日付:一九八五年十一月二十九日
場所:アメリカ、ヒューストン、インターコンチネンタル•ホテル
行事:第十四回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、高名な教授、および科学者の皆様、そして紳士淑女の皆様。ここヒユーストンで、第十四回「科学の統一に関する国際会議」を開催するに当たり、この会議ならびに「絶対価値と新文化革命」と題する今会議のテーマに深い関心と支持を寄せてくださった皆様一人一人に感謝申し上げます。昨年ワシントンDCで開かれた第十三回「科学の統一に関する国際会議」に、私は参加することができませんでした。それだけに、きょうの朝、こうして皆様の前に立つことができた私の心は、格別に感慨深いものがあります。
人類の大覚醒と跳躍の必要性周知のとおり、私はアメリカの刑務所で十三ヵ月間過ごし、今年(一九八五年)の八月二十日に出監しました。これまで私の身辺と無念な事情を御心配され、刑務所まで訪ねてこられ、ねぎらいの手紙を下さり、多くの努力と精誠を尽くして当局に嘆願をしてくださった皆様に、この場をお借りして、改めて感謝を捧げます。
私を何としても犯罪人に仕立てあげ、迫害し、投獄することに血眼だった人々は、莫大な予算と時間と労力を投入して、私の天命遂行を妨害しました。しかし、そのような反対にもかかわらず、統一運動は世界的に成功を収めています。私が収監されれば、統一教会の活動が瓦解するであろうという彼らの予測に反して、既成キリスト教の聖職者をはじめとした社会各界から、前例のない理解と支援の表明を受けてきました。このような出来事を通して「神様を中心とする正義は、迫害を受けることによって勝利する」という私の持論を改めて確認しました。
私は刑務所において、世界が深刻な危険に直面していることを、はっきりと経験し、また、全人類的な大覚醒と跳躍の必要性を痛感しました。結果的に私は、世界平和と人類の繁栄のために、私自身と統一運動が、さらに大きな犠牲を甘受してでも、先頭に立って走らなければならないという決心と緊迫感を抱いて出監したのです。
今日の世界は、驚異的な科学の発達、便利な技術、そして物質的な豊かさにもかかわらず、世界の随所で不幸な事態が続いています。国家間には絶えず緊張と戦争が継続しており、地球上の多くの所で、いまだに窮乏と貧困、文盲と疾病の困苦があり、世界の至る所の暴力と犯罪、麻薬と精神疾患、社会的不条理と不平等、青少年の淪落と家庭破綻など、数多くの問題点が地球星の未来を陰鬱なものにしています。
多くの指導者たち、とりわけ良心的な碩学たちが、幸福な理想世界を実現しようと努力してきたにもかかわらず、不安と苦悩の危機は日ごとに加重されていく、その理由は何でしょうか。その根本は、人間の精神的枯渇と道徳的、霊的危機によって引き起こされたと見なければなりません。そうして従来の価値観が、かつてないほどの速度で移り変わる現実社会を受容することができなくなり、また倫理と道徳が、その本来の機能を喪失し、善の基準も消え失せてしまいました。これらの問題の中で、個人の生活や社会全般にわたって、矛盾、葛藤、分裂が連続して引き起こされているのですから、道徳的基準や永遠性というものを、どこに立てることができるというのでしょうか。
逆説的な契機を肯定的に消化しなければならないこのような現実の中で、もし神様がいないとするなら、人間は完全な理想や幸福を永遠に期待することはできず、世界は滅びていかざるを得ないという結論に到達することになるでしょう。しかし、もし絶対なる神様がいるとすれば、現実の否定的な契機を踏み台として、一つの標準、すなわち絶対価値に向かって跳躍することによって、絶対(完全)肯定の境地に変える摂理をされるという結論を下すことができます。真の愛をもった、人間の父母であられる神様の、人間に対する否定の摂理は、破綻を目標としたものではなく、前進と飛躍のための過程的否定であり、希望的な新たなものをあらかじめ準備された上での否定なのです。
私たちは、歴史の中で多くの跳躍の契機があったのであり、現実に対する完全否定の契機と跳躍の過程を通して、超越者であられる神様に接した事例を、多々見ることができます。ありきたりの契機が跳躍の踏み台となることはまずないでしょう。先覚者たちは、逆説的な契機を肯定的に消化することによって跳躍し、驚くべき新たなものをつくり出しました。イエス様は、十字架上において完全に否定される切迫した契機を、完全肯定に変えながら跳躍される、神様の摂理を証したのであり、その結果として復活摂理の新たな一ページが開かれたのです。
私自身や統一教会は、迫害の歴史の中で、世界的な記録をもっていると思います。しかし、そうした迫害は、統一教会にとって必ずしも悪いものではありませんでした。無念の苦難にもめげず、むしろこれを契機に跳躍し、神様のみ旨に従って生きるならば、苦難それ自体は絶対者を中心とした永生の準備となるでしょう。そのように見るとき、私たちは、今日の現実に対して絶望とばかり見るのではなく、神様が私たちに新しい文化世界へと飛躍する契機を与えようとなさっていると解釈しなければなりません。
人間が科学を発達させた究極の動機は、人類の平和と繁栄の実現にありましたが、専門化された科学の具体的方法は、当初の価値的方向と一致できませんでした。人間の科学に対する期待は、主体である人間の福利でしたが、科学の成果は、人間の対象である物質的環境の開発が大部分だったと思います。したがって、機械技術による物質的生活の向上を試みた科学や政治、経済的平等の理論が、人類の真の幸福を保障することは難しくなったので、科学者たちは、もう一つの使命を自覚しなければならない、という結論が導かれるのです。科学時代に生きている現代人は、人間の内面性の洞察を通して、絶対秩序を根本にした新しい倫理的標準を確立することを強調しています。その新しい倫理は、自然を愛し、人間の価値を再検討し、人間相互間の愛、そしてその愛の根本である神様を探すように、私たちに求めています。学者たちは、外的な科学技術革命とともに、人間の完成と平和世界の理想を成就する文化革命、精神革命を成し遂げる課題を抱えているのです。
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