皆様は原理を学んで知っているかもしれませんが、生心とは何でしょうか。生心とは、心と霊が合わさって、新しく一つの目的に向かって動くものです。神様を中心として私たちの良心と一つになり、理想的な自分をつくり出せる動機的な心です。ですから、その生心がなければ、霊界と真の愛と関係を結べる、自らの根源を探し出せないのです。生心が私に生じれば、体も喜び、すべてそれについていきます。自動的にこれが一つになるのです。今に至るまで、人間にとって一番問題となることは、体と心が互いに離れているということです。霊的な力が私に臨み、生心的な起源さえできれば、心と体が自然に一つになるのです。そのような根本から革命が起こり、根本から是正する根源を発見できない限り、私たちは理想を訪ねていく道理がありません。動機があってこそ結果が出てきます。宗教は生心を啓発しようということです。生心を中心として、数多くの宗教があります。ありとあらゆる形態が、すべてあるのです。
神様は、尊厳あるお方です。霊界と肉界は一体にならなければなりません。真の愛が現れなかったために、霊界と肉界が統一できなかったのであり、真の愛が現れなかったために、心と体が分かれたのであり、真の愛が立たなかったために、宗教と政治が分かれたのです。真の愛を中心として、すべて一つになるのです。個人、家庭、社会、国家、世界、天宙が、すべて連結されます。私たちの手で、そのようにしなければなりません。そのようにしなければ、本然の天上天国と地上天国を相続できないのです。霊界と肉界の一致をどのように成し遂げるのでしょうか。真の愛によって一つにするのです。
世界人類の中で、霊界を知らない人は数多くいます。神様を信じる人々も、「霊界はあるだろうか、神様はいらっしゃるだろうか」と言いながら、はっきり分からずにいるのです。しかし、霊界はあります。世の中のお金持ちがこれから幸福の園を造ろうというとき、自分のすべての財産をつぎ込んでも造りたい気持ちがあるのと同じように、天地を創造された神様は、御自身の住む所をどのようにお造りになったのでしょうか。霊界は、どの部分を探して凝視しても、千年眺めても飽きない美しい世界です。想像を絶しています。世界で最も良いものがあるとしても、霊界に比べれば何でもありません。霊界の一角にもなれません。ですから欲しいのは、この地上ではありません。先生に言わせれば、この地上は神様の願いにかなっていないので、帰りたいのです。
一般の人の大部分は、今も霊界を考えません。「生まれたので、ただ父母に侍って家庭で暮らしている。このように生まれたから、このように生きる」と思って生きています。そのように生きるすべての生活の中心は何でしょうか。どのように食べ、どのように暮らすかということです。ですから、一番重要なことを衣食住と捉えています。どのように住むかという問題、どのように食べるかという問題、どのように装って暮らすかという問題、これが中心です。もちろんそこには、人間関係において人倫と道徳があって向上する、互いが発展し互いが喜べる内容がありますが、その道徳基準が異なり、民族が異なり、国家が異なり、世界のすべての文化背景の違いによって、生活基準や社会制度がすべて異なるのです。このように見ると人間が探し出すべき本然の基準、すなわち創造本然の基準と今日、私たちが暮らしている生活の標準として立てていく人倫と道徳の基準の間には、途方もない差があります。これが一つに収拾されずにいるのです。
本然の世界に基づいて、私たちが生まれ、生きてから、行くべき所はどこでしょうか。これがはっきりしていません。ですから一般の人たちは、霊界があるのかないのか、神様がいるのかいないのか、分からずにいるのです。しかし、「統一原理」を学んだ人たちは、霊界が確実にあることを知っています。信じているだけではなく、知っているのです。なぜでしょうか。多くの体験を通じて知るのです。今日、統一教会が世界的な基盤を形成するに至った背後を調べてみるとき、多くの体験過程を経てきたというのです。そのため、霊界がないとは言えない立場にいる人々が、「統一原理」を知る人々です。
「統一原理」を知っている人々は、どのような道を行くべきでしょうか。神様が願う道に従っていかなければなりません。天意の道に従っていくのです。天意とは何でしょうか。個人が行くべき天意の道があり、家庭が行くべき天意の道があります。そして、社会、国家、世界、霊界が行くべき天意の道があります。霊界は、間違いなくあるのです。
神様がいて、霊界があるなら、どのようになるでしょうか。ある人は、「神様がいるとしても私たちとは関係ない」と思うかもしれませんが、それは誤った考えです。「霊界があるとしても私とは関係ない」と言うのは、まるで「私は家庭の一員であって、国は必要なく、世界も必要ない」と言うのと同じです。そのため、より大きい神様がいて、より大きい霊界があるとすれば、より大きいものと関係を結ぶことを、私は願うのです。関係しているだけでなく、関係して何をすべきなのでしょうか。一つにならなければなりません。一つの目的に向かって行かなければならないのです。
使徒パウロが霊界の第三の天(コリントII一二•二)を見て体験したことが、彼にとって根気強く宣教活動を続けることができた原動力になりました。そのような体験がなければなりません。先生もそれと同じです。
先生は、死を恐れません。何がそのようにしたのでしょうか。愛です。いくら獄中に放り込まれても、先生は消化できます。ですから今日、このように反対する環境を消化して、屈服させてきたのです。私の手ですべて屈服させたのです。
霊界の創造霊界は天使世界に相当します。そして、今日の世の中は、アダムとエバのような立場にあります。ところで、霊界は、アダム、エバを造る前に造られました。霊界が神様のみ旨に反対することによってサタン世界が生じたので、霊界が神様のみ旨を歓迎してこそ、その世界が復帰されるのです。また、霊界を屈服させなければ、地上世界に主が来られません。それで、統一教会が今まで霊界を屈服させてきたので、霊界は統一教会に協助しなければならないのです。
霊界は、皆様の体の中にもあります。ですから、皆様は常に霊界を背負って歩き、連れて歩いているのです。したがって、逃げることはできません。
霊界はあります。霊界はこの世界のためにあるのです。また、この世界は永遠の世界のためにあります。「世の中のどこに神様がいて、霊界がどこにあるのか」と言うかもしれませんが、神様のいらっしゃる所が霊界です。
私たちの人生が七、八十年で終わるとすれば特に問題はありませんが、永遠の生を中心として生きていくので深刻です。それでは、霊界があると言うとき、死後に霊界に行くとすれば、何をもって行くのでしょうか。真の愛を実践する生活をしなければ、霊界と関係を結べません。霊界は広大な世界です。皆様は知りませんが、広大無辺な世界です。霊界という所は、愛の電気で満ちあふれた世界です。愛の電気をもってすれば、できないことがありません。私たちの意識構造をもって治めることができる圏内が霊界だと言えます。霊界は永遠の要素を願う所です。霊界は、すべてのものが愛で満ちあふれた調和の世界です。ですから、愛のボタンを押せば、宇宙が作動するのです。
地上天国はどのような所でしょうか。すべての愛の電球に、明かりをともせる所です。それでは、天上天国はどのような所でしょうか。愛の電球に、明かりを永遠にともせる所が天上天国です。そのため、皆様が愛の心さえ抱いて、愛の綱さえ引けば、すべて引っ張られてくるのです。後ろに引けば後ろに行き、横に引けば横に行きます。思いどおりに操縦できるのです。嫌でそのようにするのではなく、自動的にそのようになるというのです。ですから、霊界という所は愛の空気で満ちあふれた所です。愛の神様が愛の心で、世界人類に対して一度にすべて食べさせて喜ばせたいと思って、「御飯よ、出てきなさい!」と言えば、出てくるのです。
霊界では、愛の食べ物を食べます。互いを見るのも、愛の目で見るのです。そして、言い表せないほど神秘的な所です。何かを聞いても、ひたすら聞き続けたいと思う、眠気や疲れという観念がない所です。今日、人間は何であってもすべて、愛と関係を結ぼうとします。なぜ、愛と関係を結ぼうとするのでしょうか。霊界に拍子を合わせるためです。そのようになっているので、そこに応じるしかないのが人間という存在です。その位置を離れられないのです。
皆様が夢で先生に会う現象は、神様の愛の波長を通して現れるのです。そのためには、自分があってはいけません。自分を犠牲にしなさいというのです。真空状態をつくらなければなりません。真空状態になったあとには、共鳴圏をつくり、電気抵抗が最も少ない黄金にならなければなりません。黄金というのは、他の要素が混じっていません。純粋そのままです。
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