日付:二〇〇六年二月二日
場所:韓国、京畿道、一山、キンテックス
行事:第一回「天宙平和連合」世界大会
天宙的な理想郷に向かって、世界平和具現を成し遂げようと、地球星の至る所で並々ならぬ苦労を惜しまれない世界の指導者の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、「天宙平和連合」をモデル国際連合(国連)とし、全世界の各国が力を合わせて平和理想世界王国である「天一国」を創建していくために、「天宙平和統一家庭堂」を世界的次元に拡大、格上げし、「天一国平和統一堂」として生まれ変わらせる本大会に御出席なさろうと、数千、数万里を駆けつけてくださった皆様に感謝申し上げます。
皆様。二十一世紀に入った今日の人類は、実に歴史的な大転換期に置かれています。永遠の世界平和を定着させられるのか、あるいは、二十世紀まで反復してきた暗鬱な戦争と対決の歴史を再び繰り返すのかを決定せざるを得ない時点に来ているのです。
皆様も御存じのように、私は二十世紀に入って本格化した植民地争奪戦と第一次、第二次の世界大戦、韓半島における六・二五動乱、東西冷戦など、絶え間なく続いてきた戦争と反目の時代を経てきながら、生涯の全過程を神様の平和理想世界王国具現のために捧げてきました。その過程において私は、第二次世界大戦が終わって創設された国連が、永遠の世界平和実現のために、神様のみ旨を支えられる平和の機構となることを切に祈ってきました。しかし、一九四五年に創設された国連は、世界平和のために貢献した素晴らしい業績がないわけではありませんが、創設六十年を超えた今日の姿は、その本来の創設目的遂行において、深刻な困難を経験していることを、自他共に認めています。
加盟国が二百ヵ国に肉薄していますが、自国の権益ばかりを代弁し主張する国連代表部の役割は、今、世界紛争の解決と世界平和具現において、生まれながらにして抱える限界を露呈しています。したがって、きょう私は、昨年九月十二日、アメリカのニューヨークで出帆したのち、世界百二十ヵ国を巡回しながら宣布した「天宙平和連合」の創設メッセージを、もう一度天と地に宣布しようと思います。「神様の理想家庭と平和理想世界王国」という題名のみ言です。
神様の永遠の創造理想である平和理想世界の実現のために、カイン格である既存の国連の刷新とともに、新たな次元で平和理想世界王国の機能を発揮できる天宙的次元のアベル格の国連の立場にあるのが、正に「天宙平和連合」です。この創設メッセージこそ、全人類が胸深く刻み、後天時代を生きていく座右の銘として、実践躬行するために下さった天の特別な祝福であると同時に、警告なのです。
尊敬する世界の指導者の皆様。神様が人間を創造した究極的な目的は、どこにあると思われますか。それは真の愛を中心とした理想家庭の完成を通して、喜びを感じることでした。それでは、理想家庭とはどのような姿でしょうか。神様が創造された最初の人間は、男性格を代表したモデルであるアダムと女性格を代表したモデルであるエバでした。彼らが真の愛の表題となる人格者と主人になる道は、どのような道だったのでしょうか。一言で言えば、神様を父として侍って暮らせる、父母と子女の関係を確保するモデル的な平和理想家庭でした。神様と一つの家族を形成し、永遠に喜びを感じながら暮らす道だという意味です。
皆様も、祈祷を通して神秘的な境地に入っていき、この宇宙の中心が何かと尋ねてみてください。「父子関係」という答えを聞くでしょう。父母と子女の関係以上に重要で貴いものはないというのです。これが、この宇宙を創造された神様と人間の根本関係だからです。
それでは、父子の関係がもっている特性とは何でしょうか。真の愛、真の生命、真の血統の関係です。真の父母の真の愛が前提とならなければ、私たちの真の生命は存在できません。すなわち、神様のみ前において人間は、絶対的な真の愛の相対として創造されたというのです。そこが正に、神様は父となり、人間は息子、娘となる軸が立てられる所なのです。もし、それよりもっと高く貴い位置があれば、人間の欲望は、またそこを追求するでしょう。しかし、そのような所はありません。全知全能であられる神様が、最高の位置は御自身のために隠しておき、御自身の子女であり、愛の絶対相対者であるアダムとエバを、二番目に良い位置に立てて創造したとは、想像することもできません。
私たちの永遠の真の父母であられる神様は、一〇〇パーセント、御自身の全体を投入して人間を創造され、同位権、同参権、同居権、相続権を賦与されました。神様のすべての属性を下さったというのです。
神様がいくら絶対者だとしても、御自身一人では幸福になれません。「良い」という言葉や「幸福だ」という言葉は、一人では成立しない言葉です。必ず相対的関係を備えたところであってこそ成立するのです。一生を声楽家として生きてきた人でも、無人島に捨てられて、一人で喉が張り裂けるほど歌を歌ったとして、幸福でしょうか。自存なさる神様も、喜び、幸福であるためには、必ず与え合うことができる愛の相対が必要だというのです。
それでは、絶対者であられる神様に喜びをお返しすべき相対者としての人間は、どのような姿でなければならないのでしょうか。神様が「息子よ、娘よ」と呼ぶことができ、御自身と同格の位置に立て、共に創造の偉業を完成でき、天地万物をすべて相続させてあげられる子女の姿は、どのような姿でなければならないかというのです。神様が創造の理想的出発点をどこに置かれたのか、御存じですか。「相対のために存在する」という原則に、御自身の理想的出発点を立てたのです。言い換えれば、真の愛の希望的相対のための実践が、神様の創造の出発の核だというのです。
したがって、神様の子女である人間の責任は、何よりもまず神様に似ることです。孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たす真の愛の化身になりなさいというのです。神様の深い心情の内情を知って、アダムとエバの堕落以来、数千、数万年を苦痛の中で生きてこられた神様の恨を解いてさしあげなければならないというのです。
全能であられる神様が、苦痛の場から抜け出せず、歴史の背後で受難に耐えてこられたのは、神様が愚かで能力がないからではありません。堕落によって失われたアダムとエバの本然の位置、すなわち完成した「後のアダム」の顕現を待たなければならない、復帰摂理に絡まった言うに言えない事情があったからです。いくら全権をもった神様だとしても、御自身自ら永遠の基準の上に立てた天理原則を無視することはできなかったのです。
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