日付:二〇〇五年八月二十日
場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場
行事:平和の王即位一周年記念式
尊敬する内外の貴賓、そして愛する祝福家庭の皆様。まず、神様の祖国創建と人類平和の具現のために、世界各地で苦労される皆様に、深甚なる感謝の言葉を申し上げる次第です。
創造理想的家庭皆様も御存じのように、きょう私たちは、二〇〇四年にアメリカと韓国の国会において私を「平和の王」に推戴し、戴冠式を行った歴史的な日を記念するため、このように席を共にしました。思えば、きょうはまた、私が過去八十年以上の生涯を捧げ、天のみ旨を成し遂げてくる過程で、口惜しい謀略と迫害によって経なければならなかった六度の獄中生活のうち、その最後であるアメリカのダンべリー刑務所における獄苦に勝利した出監記念日でもあります。この意義深い日を記念する場で、私はきょう、皆様に祝福結婚の価値とその意味に関する天のメッセージをお伝えしようと思います。み言の題名は、「祝福結婚は天地合徳、宇宙合一の道」です。宇宙万物の創造主であられる神様は、どのような姿で存在されるのでしょうか。神様は二性性相でいらっしゃいます。ここで言う二性性相とは、男性格主体と女性格対象の二性性相を意味します。したがって、神様の男性格を分立させて創造したのが人類最初の男性格先祖であるアダムであり、神様の女性格を分立させて創造したのが人類最初の女性格先祖であるエバです。そして、アダムとエバを再び合わせた姿と同じものが彼らの子女です。神様の創造は、このように正分合の原則に従って展開します。神様を一代として、アダムとエバが二代であれば、彼らの子女は三代の位置に立つようになり、一つの家庭で三代圏を形成し、未来永劫、罪のない子孫が繁栄するように祝福されたのが、神様の人間創造でした。
アダムとエバが、神様のみ旨のとおりに個性完成、すなわち人格を完成し、神様の祝福の中で夫婦関係を結んで神様と完全一体を完成したならば、神様が彼らの中に臨在できる関係が決定されたでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の関係を結べる愛の基準が連結されたでしょう。これを総称して、人間に対する神様の祝福と呼ぶのです。
一般的に祝福とは、福を祈ってあげるという意味です。それでは、福の中の最高の福とは何でしょうか。人間にとってどのような福が、最も貴い福かというのです。お金ではありません。名誉でもありません。権力や知識でもありません。アダムとエバが神様の祝福の中で結婚し、罪のない子女を繁殖することさえできたならば、それ以上に貴い福はなかったでしょう。宇宙万象も喜びで応じ、神様にとっても最高の喜びの日になっていたのです。このような祝福の場は、摂理的に見るとき、地上天国と天上天国が出会う場なのです。
もしエデンの園で、神様が女性を創造せず、男性だけの創造で終わっていたとすれば、どのようになったでしょうか。奇跡の中の奇跡は、男性と女性が共存するという事実です。片方だけの存在では、何も存在しないのと同じです。人類はそのまま、百年もたたずに終わっていたでしょう。男性と女性が共にいるところから、初めて天道が立てられ、人倫と道徳が始まるのです。
したがって、完成したアダムとエバの結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバは神様の体になって、神様は彼らの心の位置に安着され、有形、無形共に両面で人類の真の父母になっていたはずです。
しかし、人類歴史は人間の先祖の堕落により、最初の一歩から罪悪と闘争の歴史に転落してしまいました。当然、神様を真の父母として侍って暮らすべき人類は、偽りの父母となった悪魔サタンの支配を受けて生きる地獄の主人になってしまったのです。神様の分聖殿となり、神様が臨在される、神様と同じ価値をもつ人間になるベきだったアダムとエバの体は、様々な罪悪と偽りの温床、悪魔の舞踏場になってしまいました。
具体的に堕落とは、神様の祝福の中で挙げるべき結婚式を、サタンを中心として挙げたことを言うのです。創造原理によれば、真の愛、真の生命、真の血統は父母から相続します。したがって、サタンを父母として生まれた人類は、選択の余地なく偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を伝授されたのです。生まれながらにして体と心の葛藤の中で苦しみ、死ぬ瞬間までもその問題を解決できずに旅立っていくかわいそうな人間になってしまったのです。
堕落と復帰人間の中で神様の声を代弁している良心の声を無視し、サタンの走狗となっている肉身の欲望に従って、振り回されながら一生を生きているのが皆様自身の姿です。大部分の人は、自分がそのように寂しく無念な境遇に陥って生きているという事実さえ悟れずにいます。前後左右を見回しても、みな同じなので、自らの盲目的人生をごく当たり前のこととして受け入れて生きている、愚かで哀れな人間になってしまったのです。皆様はいつまで、この悲劇を好んで生きるのでしょうか。
「結者解之(キョルジャヘヂ)(自分の過ちは自分で解決すべき)」の原則に従い、人類は堕落のゆえに誤った偽りの結婚の根を抜いてしまわなければなりません。誤った愛によって堕落したために、偽りの愛の痕跡までもなくしてしまわなければならないという意味です。その土台の上に、神様の真の愛を中心とした真の祝福結婚を受けて、真の家庭を出発させなければなりません。子々孫々、罪のない真の子孫を繁殖できる、真の根を下ろさなければならないという意味です。
だからといって、誰でも望めばその目的を達成できるのではありません。数千、数万年の間、人類歴史が進行してきましたが、誰もこのような境地に到達して、人類を罪悪から救ってあげられなかったではないですか。歴史上、数え切れない浮き沈みを繰り返しながら発展してきた多くの宗教も、このような目的を成し遂げるためにそれぞれ努力してきましたが、結局、彼らも堕落性の壁を越えられず、挫折したり、迂回したりしてしまったのです。
しかし、神様は真の愛の父母であられます。人類歴史上、初めてイエス様に御自身のひとり子の資格を賦与し、この地に顕現させられました。救世主、メシヤの使命をもってこられたイエス様は、この天のみ旨を成し遂げてさしあげるために、三十三年の生涯を捧げられましたが、結局、途中で十字架の祭物として消えてしまいました。イエス様は完全な人間、すなわち完成した「後のアダム」の資格で御自身の新婦候補を訪ねてこられましたが、実際は、天が数千年を経て準備しておいたユダヤ教とイスラエルが、そのみ旨を推し量れないまま、かえってイエス様を十字架に追いやってしまいました。
罪のない純粋な天の真の愛の種として顕現されたイエス様も、その種をこの地に植えることもできないまま、再び天に帰ってしまわれたのです。この地で新婦を探し出し、天と地の前で「小羊の婚宴」を催して真の愛の家庭を立て、罪のない真の天の血統を繁殖させようとされたイエス様のみ旨は、結局、途中でこのように挫折してしまう結果となりました。
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