言い換えると、アダムが、千秋万代、永遠に変わることなく地上の王として、また天上の王として立たなければなりませんでした。天地が生じ、神様と人間の関係が生じたのち、初めて真の主人、真の父母、真の王の名をつけられる方が誰かというと、正に私たちの始祖アダムだったのです。
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