神様には時間という概念がありません。時間の概念がないというのは、永遠に初めであり、終わりであるという意味です。過去も現在も未来も、同じだというのです。そのようになっても嫌でないように作用を起こすことのできる、神様が安息できる本質は何でしょうか。そのようなものが問題になります。
それは何でしょうか。全知全能の能力でしょうか。違います。神様の知恵、全知全能ではできないというのです。それによっては、安息できないのです。真の愛の力だけが可能です。神様も「真の愛!」と言えば、「そうか!」と言うのです。それ以外は、神様にとって必要ではないのです。
私たちは最後、どこに行かなければならないのかといえば、霊界です。それは何を意味するのでしょうか。一般的に死後の世界だと言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界にならないのでしょうか。真の愛と関係している世界だからです。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したものなので、自分が真の愛の立場に立つようになるときは、既に今ここが霊界です。ですから、真の愛が偉大なのです。真の愛によって縦的な球形運動をしてこそ、上下、前後、左右が和合できるのです。縦は縦、横は横になって和合できなければ、上下、前後、左右全体が和合できないのです。統一が起こりません。真の愛だけが統一できるのです。そのため、統一教会が真の愛を中心とした統一理想世界を論じるのも、原理観に一致した結論なのです。
神様は人間を引っ張ってくださろうとします。神様も息をするのです。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙に拍子を合わせるので、真の愛を中心として、宇宙が永遠に続くのです。真の愛に永生があるというのです。ですから、皆様はここまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏に入っていくのです。
真の愛も息をするのです。宇宙の脈拍がこのようになるので、男性や女性が「ああ!私は嫌だ!」とは言えないのです。拍子が合うときは、互いが本当に愛し合わなければなりません。方向がすべて同じです。一方向です。すべて、神様を中心とした一つの方向なのです。
天国に行くためには祝福の門を通過しなければならない霊界も肉界も、真の愛に従って動きます。その縦的な真の愛の主軸を中心として、環境的条件は自分自ら自動的に拍子を合わせるのです。「その共通分母は何か」と言うとき、過去の人も、現在の人も、何と答えるでしょうか。「永遠性と同伴できる資格は何であり、私たち人間の世界で必要とするすべての欲求の要因は何か」と言うとき、それは真の愛だというのです。それは取るに足らない愛ではありません。真の愛です。
それでは、真の愛とは何でしょうか。縦横を通じて九〇度を備え、どこであれ角度がすべて合わなければなりません。東洋の家にも合い、西洋の家にも合い、南方型の家にも合い、北方型の家にも合い、五色人種(すべての人種)、文化背景、宗教背景がすべて違ったとしても、この道を一緒に行けるのが、正に真の愛です。
今日、この世界には多くの人々が暮らしています。世界に六十億以上の人が住んでいますが、統一教会で言う「祝福」の意味を知る人は、多くないでしょう。この祝福という言葉は、統一教会で初めて始まった言葉であり、その祝福という言葉を中心として、今まで祝福結婚行事をしてきたのです。
それでは今後、人類はどこに行かなければならないでしょうか。すべての人類は、祝福の門を通らなければ天国に行けません。数多くの人がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も祝福という門を通らなければ、天に行けないのです。このように言うとキリスト教では「統一教会のレバレンド•ムーンは独善的な発言をたくさんする」と不平を言います。このような考えをもつ人、またそのように言う人もいるかもしれませんが、それはその人たちの話であって、統一教会で語る祝福結婚は、堕落した人類にとって必ず行くべき道です。いくら反対しても、霊界と肉界を連結して天国に入っていくべき重大な問題となるのが、この祝福結婚だというのです。
今日、一般の宗教を信じる人々は、「救い」と言えば、個人の救いを考えます。よく信じれば、自分は天国に行くと信じる立場です。しかし、本来の神様の理想について見てみれば、天国は一人で行くようにはなっていないのです。
夫婦の霊人体私たちは、真の愛の理想を訪ねていく群れです。ですから、霊界の代弁者として立つために、真の愛の理想を自分の体に、現実に身につけて、その真の愛をどれほど横的な世界に植えるのか、種として蒔くのかという、ここから真の愛の心をもって互いに与え合いながら育つのです。
このようにして、真の愛の実を結び、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠な真の愛の圏に抱かれて、神様と一つの体になるのです。神様と一つになるのです。人は、この地上においてその殻がすべて老いていきますが、夫婦生活をして、真の愛で愛し合えば愛し合うほど、霊人体は美しくなります。それはどういう意味かと言えば、人間が長く生きれば生きるほど、内的な人間である霊人体は、最高の円熟した美男、美女になるということです。肉身という殼は服のように脱いでしまわなければならないのに、これが若いままでくっついていれば、どうするのですか。ですから、老いれば外的な面の殼はすべて使えなくなりますが、内的な中身は成熟して、永遠の未来の相続者となり、最高の美人になるのです。秋の豊かな実りになるのです。
ですから、神様を直接愛する前に、皆様の足の先から、皆様の食べる食べ物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆様の体を愛さなければなりません。万物を愛することによって、万物の要素を吸収し、自分の体を愛さなければなりません。
なぜ結婚しなければならないのか皆様の第一の父母は皆様を生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆様は、皆様の肉身が大きくなれるように、地からその要素を供給されるのです。地が肉身の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に帰るのが死です。
第三の父母のところには、そのまま行くのではありません。第三の父母のところに帰ろうとすれば、本来の父母だった神様の姿に似なければなりません。ですから、結婚はなぜするのかといえば、神様の姿に似るためにするのです。神様は二性性相としていらっしゃる方として、その二性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性的な位置に帰らなければならないのです。
ところが、その種を連結させるためには、真の愛の道理である結婚をしなければならないので、生まれながら真の愛を受け、成長しながらも真の愛を目標にして成長し、暮らしながらも真の愛を中心として暮らし、逝くときにも真の愛に帰るために逝かなければならないのです。その真の愛の道を行くという結婚の目標を中心として訪ねていかなければ、永生の方向が狂うという事実を、皆様は知らなければなりません。
祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母と真の愛で一体になるというのは、個人、家庭、国家、世界、天宙が完成し、神様の創造理想が完結することなのです。真の父母が生まれた所は人類の祖国であり、地上天国と天上天国の出発地になるのであり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることなく全盛の時代へと発展するでしょう。大韓民国の国民は、訓読会を通して真の父母と超国家的に一体となり、万国に勝利圏を備えて、万国の祖国となりましょう!ありがとうございました。
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