皆様。人間には体と心があり、心の上には霊人体があって、その霊人体が入っていって暮らす霊界はもちろん、肉身が暮らしている現実世界のどこにでも神様は遍在されます。そして、人間は真の愛を通して神様と完全に一つになるとき、完全な人になるのです。このような観点から、完全な人とは、たとえ小さな個体の姿だったとしても、歴史全体を代表する存在であり、また、未来のすべての関係を代表する存在なので、天宙的な価値をもつようになるのです。私たちが本当に人間のこのような天宙的な価値を知るならば、生きていくにおいて、心を先に立てて従っていき、絶対「性」を完成する人生を生きるべきだという点が明確になるでしょう。
ですから、皆様の良心は、皆様のすべての言行はもちろん、考えまでも感知して、知っているのです。師よりも先に知り、父母よりも先に知り、神様よりも先に知るのです。したがって、永遠の師である良心の命令に絶対服従しながら生きさえすれば、皆様の永生は絶対に保障されます。神様の創造がそのようになっているのです。
人間の構造をよく見てみると神様は本来、人間を二重構造で創造されたことが分かります。有形世界である現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり主人として立てるために、霊人体を創造されました。したがって、人間は地上界で百年くらい生きて肉身の機能が尽きれば、自然に、そして自動的に無形世界である霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長にすぎないのです。神様が創造してくださった、人間の永遠な本郷です。
霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。神様が永遠で不変な方であるように、御自身が創造された霊界も永遠で不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結びながら暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持しながら生きていかなければならない宿命的存在です。
ところで、人間の霊人体と肉身の関係について見るとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらい生きれば死にますが、霊人体は、時間と空間を超越して永生するのです。いくら地上界で良い服を着て良い物を食べ、豊かに慕らす人でも、結局は死ぬのではないでしょうか。したがって皆様の人生は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が合わさった完成実体となって暮らしてから逝かなければなりません。現象世界であり、有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させる責任があるということです。ところが、霊人体の完成は自動的にやって来るのではありません。必ず真の愛の実践を通して、体と心が完全一体となった生活の土台の上でこそ、完熟した霊人体が結果として実っていくのです。
皆様。秋になって、食庫に入るよく熟した果物になるためには、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と主人の細やかな世話が絶対に必要です。怠惰で無知な主人に出会った果樹園の果物は、様々な疾病と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果したり、虫に食われた果物として選別されたりしてしまうでしょう。果物は果物ですが、すべてが同じ果物なのではありません。すべての果物が、市場に出して売れる完成品になるわけではないのです。
木の上で完熟した果物は、そのまま主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場である地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわち、この地に天国を築き、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるというのです。地上界で暮らす間、皆様の一挙手一投足は、このような天の公法を基準として、一つ残らず皆様の霊人体に記録されます。したがって、霊界に入っていく皆様は、肉界での人生を一〇〇パーセント収録した霊人体の姿なのです。よく熟した善の人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生だったのかは、皆様の霊人体に赤裸々に現れます。神様が皆様の審判主ではなく、皆様自らが自身の審判官になるという意味です。
このような途方もなく恐ろしい天理を知れば、どうしてあえて、地上界の人生を、あらゆるサタンの誘惑に陥り、利己的で快楽ばかりを追い求める背徳の人生として終えることができるでしょうか。皆様の霊人体に傷を負わせ、傷跡をつけることは、命を懸けて慎まなければなりません。天国行きと地獄行きが、きょうこの時間、皆様の考えと言行で決定されるという事実を、はっきりと肝に銘じてくださるようにお願いします。
しかし、皆様の人生をよく見れば、外なる人と内なる人が絶えず葛藤し、闘っていることを否定できないでしょう。あとどのくらいこの争いを継続されますか。十年ですか、百年ですか。宇宙のすべての存在には、厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間をそのように不完全な状態で創造されてはいないというのです。外なる人である肉身の誘惑を果敢に振り切って、内なる人である良心の道に従って絶対「性」を完成し、人生の勝利を達成することが、皆様の人間としての義務であり、責任であることを知らなければなりません。このような人生を生きる人には天運が共にあり、霊人体も完成できるのです。
天国と家庭皆様。天国はどのような所だと思いますか。一言で言えば、天国とは神様の真の愛が満ちあふれ、真の愛が軸となって立てられた世界です。真の愛がすべての環境圏の外形であり、内容である世界です。人生の始まりと終わりが真の愛で一貫している世界です。誰もが真の愛によって生まれ、真の愛の中で生き、真の愛の懐に抱かれ、真の愛の軌道に沿って、次の世界である霊界に移っていく人生を生きる人々の世界です。したがって、その世界には反目や妬みがあり得ず、お互いがために生き、与え合うことが自然に行われる世界です。お金や名誉、または権力が支配する、そのような世界ではありません。一人が成功するのは全体を代表して成功することであり、一人がうれしく思うのは全体のためにうれしく思うことであり、一人が喜べば全体が共に喜ぶ、そのような姿の世界です。
天国は、真の愛の空気でいっぱいに満ちている世界です。真の愛を呼吸しながら暮らす世界です。いつどこでも、生命が躍動する世界です。すべての構成員が、真の神様の血縁として関係を結んでいる世界です。全世界が私たちの体の細胞のように、不可分の関係で結ばれている所です。天国は、神様の本質的愛である真の愛だけが治める世界です。したがって、神様も真の愛のために存在されるのです。
皆様が失われた本然の家族を訪ねていくときは、アダム完成の位置で、イエス様完成の位置で、そして再臨主を代表する完成した位置で行かなければなりません。その家庭には、神様が臨在されるでしょう。祖父母、父母、子女が共に調和して暮らす三代の家族になるでしょう。祖父を歴史的な先祖の根として侍り、暮らさなければなりません。
皆様。共に暮らす人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹は互いに信じて助け合いながら一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根から真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を探し立てなければならないという意味です。このように、祖父母、父母、子女を中心として、三代が一つの家庭で、永存なさる神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。
皆様、神様も、どこかへ外出しても懐かしく思い、再び訪ねてこられる家庭を探し立てなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねてくる家庭を準備しなさいというのです。それが正に、神様に侍って暮らす生活です。このような家庭では、神様が縦的に良心的な主体となり、その縦的主体に従って皆様の体と心が統一されるのです。
そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛など、四大愛圏である四大心情圏が完成するのです。このような家庭でこそ、上下、左右、前後が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、したがって、永存する神様のモデル的理想家庭と理想国家と平和理想王国になるのです。もし全世界が、このような真の家庭ばかりで満たされるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める、道理に従う世界となるでしょう。
皆様も一度考えてみてください。誰が皆様の善し悪しを一番よく知っていますか。皆様の祖父母であり、父母であり、皆様の夫、皆様の妻、皆様の子女たちです。
家庭の中で解決できないことがあるでしょうか。父母と子女が、夫と妻が、兄と弟が互いにために生きる人生の模範を見せるとき、許し難い過ちがどこにあり、罪を犯す隙間がどこにあるでしょうか。天理と天道が治める世界は、自然な世界です。遮るもののない真理と道理に従う世界です。影が生じない、絶対価値による正午定着の世界です。
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