日付:一九九七年十一月二十五日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ホテル
行事:「世界平和宗教会議」創設大会
世界のあらゆる偉大な宗教の伝統を代表する宗教指導者、そして著名な学者の皆様。皆様が世界文化体育大典とこの重要な宗教議会に参加してくださったことに、感謝申し上げます。私はきょう、多くの指導者の方々の前で、私が展開してきた真の家庭運動の根本を明かそうと思います。来たる十一月二十九日に、皆様は真の愛と真の家庭運動の驚異的な現場となる三千九百六十万双の祝福結婚行事を目にするでしょう。
私は、世の中が分かってくれようとくれまいと、どのような評価をしようとも意に介さず、神様のみ旨を成し遂げてさしあげるために、一つの道を貫いて歩んできました。真の家庭の理想のために、私は一九六〇年、最初の三双の祝福家庭を輩出して以来、回を重ねながらその数を拡大してきました。一九九二年には三万双、一九九五年には三十六万双の祝福家庭を世界的に輩出しました。彼らはみな、神様のみ前に永遠な愛と信頼によって夫婦になることを誓約し、また子女を高い道徳と純潔の中で育てることを約束して生きています。
今回、短い準備期間であるにもかかわらず、全世界百八十五ヵ国において三百六十万双を目標とした当初の計画を、三千六百万双も超過した三千九百六十万双が、肌の色と宗教を超越し、真の家庭のための祝福結婚儀式に同参することになりました。これはその趣旨から見ても、規模から見ても、人間が動機となった行事であるとは言えません。神様のみ旨が中心となって達成された、摂理的な成就なのです。
皆様を含め、各教団の多くの指導者が、この真の家庭運動こそ、青少年の脱線と家庭の破綻を防ぐ根本的な方案であると共感し、多方面にわたって支援してくださり、また多くの国の指導者が、救国運動の次元で積極的に協力してくださったことを、感謝申し上げます。
アダムは体をまとった神様御自身真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対として人間を立てられました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象です。無形の神様のみ前に、見える体として生まれたのです。
人間は完成すれば、神様の聖殿になります。神様が自由に、また平安に、いつでも入ってきて住むことのできる有形の実体になるというのです。神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通し、父母と子女の縦的関係として実現、完成します。神様は御自身の体として、アダムをまず造られました。
アダムは神様の息子であると同時に、体をまとった神様御自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバをお造りになり、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成する新婦でもあったのです。アダムとエバが完成して、神様の祝福のもとで結婚し、初愛を結ぶその場は、すなわち神様の実体の新婦を迎える場になるのです。
アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参することにより、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点において結実、完成するようになるのです。
神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守り、真の愛の人として完成することです。さらに、神様の真の愛によって一つになった真の夫婦になることです。
ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンから追い出されるとき、彼らは子女を連れていませんでした。神様が追い出したアダムとエバを、エデンの外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した子孫、追い出された先祖の子孫なのです。
アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成の段階、すなわち成長期間に堕落しました。人類先祖の初愛の結合は、神様御自身の愛の完成でもあるので、当然神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歓喜と祝福の中に酔う、幸福な宴の連続でなければなりませんでした。神様の愛と生命と血統が人間の中で始原を形成しながら定着する、幸福な儀式でなければならなかったのです。
ところが、彼らは下部を覆い、木の後ろに隠れて不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくる不倫の関係を結んだからです。そのように堕落したアダムとエバの子孫である全人類は、子々孫々、生まれるときから原罪をもつようになるのです。人類が個体の中で心と体の衝突を矛盾として感じるようになるのも堕落に根源があり、愛の秩序が紊乱な社会の中で本心が願わない人生を生きているのも、すべてここに原因があるのです。
本来、アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦になっていれば、神様は理想とされたとおりに、御自身の実体であるアダムの体の中に住まわれながら、エバを愛するようになっていたはずです。さらに、アダムとエバは神様の実体をまとった真の父母になり、善の愛、善の生命、善の血統の始原となるはずでした。
ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となり、悪の夫婦、悪の父母、悪の先祖になってしまいました。結局、彼らの結合は、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根になってしまったのです。人類は、この根に根源を置いているので、生まれるときから神様の怨讐であり、姦夫であるサタンの子孫となり、悪の父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。
絶対的な神様の創造理想も絶対的なので、悲しい救援の役事をせざるを得ませんでした。神様の救援摂理は、失われた真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。このような点で、復帰摂理の根本は、どのようにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を探し出すかにあるのです。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。
それでは、神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母をどのように誕生させるのかというのです。人間の先祖が自己の責任分担を完遂できず、不倫の血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接進み出て、原状回復させることはできません。神様はサタンの側に回った人類を、条件なく善の立場において取ることも、打つこともできないのです。
神様は、善の側にいる中心人物を立てて、先に打たれながら蕩減条件を立てさせ、復帰してくる作戦を取ってこられました。その反面、サタンは先に打ち、奪われる立場になったのです。
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