私たちは、心情を離れては生きられません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもっていたとしても、心情的な喜びを表せる所がなければ、生きられないのです。自分が率いる人々や閣僚、もしくは追従する人々に対しては、心情的な満足を感じられません。それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じなければなりません。そうして、その喜びを他の人に誇れなければならないのです。その喜びは、一次的な喜びであって、二次的な喜びではありません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭のない神様は喜べないというのです。結局、家庭がなければならないのです。
家庭では父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では師を中心としなければなりません。父母は自分にお乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、このようにして情緒的な面を助けてくれるのです。それでは、学校とは何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練させる所です。家庭が情緒的な訓練場であれば、学校は社会生活のための実験的な訓練場です。だからといって、社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのかと言えば、国に帰結するのです。
国には国王がいます。人々がみな、大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってから、その次にどこに行くのかと言えば、より大きな所に行くのです。大統領と言えば、蘇生と長成の段階を越えて、三つ目の完成段階の結実です。種は根から始まって、循環作用をして分かれます。分かれてから再び合わさり、花が咲いて実を結ぶのです。そのため、学校は国のための貴重な棟梁、すなわち人材を養成し、国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強は、訓練です。ですから、学校は訓練場であり実験場です。訓練は、実戦ではなく準備段階です。準備を誤ってはいけません。
家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから、愛情をもって兄弟のように学校で生きなければならず、愛情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のそのような教育は、学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるというのです。父母は、情緒的なすべてのものを子女たちに伝授してあげなければなりません。父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きるべきであり、社会ではこのように生きるべきであり、国のためにはこのように生きるべきであるという情緒的基盤をつくってあげなければならないのです。
皆様が家庭を見るとき、家が良く、その周りの環境が良いからといって、良いのではありません。反対に、いくら環境が悪く、家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の生涯と生活のすべての基準を関係づけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、父母と子女の間に、互いにために生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので、私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。
人間の永遠の本郷は家庭家庭は良い所です。なぜ良いのでしょうか。母と父がいるから良い所であり、姉や兄がいるから良い所であり、弟や妹がいるから良い所であり、親戚がいるから良い所です。ですから、人間なら誰でも本郷の地、すなわち故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっています。国よりも故郷にもっと思いを馳せるのです。大韓民国が好きでありながら、大韓民国に住みたいと思いながら、また大韓民国で暮らしながらも、懐かしく思う所は故郷です。故郷は、自分の心情を四方に、立体的にすべて引き上げる所です。
その心情は、愛によって結びつけられています。上には母と父が結びつけられており、左右には夫婦の関係が結びつけられており、下には息子、娘、親戚が立体的な愛によって固く結びつけられているところが本郷です。人は、真の愛を中心として幸福の基点を最高に求めるので、本郷を慕わざるを得ないのです。
それでは、神様の本郷はどこでしょうか。この地球星において、神様の本郷の地はどこなのでしょうか。愛の神様であれば、この地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですが、その基点はどこかというのです。それを知るためには、神様がその基点を整えるために、どのように準備してこられたのかを知らなければなりません。神様の家庭を整えられる、本郷の基点になる所は、他の所ではありません。神様を本当の父だと知っている息子がいる所です。すなわち、神様の愛を独占できる息子、ひとり子がいる所です。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して、完全な家庭を築く所です。
それでは、その本郷の地には、誰がいなければならないのでしょうか。会いたい人々がいなければなりません。父母がいらっしゃらなければならず、兄弟がいなければなりません。そして、会いたい人がいなければなりません。また、そこで一緒に暮らしたいのですが、一瞬だけではなく、永遠に一緒に暮らしても嫌にはなりません。そのような所を訪ねていかなければなりません。そこが、宗教で目指す天国です。
私たちが本郷の地を慕うのは、その本郷にどこの誰よりも近い父母がいて、兄弟がいて、親戚がいて、いつも私を導いてくれ、また私がいつどのようなときに訪ねていっても、私を昔のように迎えてくれ、私が困難に遭えば、その大変な事情に同情しながら慰労してくれ、私を喜んで迎えてくれるからです。もしそうでなければ、本郷が懐かしく、喜んで訪ねていっても、切実に慕っていた当時の心情は消え、かえって嘆息の思いをもって帰ってくるというのです。本郷の地には、必ず迎えてくれる人がいなければなりません。
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