このように真の愛は貴いものなので、真の愛を蹂躙することは宇宙的な犯罪になるのです。不倫、青少年たちの淪落、家庭破綻、近親相姦、同性愛、形容し難い性犯罪など、今日の現実は神様を悲しませています。創造理想は崇高で、永遠の愛を中心とした家庭理想の成就にあるのですが、なぜこのような結果を招いたのでしょうか。それは終末を迎え、人間始祖の堕落した結果がそのまま結実することによって、蒔いたとおりに収める世紀末的様相を呈するようになったからである、と言うことができます。
時間の関係上、ここで詳しく説明することはできませんが、私が糾明した原罪と堕落の曲折は、人間の最初の家庭において起きた天使長との不倫の事件でした。「統一原理」でいうサタンは、観念的存在や仮想の存在ではなく、霊的実体です。神様の愛の理想を破壊し、神様の血統を、サタンを中心とする血統に変えた元凶です。イエス様も、ヨハネの福音書第八章で、人類の父が悪魔であることをはっきりと語られました。神様が、御自身の外的な体であるアダムとエバを通して実現しようとされた愛の理想を剥奪した愛の姦夫が、正に悪魔サタンなのです。皆様にはなじみがないかもしれませんが、私が霊界を開拓し、宇宙の根本の曲折を糾明しようと、血の涙を流す闘争をした結果として得た結論がこれです。皆様も真剣に祈ってみれば、解答が得られるでしょう。
神様が長い間、サタンを即決処断なさることができなかった理由とは何でしょうか。サタンが、神様の愛の理想を奪っていき、神様の代わりに偽者として、内的父母の立場で人類を管掌しているからです。ですから、このサタンの血統的な基盤を清算できなければならないのです。
堕落によって神様と人間の愛の関係が断絶し、また人間相互間にも、愛を中心とした本然の授受関係が成立できなくなってしまいました。人間相互間における愛を中心とした調和統一も、生命の喜びも、そして理想と幸福の関係も完全に破壊され、互いに怨讐になって敵対視し、不信に思う世の中になってしまったのです。神様の創造の計画は、人間を真のオリーブの木として造り、これらが繁殖した真のオリーブの園を地上全体につくろうとするものでしたが、サタンが人間始祖を堕落させて偽りの血統の始源を形成することによって、偽りのオリーブの園をつくってしまったのです。神様はサタンが掌握する偽りのオリーブの園では、条件なしに切って接ぎ木することはできません。
神様が宗教を立てて教育してきたのは、神様のみ旨のままに切って接ぎ木できる、すなわち神様が管掌できる野生のオリーブの園をつくる摂理なのです。このような宗教的な基盤の上に、真のオリーブの木であられるメシヤを送り、より大きな神様の愛に接ぎ木しようというのがメシヤ思想です。聖書の中にある重生の根本の道理も、このような点から理解ができるのです。
神側では、サタンの偽りの愛の圏にいる人間を、より大きな神様の愛で取り戻してきて重生させるのです。人間は偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通して生まれたので、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の愛の血統を通して再び生まれてこそ、神様の子女、神様の民になるのです。イエス様の十字架の血潮の貴さも、最後の晩餐の儀式も、すべて血統転換を通して神様の子女になる摂理を形象的、象徴的に表すものです。人類は生まれ変わらなければなりません。これは堕落人間の運命的な道です。
私たちはどのような困難があっても、この道を行かなければなりません。救援歴史が神様の血統に接ぎ木する重生の歴史だとすれば、私に属した過ぎし日のすべてのもの、すなわち所有観念、伝統、意識の一切を完全に否定しなければなりません。既に持っているものは、神様のみ前にそのまま認定を受けることができないのです。ひとまず取り消し、整理したあとに生まれ変わらなければなりません。これは木を接ぎ木するとき、根元の部分だけを残してみな切って、なくしたあとに接ぎ木するのと同じです。
真のオリーブの木として来られたイエス様は、すなわち真の父母でいらっしゃいます。私たちを生み変えてくださる真の父母です。ですから、私たちに過去の因縁を捨てなさいと強くお教えになりました。聖書のマタイによる福音書第十章三十六節以下を見れば、人の怨讐が自分の家族だと言われ、また自分の父母や子女を捨てて御自分についてきなさいと言われていますが、これも、捨ててしまわなければならない偽りの血統であるという点から理解しなければなりません。
神様とメシヤのために生きて死ぬことがキリスト教徒の特権敬愛する聖職者の皆様。神様のみ旨を受け入れ、これを実践して成就すべき聖業が私たちの課題です。私たちは神様のみ手に結ばれた人にならなければなりません。神様の求めに応じる人にならなければなりません。自分の必要に応じて自分だけの救援、私だけの天国のために神様を求めてはいけません。神様とメシヤのために生きて死ぬこと、これがキリスト教徒の特権ではありませんか。偉大な神様のみ旨を成就する宗教であり、教派にならなければなりません。狭い教派的な自己主張の中に神様がお入りになることはできないのです。私が知っている神様は、宗派や教派主義者ではありません。枝葉的な教理理論にしばられた神様ではありません。神様の父母の心情、そして大きな愛の心のもとでは、民族と皮膚の色の区分がありません。国家や文化伝統の壁もありません。神様はきょうも、万民を同じ子女として抱くために努力していらっしゃいます。
聖職者の皆様。宗教の自由の天国だと信じてきたアメリカで、レバレンド•ムーンの投獄が契機となって、宗教の自由の運動ののろしが全国を席巻したということが、偶然なことでしょうか。それは、背後で役事される神様の経綸があったからです。また、自由民主主義の旗手として自任しながら、共産主義の脅威があるとは想像もしなかったこの地で、カウサ(CAUSA)運動を通して全世界が共産主義の脅威の深刻性を悟り、教派の障壁のない、真の超教派的運動が燎原の火のように燃え上がっている、このような現象が偶然でしょうか。
アメリカは神様を愛する建国精神で立てられた国です。特に第二次世界大戦直後から神様はアメリカを本格的な世界救援の先導国として、また歴史始まって以来、初めて世界統一圏を主導する国としてお立てになり、再臨のメシヤの臨在を準備するとともに、世界を見守るようにされたのです。しかし、不幸にもアメリカは、このような大きなみ旨を知らず、世界から徐々に手を引こうとし、自国だけで定着しようと企図したとき、内外的に受難と問題に直面するようになりました。今、アメリカは人種問題、価値観の混乱と社会の倫理と道徳の退廃問題、霊的枯渇とキリスト教信仰の没落問題、無神論に立脚した共産主義の問題など、深刻な問題を抱いています。私が神様の召命を受けてこの国を訪ねてきた理由は、ここにあります。
今日のキリスト教は大きく覚醒し、団結しなければなりません。私たち牧会者たちも今まで果たしてきた役割を再点検し、悔い改めなければなりません。あたかもイエス様が来られて、悔い改めよと叫ばれたその時の情景が、二千年過ぎた今、この地上で繰り返されていると見なければなりません。私たちは、神様がアメリカに命令された重大な使命を果たさなければならないのです。今、このままでは絶対にいけません。新しい宗教改革が起こらなければなりません。キリスト教は各教派を超越して、より高い次元で超キリスト教的に世界的文化革命を主導するところまで進まなければなりません。
私たちは、きょうを契機として大きく奪起し、神様の愛のもとで固く手を取り、一つになって、来られるメシヤを迎え、神様の願いを成し遂げてさしあげる、キリスト教の本然の道に総進軍しなければなりません。神様の祝福が、皆様と皆様の家庭、そしてすべての教団とアメリカに満ちあふれることを祈ります。
Create your
podcast in
minutes
It is Free