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日付:一九九〇年一月十二日
場所:韓国、ソウル、中区、長橋洞宗教会館
行事:文鮮明先生御夫妻韓国宗教協議会訪問歓迎式
各教団の重鎮であられる皆様に、このようにお会いできましたことを、感謝を申し上げます。宗教指導者たちが教団のために奉仕し、その教団自体が自分の使命を果たすとき、大韓民国の未来に希望があると思います。そのためには、一つの教団だけではいけません。互いにどのように和合しなければならないかという問題ですが、単に宗教界だけでなく、世界の政界を見ても、思想界を見ても、問題になります。いずれ人類は一つの目的点に向かって帰結されるということです。
人生問題と神様を中心とした聖人の教え内外の世界を見れば、政治、経済、文化、社会を中心として、歴史をつないできた数多くの国家群があります。そして、内的世界を見れば、各教団が存在します。これらの教団の各教主は異なりますが、世界を指導すべき責任があるのです。これを人に比較すれば、宗教は心のようなものであり、一般社会は体のようなものです。
しかし、人間自身を見るとき、その体と心がいつ統一されるのでしょうか。どのような聖人でも、「私の教理を通して体と心を一つにした。心と体が争うこの戦争を平和にした」と自信をもって宣言した人がいないことを、私たちは知っています。外的世界と内的世界がこのように対立していて、外的世界である国家主権者たちから今まで宗教界は弾圧を受けてきました。多くの犠牲に遭ってきたというのです。反面、宗教界は打たれるだけで、外的世界を打ってみたことがありません。いつでも、打たれながら大きくなってきたのです。これが根本問題です。それで、きょうのお話の題名は「根本思想」です。
私は大韓民国の白衣民族の一人として生まれましたが、宗教という問題を中心として誰よりも苦心した人です。さらには、人生と人間の問題について深く苦悩しました。人間の問題を誰が解決しなければなりませんか。人間同士では解決できないというのです。それでは、何によって解決しなければなりませんか。聖人の教えで解決しなければなりません。
聖人といえば、皆様が御存じのとおり、特に四大宗教の教主をいいます。その教主たちは、何を中心として生涯の道を歩みましたか。それは絶対的な価値の問題なのですが、神様がいるかという、神様に関する問題でした。
宗教が哲学と異なるのは何かというと、宗教は神様と共に始まりましたが、哲学はそうではないというのです。宗教を見れば、その背後には神秘境と連結されていますが、神様という背後で動く主体を中心として、み旨を広げるために出発しました。ですから、その教主たちは、生活舞台で神様と共に歩んだ人たちです。
神様と共に出発するその生活とは、どのような生活でしょうか。個人的生活でしょうか、そうでなければ家庭を中心として出発した生活でしょうか、氏族を中心として神様と共に生きる宗教の生活でしょうか。あるいは、私たち自衣民族を中心として出発したものでしょうか。これが問題になります。また、国家と共に出発したのでしょうか。世界問題と霊界と肉界、天と地までの問題になるのです。
宗教が出発するとともに、家庭救援の論理を唱えた宗教がどこにありましたか。社会救援、氏族救援、国家救援を主唱して出発した宗教がありましたか。大多数の宗教は個人の救いを主張します。個人が救援されなければならないというのです。個人を中心として出発しました。ですから、高次的な宗教であるほど、その教主が教える教理は、現世と隔離させる内容です。出家を強調するのです。単に仏教だけでなく、キリスト教も同じです。
出家というものは何ですか。大韓民国の民としてある氏族を通して生まれたなら、その伝統的歴史の背景がすべて私を包囲しているので、その背後の前衛隊のような家庭を否定するのです。出家するということそれ自体は、国を否定しなければならず、社会を否定しなければならず、家庭を否定しなければならず、家庭において父子関係までも否定しなければならないのです。これが問題になるのです。
私たちが生活するうえで、運命の道は私たち個々人が努力して開拓できますが、宿命の道は開拓できないのです。父子の関係を切ることができるものとは何かというのです。これが問題になります。ある独裁者が「あれはお前の父親ではない!あれはお前の息子ではない!」と千年、万年教育したとしても、その関係を切ることはできません。
出家において、父子の関係まで否定していく原因がどこにあるのでしょうか。これは問題が大きいのです。出家は、父母との関係をそのままにしていくのですか、それを拒否して自分自らの道の目的を成就するために、自分を中心したすべてのものを片づけて自己完成を標準としていくのですか。それはあくまでも、自己完成のみを標準にしたものなのです。
宗教の起源、そして神様との関係すべての宗教は自己完成を標準としています。ですから、すべての高次的な宗教は、独身生活を強調します。父母の血縁までも否定させ、その次には後代までも否定させます。深刻な問題です。カトリックや仏教も同じです。世界を否定し、国を否定し、自分の家庭を否定し、自分の父母を否定し、男性が女性を否定して、女性が男性を否定しますが、なぜこのようにしなければならないのですか。根本問題がここから出てきます。そのような問題が、深刻な問題にならざるを得ないというのです。
なぜ否定しなければならないのかという論理、その教理をどのように教団で探し立てるのかということです。キリスト教も曖昧です。仏教や儒教もそうです。「元亨利貞(げんこうりてい)は天道の常であり、仁義礼智は人性の綱である」という言葉があります。どれほど良い言葉ですか。ここで「天」とは神様のことですが、天が存在しても、始まりとともに永遠に関係を結ぶことのできるものでなければ、理想的な天として侍ることができないのです。始まりとともに過程と終わり全体が、永遠に天でなければなりません。その天と共に私が幸せでなければなりません。不幸ではいけません。その天と一つになるとき、すべての存在が羨まなければならず、すべてのものがそれを崇めながらついていくことができなければなりません。そして、その個体が生まれたある特殊性、韓国民族なら韓国民族にだけ限定された内容ではいけないというのです。人種を超越し、思想を超越していくものでなければなりません。
このように見るとき、神様と共に生きるところから教団が始まったというのです。ここで教主と神様との関係を見るとき、神様についていかなければならないか、教主についていかなければならないか、ということが問題です。教主と神様の関係では、教主も神様についていかなければならないのです。その神様が絶対的な神様ならば、絶対的についていかなければならないというのです。その絶対的についていくことのできる神様と私の関係、神様と教主の関係を知らなければなりません。神様と教主の関係と、教主と私の関係をいかに連結させるかということは、簡単な問題ではありません。
日付:一九九〇年一月十二日
場所:韓国、ソウル、中区、長橋洞宗教会館
行事:文鮮明先生御夫妻韓国宗教協議会訪問歓迎式
各教団の重鎮であられる皆様に、このようにお会いできましたことを、感謝を申し上げます。宗教指導者たちが教団のために奉仕し、その教団自体が自分の使命を果たすとき、大韓民国の未来に希望があると思います。そのためには、一つの教団だけではいけません。互いにどのように和合しなければならないかという問題ですが、単に宗教界だけでなく、世界の政界を見ても、思想界を見ても、問題になります。いずれ人類は一つの目的点に向かって帰結されるということです。
人生問題と神様を中心とした聖人の教え内外の世界を見れば、政治、経済、文化、社会を中心として、歴史をつないできた数多くの国家群があります。そして、内的世界を見れば、各教団が存在します。これらの教団の各教主は異なりますが、世界を指導すべき責任があるのです。これを人に比較すれば、宗教は心のようなものであり、一般社会は体のようなものです。
しかし、人間自身を見るとき、その体と心がいつ統一されるのでしょうか。どのような聖人でも、「私の教理を通して体と心を一つにした。心と体が争うこの戦争を平和にした」と自信をもって宣言した人がいないことを、私たちは知っています。外的世界と内的世界がこのように対立していて、外的世界である国家主権者たちから今まで宗教界は弾圧を受けてきました。多くの犠牲に遭ってきたというのです。反面、宗教界は打たれるだけで、外的世界を打ってみたことがありません。いつでも、打たれながら大きくなってきたのです。これが根本問題です。それで、きょうのお話の題名は「根本思想」です。
私は大韓民国の白衣民族の一人として生まれましたが、宗教という問題を中心として誰よりも苦心した人です。さらには、人生と人間の問題について深く苦悩しました。人間の問題を誰が解決しなければなりませんか。人間同士では解決できないというのです。それでは、何によって解決しなければなりませんか。聖人の教えで解決しなければなりません。
聖人といえば、皆様が御存じのとおり、特に四大宗教の教主をいいます。その教主たちは、何を中心として生涯の道を歩みましたか。それは絶対的な価値の問題なのですが、神様がいるかという、神様に関する問題でした。
宗教が哲学と異なるのは何かというと、宗教は神様と共に始まりましたが、哲学はそうではないというのです。宗教を見れば、その背後には神秘境と連結されていますが、神様という背後で動く主体を中心として、み旨を広げるために出発しました。ですから、その教主たちは、生活舞台で神様と共に歩んだ人たちです。
神様と共に出発するその生活とは、どのような生活でしょうか。個人的生活でしょうか、そうでなければ家庭を中心として出発した生活でしょうか、氏族を中心として神様と共に生きる宗教の生活でしょうか。あるいは、私たち自衣民族を中心として出発したものでしょうか。これが問題になります。また、国家と共に出発したのでしょうか。世界問題と霊界と肉界、天と地までの問題になるのです。
宗教が出発するとともに、家庭救援の論理を唱えた宗教がどこにありましたか。社会救援、氏族救援、国家救援を主唱して出発した宗教がありましたか。大多数の宗教は個人の救いを主張します。個人が救援されなければならないというのです。個人を中心として出発しました。ですから、高次的な宗教であるほど、その教主が教える教理は、現世と隔離させる内容です。出家を強調するのです。単に仏教だけでなく、キリスト教も同じです。
出家というものは何ですか。大韓民国の民としてある氏族を通して生まれたなら、その伝統的歴史の背景がすべて私を包囲しているので、その背後の前衛隊のような家庭を否定するのです。出家するということそれ自体は、国を否定しなければならず、社会を否定しなければならず、家庭を否定しなければならず、家庭において父子関係までも否定しなければならないのです。これが問題になるのです。
私たちが生活するうえで、運命の道は私たち個々人が努力して開拓できますが、宿命の道は開拓できないのです。父子の関係を切ることができるものとは何かというのです。これが問題になります。ある独裁者が「あれはお前の父親ではない!あれはお前の息子ではない!」と千年、万年教育したとしても、その関係を切ることはできません。
出家において、父子の関係まで否定していく原因がどこにあるのでしょうか。これは問題が大きいのです。出家は、父母との関係をそのままにしていくのですか、それを拒否して自分自らの道の目的を成就するために、自分を中心したすべてのものを片づけて自己完成を標準としていくのですか。それはあくまでも、自己完成のみを標準にしたものなのです。
宗教の起源、そして神様との関係すべての宗教は自己完成を標準としています。ですから、すべての高次的な宗教は、独身生活を強調します。父母の血縁までも否定させ、その次には後代までも否定させます。深刻な問題です。カトリックや仏教も同じです。世界を否定し、国を否定し、自分の家庭を否定し、自分の父母を否定し、男性が女性を否定して、女性が男性を否定しますが、なぜこのようにしなければならないのですか。根本問題がここから出てきます。そのような問題が、深刻な問題にならざるを得ないというのです。
なぜ否定しなければならないのかという論理、その教理をどのように教団で探し立てるのかということです。キリスト教も曖昧です。仏教や儒教もそうです。「元亨利貞(げんこうりてい)は天道の常であり、仁義礼智は人性の綱である」という言葉があります。どれほど良い言葉ですか。ここで「天」とは神様のことですが、天が存在しても、始まりとともに永遠に関係を結ぶことのできるものでなければ、理想的な天として侍ることができないのです。始まりとともに過程と終わり全体が、永遠に天でなければなりません。その天と共に私が幸せでなければなりません。不幸ではいけません。その天と一つになるとき、すべての存在が羨まなければならず、すべてのものがそれを崇めながらついていくことができなければなりません。そして、その個体が生まれたある特殊性、韓国民族なら韓国民族にだけ限定された内容ではいけないというのです。人種を超越し、思想を超越していくものでなければなりません。
このように見るとき、神様と共に生きるところから教団が始まったというのです。ここで教主と神様との関係を見るとき、神様についていかなければならないか、教主についていかなければならないか、ということが問題です。教主と神様の関係では、教主も神様についていかなければならないのです。その神様が絶対的な神様ならば、絶対的についていかなければならないというのです。その絶対的についていくことのできる神様と私の関係、神様と教主の関係を知らなければなりません。神様と教主の関係と、教主と私の関係をいかに連結させるかということは、簡単な問題ではありません。
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