第二は、夫婦間において、生命よりも貴く守るべき絶対モデル「性」、すなわち絶対貞節の天法です。夫婦は、天が定めてくれた永遠の伴侶であり、子女を生むことによって真の愛、真の生命、真の血統を創造する共同創造主の絶対、唯一、不変、永遠性の本源地なのです。
一人では、千年生きても子女を生めないというのが天理だからです。婚前純潔を守り、純粋な天の夫婦として結ばれた人たちが、どうして天道を外れて浮気をすることができるでしょうか。神様が人間を御自身の子女として創造されたそのみ旨を知っているなら、想像することもできない背信と悖逆(はいぎゃく)であり、自ら破滅の墓を掘る道です。人間堕落の結果としてもたらされた創造理想圏外の結果です。
皆様。絶対「性」は、このように天が人間に賦与された最高の祝福です。絶対「性」の基準を固守しなければ、人格完成、すなわち完成人間の道が不可能だからです。さらには、神様も人格神、実体神の位置を立てるためには、完成人間を通して真の家庭的絶対「性」の基盤を確保しなければ、不可能だからです。
絶対者であられる神様が、私たちの人生を直接主管され、私たちと同居し、共に楽しまれるためには、御自身の対象であり、子女として創造した人間が、神様のように絶対「性」的基準で完成した家庭の姿を備えなければなりません。絶対「性」を中心とした家庭という範疇の中でこそ、祖父母、父母、子女までの三代圏を含んだ、人間の本然の人生の理想的モデル「性」の関係が創出されるのです。この基台の上でこそ、神様の永生はもちろん、人間の永生も可能になることをはっきりと知ってくださるようにお願いします。
したがって、絶対「性」を中心としたアダムとエバが、神様のみ旨のとおりに個人完成、すなわち人格完成を成し遂げ、神様の祝福の中で夫婦関係を結び、神様との完全一体を成し遂げていたならば、神様が彼らの中に臨在できる関係が決定されていたでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の関係を結べる愛の基準が連結されていたでしょう。言い換えれば、完成したアダムとエバの絶対「性」を中心とした結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバが神様の体になって、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形と無形の二つの世界で絶対「性」を中心とした、人類の真の父母になっていたでしょう。
それでは、アダムとエバの堕落以来、歴史を通して神様の胸に最も痛む恨として残されてきたものが何であるか、御存じでしょうか。天の血統権を失ってしまい、兄弟権と所有権まで失ってしまった事件です。生命とも取り替えられないこの血統を失ってしまいました。真の生命と真の愛の実を結べなかったというのです。地球星を覆つている六十五億の人類が、神様とは何の関係もないサタンの実に転落してしまったのです。
血統の重要性と真の愛皆様。生命より貴く、愛ょりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。この中で、生命がなくてもできず、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その結実が血統だということです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っており、真の生命の体が生きています。
したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国である理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このように絶対「性」の関係を通して創建されるのです。
皆様。血統の重要性は、いくら強調しても足らないことを肝に銘じてください。父子の関係こそ、あらゆる関係の中で最高、最上の関係だからです。神様の血統を伝授してあげ、永存させる唯一の道は、正に父母と子女のモデル血統関係しかないという事実を、はっきりと知らなければなりません。
しかしその場に現れたのは、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でした。神様の愛と生命、そして血統が、愛の怨讐である姦夫、サタンの所有権に落ちてしまったのです。天地が真っ暗になって地獄に変わってしまい、神様までもいなくなった、そのような凄絶な世界になってしまった事実を、人間は今まで知らずに生きてきたのです。怨讐の血統が生命線であるかのように錯覚し、そこに命を懸けて生きている群像が、今日の堕落の後裔となった人類の哀れな姿です。それで、この世界を地上地獄と呼ぶのです。
このような悲惨な姿を見つめられる神様の胸は、どれほど痛んだことでしょうか。堕落によって血統権、長子権、所有権がサタンの手中に落ちてしまったのです。愛する子女に相続させてあげるために、一生の間、汗を流して集めた財産を、一晩のうちに強盗に根こそぎ奪われてしまった父母の立場になってしまったのです。このように、サタンに血統権を奪われ、子女を失い、すべての国と世界の所有権まで差し出してしまった神様の悲しく無念な心情を知る人がいなかったというのです。
皆様。真の父母の使命を完遂すべきレバレンド・ムーンの生涯もまた、言い表せない苦難と迫害で綴られた恨の生涯でした。第一アダムと第二アダムが失敗したすべてのものを蕩減復帰し、完成すべき第三アダムである真の父母の使命は、救世主、メシヤ、再臨主の使命はもちろん、すべての教主の使命までも総体的に完遂しなければならない人生なのです。
神様の宇宙創造がそうだったように、それは少しの誤差も許容できない人類再創造の大役事でした。どこの誰とも相談できない孤独な路程でした。神様までも顧みられず、徹底して独りで訪ねていかなければならない茨の荒野路程でした。数えきれないほど反復される生死の岐路で血を吐きながらも、天との約束を成し遂げるため、不死鳥のように再び立ち上がってモデル「性」を立てなければならなかった人生でした。
かつて日本留学時代に地下で独立運動を行っていたとして、また解放直後、共産治下の平壌で天のみ言を伝播していた時、そして自由国家として誕生した李承晩政権下においても、さらには、民主主義の世界的な代表国であると誇るアメリカにおいてさえも獄中の苦労を経験するなど、一生に六度も無実の獄中闘争を経なければならなかったレバレンド•ムーンの波瀾万丈の人生、すなわちモデルとしての「性」を完成するための人生を、誰か理解する人がいたでしょうか。
かわいそうな天のために、そして死亡圏で苦しむ堕落した人類を救ってあげるために、歯を食いしばって耐えて生きてきた悲惨な生涯でした。今でも誰かが、私のこのような心情の内情を見つめ、一言でも投げかければ、私の涙は滝のように流れるでしょう。
血統権と長子権、そして所有権を再び取り戻せる道は、サタンを自然屈伏させる道しかありません。サタンを自然屈伏させる秘法は何でしょうか。怨讐を自分の子女よりもっと愛する真の愛の力によって、初めて可能なのです。
それでは、真の愛とは、どのような愛なのでしょうか。真の愛は、受けようという愛ではなく、他のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたということ自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を懐に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。
真の愛によって結ばれれば、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張ればついてくる愛です。堕落の後裔となった人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終息させる力をもっていることが、真の愛の価値です。
神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、誰でもこの真の愛を実践躬行するとき、神様と同居して共に楽しむようになり、同参権と相続権まで享受するようになるのです。このように、天国に入っていく絶対必要条件が、正にために生きる人生、すなわち真の愛の人生だというのです。
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