愛するお父様、天が辱めを受けることがあってはならないと思い、幼い頃から今まで闘ってきた私を守ってくださったお父様の恩賜に、感謝申し上げます。この地において何が良いといっても、お父様が運行される本然の心情に連結されたこと以上に貴い基準がないことを知っております。その立場を限りなく慕わなければなりません。お父様の真の愛に触れた人は、世の中の万事を捨てたとしても未練がない立場にあることを、私たちは知らなければなりません。第三の生の自由権限を手にできる解放児として出生するその日を、今日、この地上世界において準備しなければなりません。
愛するお父様、私たちが新しい春を迎えるためには、私の生命が同化される関係を備え、そこに完全に吸収されなければならないということを知っております。そうしてこそ、初めて春を迎え、花を咲かすことができるという事実を知らなければなりません。「一生において、あるひととき春を迎えたことがあるか」と聞かれ、「迎えたことがある」と答えられない、哀れな霊になってはいけません。
愛するお父様、お父様をお迎えし、慎ましく敬拝を捧げたいという思いのない人は、永遠なあの世でお父様と関係を結べないことが分かるようにしてください。今、私たちが心の門を開き、お父様の心情を感じられるようにしてくださり、今日、私たちの心からあふれ出るお父様のみ声を聞いて、失った自分自身を探し出せるようにしてください。お父様が私一人を探すために、私の背後であらゆる艱難と苦労の歴史過程を経てきたことを感じ、自ら頭を垂れる私たちとなれるよう、許諾してください!
死に対する理解この地上には父母がいて、師がいて、親戚がいます。この地には、そのような関係を結んでいける道がありますが、霊界にはそのようなものがありません。霊界では、誰もが神様を中心として、全体のために生きるのです。位置がすべて区別されています。ですから、上にいる人が下に来ることもできず、下にいる人が上に行くことも難しいのです。本来は、地上で完成してこそ霊界に行けるようになっています。一度あの世に入れば、終わりです。いずれにせよ、人間は死ぬのです。
生涯の路程は、あまりにも短いのです。一生はあまりにも短いのです。人の寿命が八十年だとすると、あまりにも短いというのです。霊界の時間では、すなわち永遠の世界の時間で考えれば、八時間にもなりません。ですから、真の愛の力は偉大です。真の愛は時間と空間を超越し、私たちが認識できないほど速く作用します。
間違いなく霊界はあります。間違いなく霊界は実在し、私たち人間は神様から生まれたので、いずれ神様がおられる霊界に帰らざるを得ません。韓国語の中でおもしろいのが、「トラガンダ(帰る、亡くなる)」という言葉です。どこに帰るのでしょうか。墓地に行くのは、帰ることではありません。出発した故郷に帰るということです。その出発地は、墓地ではないというのです。果てしなく遠い歴史の起源を越えて、帰るという意味です。
人間が帰る(亡くなる)ということは、韓国人として生まれて、韓国人として帰る(亡くなる)ことを言うのではありません。韓国人として死にましたが、韓国人として帰るその道ではないというのです。私たち人類の先祖の根源の世界に帰るという意味です。それは何を意味するのでしょうか。創造主がいらっしゃるのであれば、その創造主がいらっしゃる所に帰るということです。そこから出発したので、そこに帰るというのです。
宇宙は循環作用をします。山に積もっていた雪が溶ければ、小さな沢を通じて流れていき、多くの支流を通じて大海に流れ込みます。大海に入れば、それが水蒸気になって、再び帰るのです。循環運動をします。同じように、帰るとすれば、どこに帰るのでしょうか。より高くなる所に、より良くなる所に帰ることを願うのです。誰も小さくなることは願いません。しかし、すべての自然界の運動する力というものは、作用すれば小さくなるようになっています。作用すれば、だんだん小さくなるというのです。私たちが何かを転がしてみても、それが永遠に転がるのではありません。早く転がっていた物も、だんだん遅くなり停止するようになるのです。
私たちはこの世に暮らしていますが、この世だけがあるのではなく、霊界があります。ところが、この地上界と霊界は二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。それでは、私たちが行くべき所、私たちが行って暮らすべき所とは、どこでしょうか。もちろん私たちは、肉身生活をしながらこの地にいますが、永遠の世界に向かっているのです。人は誰しも、世の中に生まれて、十代、二十代、三十代、中年、壮年、老年時代を経ていきます。青春時代を過ごして壮年時代に入れば、一つの峠を越えて、その次には老年時代に入るのです。このように、沈む太陽のように一生を終えるのです。しかし、霊界があるという事実を知る人々は、一生というものがわずかな間であり、死んだのちに私たちが迎えるべき世界は永遠であるということを知っています。そのため、一生は永遠の世界のために準備する期間であることを知って、準備する生活をするのです。
「死」という単語を使った目的は、人生の意味を知るためです。それでは、人生の価値は誰がよく知っているのでしょうか。ただ生きようとする人には分かりません。死の境地に入って、生死の岐路で天にすがり、人生の価値を判断して極めようとした人でなければ分からないのです。
人間は、死を歓迎すべきでしょうか、歓迎してはならないでしょうか。歓迎すべきです。死ぬ時に、何のために死ぬのかといえば、「神様の真の愛のために死ぬ」と言わなければなりません。それゆえ、肉身を脱ぐのは、無限な神様の愛の活動圏に私が同参するためであり、神様の愛の世界のためなのです。
死ぬことは、神様の愛の中で再び生まれることですが、人間世界では「ああ、死ぬ!」と大騒ぎします。制限された愛の圏内から、無制限の愛の圏内に突入できる喜びを迎えられる瞬間が、死ぬ瞬間です。ですから、死ぬ瞬間は第二の出生の瞬間です。それでは、神様は皆様の肉身が生まれた日を喜ぶでしょうか、第二の無限世界の愛のために活動する息子、娘として生まれるその瞬間を喜ぶでしょうか。なぜこのような話をするのか分かりますか。皆様が死の恐怖から解放されなければ、神様と関係を結べないからです。
三段階の人生行路人の一生は、蘇生、長成、完成の三段階を経ていきます。腹中の水の世界、地上の陸地世界、天上の空中世界で暮らすのです。言い換えれば、母親の腹中の水の時代、地上に生まれて生きる百年の地の時代、飛んでいく空中の霊界時代、このように三時代を経るのです。
人は生まれるとき、水の中で生まれます。腹中時代は、水中時代です。胎児が母親の胎中にいるときは、水の中にいます。水の中で暮らすために、水を飲んでは吐き出さなければなりません。それで胎児はホースを母親のおなかに連結して生きるのです。胎児は、どこから栄養分を供給されますか。へそから供給されます。へそが口なのです。ですから、それをぞんざいに扱ってはいけません。「へそよ、お前は昔、苦労した」と言ってたたいてあげなさいというのです。へそをたくさんたたいてあげれば、健康になります。そのように運動しなさいというのです。へその運動をたくさんすれば、健康になります。いくら寒い部屋で寝るとしても、へそさえきちんと覆いかぶせて寝れば、下痢しません。
腹中での皆様の口はへそです。その次の段階の口は何でしょうか。皆様が食べ物を食べる口です。口がついている場所が上がるのです。それでは、へそについているへその緒を、どのようにすべきでしょうか。切ってしまわなければなりません。同じことです。
空気の世界では、霊人体が肉身に宿って胎児のように成長していくのです。そうして肉身が老いれば、それを捨てて霊人体が出ていくのです。ちょうど胎児が生まれて、父母の前に愛の対象となるように、霊人体が霊的父である永遠の神様と相対できる人として、再び愛で呼吸する世界に生まれなければならないのが、原理原則です。
父母と愛し合う地上世界に生まれるのと同じように、霊的な無限の世界の父母であられる神様と愛を分かち合える霊界に、再び生まれなければなりません。腹中から出て、何を発展させるのでしょうか。それは愛です。愛の要素を受けるというのです。だから御飯だけを食べていてはいけません。御飯だけを食べているのでは生きているとは言えません。第二段階の人生を、愛を中心に生きなければなりません。したがって、地上生活では何を満たすべきでしょうか。この期間には、新しい愛の人格を形成しなければなりません。
この地上で、皆様に必要なものは愛です。母と父の愛を受けられなかった子女を、なぜ、孤児と言うのでしょうか。霊界と永遠に連結させる愛を受けられずに生きるからです。それで、独身生活をする人を、「かわいそうだ」と言うのです。
死ぬというのは、第二の呼吸をしていた肉体に連結された器官を壊して、霊界における愛の要素を受け継ぐことです。愛は見えません。父母の愛、夫婦の愛を中心として、一つの内的な構造が育っているというのです。ですから、神様の法則どおりに胎内で正常な赤ん坊として育つのと同じように、地上でも天理に従ってしっかりと育たなければなりません。
昆虫類の中には、三段階の世界を経るものがたくさんいます。昆虫と言えば大概、羽があります。昆虫も水と陸地と空中で暮らすのですが、万物の霊長である私たち人間には羽があるでしょうか。次元の高い羽があるというのです。肉身の死は、第二の出生の恵みの関門です。死ぬということはどういうことでしょうか。地上生活は、空気中において「胎中で泳ぎ回って暮らすこと」と同じです。空気のふろしきの中で暮らしているのです。死ぬというのは特別なことではなく、霊界での第三の人生として出生することなのです。その瞬間が、死ぬ時間です。
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