日付:一九九三年九月七日
場所::アメリカ、ニューヨーク、国連本部
行事:国連本部招請講演(真のお母様)
尊敬する議長、そして敬愛する来賓と紳士淑女の皆様。きょう、このようにお越しくださり、深い感謝の意を表す次第です。皆様は国際連合の指導者として、世界を、やがて訪れる千年王国へと導くべき責任を担っています。平和で繁栄する未来に対する約束は、きょう、私たちがいかなる行動を取るかにかかっています。
神様の創造理想御存じのように、今日の世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちています。私たちは、家庭破壊と社会的道徳の退廃の問題などに直面しているのです。
私たちはこのような問題に対して幾度となく論議しましたが、解決策はいまだに見つかっていません。なぜでしょうか。本当の問題の解決策は、神様から出てこなければならないのであり、表面的な問題だけを扱うのではなく、問題の根本から明らかにしてこそ解決できる問題だからです。その根本を明らかにするために、まず神様の創造目的を理解し、私たちが神様の摂理史で最も重要な転換点に置かれているという事実を悟らなければなりません。
歴史上、このような重要な時点で、神様は私の夫である文鮮明牧師に、全世界の人々に新しい啓示を伝えるようにと指示されました。私は、そのような夫を助けてきたのですが、ここ一年間は十二ヵ国を歴訪しながら、「真の父母と成約時代」という題目で講演をしました。数週間前、アメリカ五十州巡回講演の最後に、ワシントンDCでアメリカの国会議員たちに同じ主題で演説をしました。これから国連総会の代表と来賓の皆様に、この重要なメッセージをお伝えしようと思います。
神様が人類始祖アダムとエバを創造された理想は、彼らが真の愛で完成し、真の父母として真の愛、真の生命、真の血統を備えた善の家庭を完成することでした。そのような善の家庭は、家族全体が神様のみ前に心情的に一つになった基盤の上にのみ現れることができるのです。
神様は、息子と娘としてアダムとエバを創造したとき、彼らが御自身よりも立派になることを願いました。このような話は、伝統的な考え方に反していると言えます。ですが、この点についてしばらく考えてみましょう。私たちが親の立場で我が子の顔を見つめるとき、彼らに無限の愛と希望が共にあることを願います。私たちは、子女が成長して私たちの夢をかなえてくれることを願います。
同様に、神様も、御自身の子女たちに対し限りなく与えたいと思われます。神様は一〇〇パーセント与えただけでは満足されません。御自身がもっておられるものの千倍でも与えたいと思う方が正に神様です。神様の愛は、すべてを完全に与えても、与えた事実さえも忘れてしまわれる愛です。ある人は、自分が与えたものがどれほどになるか計算し、これだけ与えたら十分だと自ら決定してしまいますが、神様は永遠という時間の中で、十分に与えたとは判断されない方なのです。
実のところ、神様が被造世界を創造された目的は、愛の相対を探し立てるためでした。親と子、夫と妻、そしてこの世のすべての万物をペアに造られた目的は、御自身の創造を通して真の愛を実現するところにありました。同じように、父母は子女のために生きるようになっており、子女たちは父母のために生きるようになっています。また、夫は妻のために、妻は夫のために生きなければなりません。被造万物のすべては、このようにために生きなければならず、与えながら生きるように創造されたのです。
もしアダムの家庭で神様の真の愛の理想が成し遂げられていたならば、正にその家庭が天国の始発点になっていたはずでした。そうして、そのような天国家庭が歴史的な発展を経て、氏族、国家、世界へと拡大し、この世界が真の愛の世界、すなわち地上天国となっていたのです。さらには、霊界でも天国が水平に拡大していたでしょう。
偽りから始まった人類歴史と救援摂理もし神様の根本理想が実現していたなら、メシヤはもちろんのこと神様の人類救援摂理も必要ありませんでした。一つの家庭にすぎませんが、アダムの家庭が正に、氏族、国家、世界の中心になったのです。その家庭こそが将来生まれるすべての家庭のモデルになったのです。また神様の理想世界を実現するためのモデルとなるはずでした。
しかし、人間始祖の堕落により、神様の救援摂理が始まらざるを得ませんでした。神様の救援摂理歴史は、旧約時代、新約時代、そして今日の成約時代に至るまで、複雑で苦痛な路程を経ながら、類似した路程を繰り返しながら延長を重ねてきたのです。
神様がアダムの家庭を中心として成し遂げようとされた真の家庭と天国理想は、アダムとエバが神様から離れることによって成し遂げられませんでした。堕落ゆえに、今日の現実世界も、神様の善の理想世界とは程遠い世界となりました。実際、今日の世界は偽りの世界であり、利己的な愛が氾濫しています。これは正にアダムとエバがサタンを中心とした利己的な偽りの愛を土台として、偽りの父母になったからです。彼らは善ではなく、悪を繁殖し、偽りの家庭を形成して、偽りの生命と偽りの血統をすべての家庭にもたらしたのです。こうして、偽りの氏族、偽りの国家、偽りの世界が現れるようになりました。
そのため、神様の救援摂理の目的は、アダムとエバに代わり、一人の男性と一人の女性が神様の真の愛を中心とした真の父母として復帰され、真の家庭を完成することです。そうなれば、その家庭を始発点として、真の氏族、真の国家、神様が本来理想とされた真の世界が実現されるはずでした。言い換えれば、神様の真の愛、真の生命、真の血統が育つことのできる種が創造されなければならないのです。
来賓の皆様。このように罪悪と腐敗に満ちた世界が、どうして善と愛の根源であられる神様から始まったのか不思議に思われたことはありませんか。聖書を詳しく読んでみると、アダムとエバの堕落により、アダムの家庭全体を失う結果がもたらされたことに気づくでしょう。第一に、アダムとエバが堕落によって父母の位置を失い、第二に、カインがアベルを殺害することによって子女の位置を失いました。こうして理想家庭と完成した世界を成し遂げようとされた神様の計画は崩れてしまったのです。
したがって、その本然の家庭を復帰するために、神様は堕落した経路と反対の経路を取り、先にカインとアベルの位置を復帰したのちに、真の母と真の父の位置を復帰する摂理をしなければならないのです。すなわち、真の父母を復帰するための基台として、先に子女のカインとアベルが和解しなければならないということが、復帰歴史を通して現れた神様の変わらない公式となってきたのです。
堕落した人間をカイン側とアベル側に分立する歴史が、ユダヤ教とキリスト教の歴史に繰り返し現れます。堕落によってもたらされた僧しみを取り除こうと、神様は堕落した人間を、サタンを象徴するカイン側と神様を象徴するアベル側とに分けて立てる役事をしてこられたのです。神様は、アベルが先に打たれて犠牲になる作戦をもちいてこられました。その結果として、アベルは自分が犠牲になったその基台の上に、カインを包容し、長子に与えられた祝福まで得るようになるのです。
例を挙げれば、救援の目的について見るとき、最も先を行く宗教は、いつもサタンから最もひどい迫害を受けるようになります。そのような宗教が行く道には、いつも反対がありますが、彼らは罪悪世界を救うために絶え間なく努力しながら犠牲の道を行くのです。同じように、善の人々はいつも先に打たれて犠牲になる道を歩みます。
今日、堕落した世界を見ると、至る所で、カインとアベルが闘争したように、善悪間の闘争を容易に目にすることができます。このような闘争は、一個人の心と体の葛藤から始まります。アべル側に立っている心は、カイン側に立っている体に勝つために身もだえします。個体内のこのような葛藤が、家庭、国家、世界にまで拡大するのです。
その結果、人類は常にアベルのような善の側とカインのような悪の側に分かれ、各階層で闘っているのです。
しかし、神様のみ旨は、片方がもう片方に勝って、負けた側を破壊するのではなく、両方とも復帰されることを願うのです。
このような分立の例として、イエス様が十字架にかけられたときの、アベル側である右の強盗とカイン側である左の強盗を挙げることができます。したがって、神様の救援摂理上の核心的な課題は、真の母と真の父を探し立てるための基台を造成するために、そのように分かれた二つの側を神様の創造理想を中心として一つにすることでした。
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