日付:一九九八年六月十一日
場所:、アメリカ、ニューヨーク、ウォルドルフ•アストリア•ホテル
行事:一九九八世界文化体育大典
著名な学者の皆様、尊敬する宗教指導者、そして各界の指導者の皆様。「真の家庭と世界平和」という主題のもとに進められるこの特別会議に御参席くださったことを、心から歓迎いたします。
私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染められた二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しています。しかし希望よりも、かえって次第に悪化していく物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が正しい影響を及ぼせない中で、青少年の退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどが、人類の将来をさらに暗くしています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的努力も、人類の幸福と平和な真の家庭を通した世界をもたらすことができずにいます。
真の愛の創造理想人類は長い歴史路程を通して、ある一時も、完全な幸福の真の主人公になれませんでした。個人的にも全体的にも、家庭は多くの不幸を経験しながら過ごしてきました。それにもかかわらず、人間はいつも諦めずに、粘り強く幸福を追求してきたのです。それは本来、人間が幸福に生き、真の家庭の中で豊かに暮らすように神様が造ってくださったからです。人間は堕落の罪によって苦痛の生活をしてきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を希求し続けてきたのです。
それでは、真の幸福の本質とは何でしょうか。神様は何によって、人間が本当に幸福になるようにしてあげようと思ったのでしょうか。神様は真の愛の本体であられます。神様は真の愛の理想ゆえに、無限に投入しながら創造をされました。真の愛は一人で、独断的にするものではありません。主体と対象の関係を通して、成就できるものなのです。したがって、愛を成就して体恤するためには、神様も主体と対象の関係を結ばなければならなかったのです。正にそれが、真の家庭でした。
堕落によって失われた真の愛神様の創造の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様のみ前に、人間はどのようにしてその相対的な立場に立てるのでしょうか。努力や外的な条件によってではありません。ただ、真の愛の関係によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の関係を結べば、一度に同位権、同参権、相続権を互いにもつようになるのです。
神様の真の愛の動機により、その対象として造られた人間にとって最も貴いものは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で、永遠の調和が成し遂げられるのです。
神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。神様は父なる創造主であられ、人間は真の愛によって一つの体となる、その方の子女として造られたのです。
本来、真の人は心と体がいつも神様の真の愛を中心として一つになり、それに酔って喜びの中で生きるようになっていました。神様は真の愛によって幸福を感じる真の家庭を御覧になり、御自分も無限の喜びを感じると同時に、共にお住まいになろうとして、人間を創造されたのです。神様は真の愛によって人間と調和一体を成し遂げようとされたのです。ところが、人間の先祖が堕落してしまいました。
人間は個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なる欲望を前に立てて、熾烈な闘争を繰り広げていることを感じながら生きていきます。私の体と私の心なのですが、気づいてみれば、体と心が対立している自分であることが分かるのです。このように人間の体と心が葛藤する矛盾性は、正に人間の先祖の堕落のためです。このような体と心の分裂、衝突は、家庭と社会だけでなく、国家、世界、天宙の分裂と不幸として続いてきたのです。
堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に逆らったことであり、結果的には、神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間はサタンに従い、神様を失って、本然の価値も失ってしまったのです。創造本然の理想完成である心身一体を成し遂げた真の人になれず、幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築けませんでした。
心身の統一基地すべての被造物は愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も、知識や権力、もしくは財力によって成し遂げられるのではなく、真の愛によって成し遂げられるのです。すなわち、真の人は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体となって調和することを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する場にいるとき、心身が一体となるのです。
心と体は、神様の真の愛の基盤の上で、生活を通して授受作用を永続しながら完全に一つとなり、真の愛の人格を成就するようになっています。心身が統一基地をつくってこそ、その上に真の愛の完成である真の家庭が安着するのです。真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成し遂げられるというのです。心身統一の基地の上に神様の真の愛が臨めば、真の愛の門が大きく開き、真の人は神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じるもので真の愛でないものがなくなり、自動的に無限の自由と喜悦の主人公になるのです。
このとき、真の人は真の愛に酔い、最高の芸術的情感の中で暮らすようになっています。真の人の人格は、自然な形で相対世界と情によって同化し、共に酔いながら生活の中で美しさを体恤しつつ、全体的な創造目的を完成するのです。このようになれば、神様のみ前に完全な対象となり、神様に似て、その方の真の愛を相続するようになるのです。神様が感じることをそのまま感じ、神様が喜ぶことをそのまま喜ぶようになります。
人間にとって最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じないのです。真の愛は、相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与えて施しながら、一つになろうとするのです。ですから、真の愛はすべてのものを抱くようになります。真の愛は、私個人だけの所有にはなりません。真の愛を相続したのちには、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙共有のものになるのです。神様の希望は、真の愛を人間と共有することです。神様は御自身の息子、娘であり、最も高く最も貴い被造物である人間と、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を永遠に共有したいと思われるのです。
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