今日、自由世界の中には、共産主義に劣らぬ社会悪が台頭しています。それは、物質中心の人本主義思想であり、そこから派生する極度の個人主義と利己主義の膨張です。いつの間にか私たちの社会に、黄金と財物が神として君臨するようになりました。
私は、人本主義を頭から排撃するわけではありません。問題は、社会における人本主義が、徹底した無神論に立脚していることにあります。もし人本主義によって神様の実在と創造主の創造の意義が否定されるならば、人間は一握りの土に転落してしまうか、せいぜい一つの機械とみなされるでしょう。
これが、マルクス•レーニン主義が犯した過ちではないですか。神はいないと考えるのですから、人間は動物と大した違いがありません。そして、そこには宗教に基づく道徳があり得ず、霊魂や永生を認めないので、人間は人間に対して無慈悲になり、人間が人間に対して行うあらゆる暴悪を正当化することが可能になるのです。
このような風潮の中にあって、共産主義の解放に勝利感をもつべき自由世界の先進諸国の様相はどうでしょうか。極端な利己主義と個人主義は享楽主義を生み、すべての社会生活に腐敗が氾濫するようになりました。家庭は破綻し、政治的な腐敗は深まり、経済は衰退し、未来の主人である若者たちは、非道徳と麻薬と犯罪によって、その良心が姿をくらましつつあります。そのような彼らにどうして二十一世紀の主役を期待することができるでしょうか。
私は、「明けゆく二十一世紀は精神文明の時代である」と宣布しました。物質文明の時代は暮れかかっています。私たちの世界が、暮れかかった闇を退かせて生き返るには、共産体制の滅亡によってもたらされた理念の空白を穴埋めしてあげ、自滅の日か審判の日を待っている自由世界を、共に救い出す精神的ルネサンスが起きなければなりません。これはすなわち、精神的人間革命を敢行できる新しい思想と理念の創出がなければならないということを意味しています。
神様は人類の父皆様。私はこれまでにも、言論人大会で、私が召命を受けた摂理的な使命に対し、幾度か表明したことがあります。私は新時代の開拓者としての使命を受けました。それは、二十一世紀を目指す新しい精神文明の開拓者であるという意味です。
私は、神様が下さった、新しい時代の確固たる理念を宣布しています。その理念とは正に「神主義」であり、「頭翼思想」です。科学が発達すればするほど、神様の実在は、否定しようとしても否定できない真理となっていきつつあります。私は、その真理の宣布にとどまらず、生きておられる神様に侍り、神様を実感しながら暮らす人生観を教えているのです。
神様は、観念的なものではなく、私の生活圏の中に生きておられる、肌で感じることのできる神様です。私は神様の脈拍を聞きながら生きています。また、神様と呼吸を共にし、神様の体温を感じながら生活しています。私は神様の心情の中に、人類の堕落による悲しみが満ちていることを知り、とめどなく涙を流しました。
私はまた、その神様が今、私たち人類に願っておられることが何であるかを、あまりにもはっきりと見ました。最も重要な事実は、その全知全能であられる神様が私の父であるということです。神様は人類の父であられます。
ですから、神様が人類を御覧になる心情は、親の心情です。人間社会でも、最も熱く切実で無条件の愛が、親の愛ではないでしょうか。
神様の本性は真の愛です。その神様の真の愛を見習い、すべての人間が親の愛によって世の中を見つめ、真の愛を実践することを願っておられるのです。そのような真の愛の実践によってのみ、永生が確保されるのです。真の愛は、与えても忘れる愛です。
神様は天地を創造し、人間を創造されるとき、一〇〇パーセント投入し、また投入したことを完全にお忘れになりました。なぜでしょうか。人間においても、愛する相手や自分の子女が自分よりも優れていることを誰もが願うように、神様も、そのように投入し、また投入しても忘れてしまうのです。
皆様。これまでの人間の歴史は、兄弟時代の歴史でした。兄弟はけんかをするのが普通です。ですから、兄弟時代は闘争の時代であり、戦争の時代でした。人類歴史は、兄弟げんかから闘争の歴史が始まりました。人間始祖アダムとエバの子であるカインとアベルがけんかをし、結局、兄が弟アベルの命を奪うことによって人類の罪悪歴史が出発したのです。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして思想的な第三次世界大戦に至るまで、これらのすべての歴史は、兄弟国家間の争いでした。しかし、第一次、第二次、第三次世界大戦が終わった今日、神様の摂理歴史は、新しい次元へと突入しました。
今や兄弟の歴史時代は終わり、父母の歴史時代が到来しました。父母の時代は真の愛の時代です。神様が私たちを父母の心情で御覧になり、愛されるように、私たちも父母の心情で人類を見つめ、愛する時代です。
ここには涙があったとしても闘いはあり得ません。真の愛の中に、闘争の概念はありません。私が宣布した「神主義」は、すなわち「真の父母主義」であり、「真の父母主義」は、すなわち「真の愛主義」なのです。
新しい言論の使命私は昨年の十一月三十日、不倶戴天の怨讐である共産主義国、北朝鮮を訪問しました。生涯を反共と勝共のために生きてきた私が北朝鮮に行ったという知らせは、全世界を驚愕させました。しかし、私は金日成主席の温かい歓迎を受けました。
そして、私は彼と熱い抱擁を交わしました。彼は私のことを怨讐視し、命を奪おうとしていた人であり、三年もの間、監獄に閉じ込めた人でした。私はその怨讐を抱擁したのです。私の胸中に彼が怨讐であるという思いがあったとしたら、どうしてこのようなことが可能だったでしょうか。
私は、父母の心情で北朝鮮の地を訪ねていきました。そして、父母の心情で金日成主席を抱擁しました。私は真の愛を実践するために行ったのです。そこには闘争の概念はなく、憐憫の情があるだけでした。与えては与え、さらに与えても足りないという、温かい父母の心情だけがあったのです。
皆様。私が宣布した「神主義」、すなわち「真の父母思想」は、二十一世紀をリードする真の平和の真理であることをここに明言します。この「神主義」と「頭翼思想」によって、二十一世紀の平和世界を建設することができるのです。その核心は、父母の心情であり真の愛です。二十一世紀は真の父母の時代であり、すべての人が霊的、心情的に成熟して、真の父母になる時代です。
世界の言論人の皆様。私は過去に、自由言論と責任言論を強調してきました。自由言論のない所には自由言論を与え、自由言論がある所では責任言論を実践しようというのが、私が「世界言論人会議」を始めた理由です。
私は最近、新しい言論の使命を設定しました。それは、道徳言論という新しい使命です。したがって私は「ワシントン•タイムズ」に、今後十年間の目標として「道徳社会の具現に貢献する言論となりなさい」という命題を与えました。そして、「世界平和に寄与する新聞」、その世界平和は理想家庭をつくり出すことによって初めて可能になるので、「家庭の倫理を育む新聞になりなさい」ということです。
平和世界具現の重要な使命をもつ言論言論は、立法、司法、行政に次ぐ、第四の権力と言われるほど、社会に強大な影響力と権力を行使しています。その強大な言論の権力は、善のために使われるべきであり、世界平和のために寄与する権力になるべきであると信じています。
言論人である皆様も、専門職の人間である前に、本来は神の子です。皆様は、神様が願われる道義世界、真の平和の世界に特別に召命を受けた平和のチャンピオンであられます。このような言論人の自由討論の広場として、究極的な道義世界の具現を目標とした「世界言論人会議」が存在するのです。
世界言論界の指導者の皆様。全世界と人類が、神様の摂理の中を、究極の真の平和世界に向かって進むこのときにおいて、言論は、神様の召命を受けた平和世界具現の重要な使命があることを悟らなければなりません。
言論は、平和を熱望する他のすべての人々と連合し、地球村時代に人類大家族の理想を具現するために強大な影響力を行使して、真の平和、道義世界実現の主役となり、勇敢に、そして大胆に前進しなければなりません。これからの数日間、より意義深い討議と研究を通して、より根本的な言論の使命を考えてくださることを願います。
最後に、皆様の携わるお仕事と皆様の御家庭に、神様の祝福が満ちることを祈りながら、創始者の演説とさせていただきます。ありがとうございました。
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