きょうは、サッカー人たちの大会です。今、この韓国では、かつてないサッカーの熱気が高潮し、全世界の人々が一つの祝祭の雰囲気に巻き込まれています。しかし、究極的にスポーツの世界が行かなければならない正道は、オリンピックやワールドカップを通して、世界の人々を和合と平和の道へと案内することです。
時には、過熱した競技がお金や権力と結びつき、純粋なスポーツ精神が薄れつつあるのではないかと、非常に危惧されています。選手の報酬が法外な価格であることや、独占資本家たちの横暴のようなことがないか、よく見守っていかなければなりません。
私は、スポーツを通じた世界平和実現のために、韓国でいち早く一和プロサッカー•チームと鮮文大学サッカー・チームを結成し、韓国サッカーの発展に大きく寄与してきたのであり、ブラジルでもセネ•プロサッカー・チームとソロカバ•プロサッカー•チームを運営しています。私がこのようにサッカー•チームを運営するのは、単純なビジネスの次元を越えて、大学連盟の青少年たちにスポーツマンシップを教育し、スポーツを通して世界平和に寄与することが、その優先的な目的であると言うことができます。
御存じのように、サッカーは、もともとイギリスで始まりました。貴族の子弟ばかりが通うイギリスのイートン•スクールで、指導者としての資格を備えるには、知識だけではなく体力も必要とされる中、体力増進を目的に初めてサッカーが考案されたのですが、今では貴族だけの遊技にとどまらず、チームワークを重要視するその魅力ゆえに、すんなりと大衆スポーツとして定着し、飛躍的に発展するようになりました。
特にサッカー競技は、個人の技術がいくら優れていても、チーム全体が支えてくれなければ、勝利は難しくなります。ボールは、丸くてあちこちに転がりますが、同時に正直なのです。ボールは、選手が蹴る所にだけ飛んでいきます。
サッカーには、正直性とチームワークを重要視する合目的的共同体の原理が隠されているのです。サッカーは、既得権層の分配式の利害打算的な計算もなく、ゴールを決めるのに順番が決まっているわけでもありません。サッカーは、大国や小国、強い国や弱い国に関係なく、公平に競技をすることによって、すべてに喜びと幸福をもたらします。サッカーには、チームプレーから生まれる躍動的な共同体的ハーモニーがあるのです。
サッカーをはじめとして、すべてのスポーツと遊技文化は、人類歴史と共に長い間一緒に発展してきました。スポーツは本来、丈夫な体と安全な社会を維持するために創造されたのであり、今日、数十億の人々の生活を楽しませ豊かにしながら、全世界の隅々に拡散しています。このような万民のスポーツを通して、万民の平和に寄与できる方法を、様々な側面から模索しなければなりません。
公正な競争原則が支配するスポーツ世界は、再び新千年紀のスタートを迎えました。情報と技術の画期的な発展を通して、「地球村は一家族」という概念が現実化しつつあります。しかし、一方では、道徳的危機を迎えるようになり、精神的価値の崩壊の脅威に直面していることも事実です。今日の享楽主義と青少年たちの自己中心的な価値観を克服するために、互いに健全なスポーツ精神特有の建設的な代案を提示しなければなりません。
スポーツは、公正な競争の法則が支配します。闘争と競争とは、その概念が異なり、次元が違います。闘争は、腕力や武力、または物理的な力で相手の存在を否定し、抹殺しようとする、残忍で殺伐とした動物たちの弱肉強食の法則です。
スポーツの競争は違います。競技では、ルールを定め、その規定に従って優劣を決め、相手を認める紳士の精神があります。スポーツ競技とは、多くの人が見守る中で、選手たちの正々堂々とした態度と公明正大な精神をもって、各自自分の技術と才能と力を競い合うのです。互いに約束した法と規則を守りながら、審判の公正な判定を受けるのです。
ゲームで最も重要なことは、フェアプレーです。順法と準則です。反則は、減点となり、退場となり、権限が剥奪され、選手は処罰を受けます。運動選手は、個人と国の勝利と栄光のために、すべての力とすべての精誠と勇気を尽くして全力投球します。
勝利した選手には、常緑樹の月桂冠を与え、栄光の金メダルを掛けてあげ、花束を与えながら、万雷の拍手喝采で祝い、国旗を掲揚し、国歌を歌ってあげるのです。そのような儀式は、感激の極致であり、栄光の絶頂であり、私たち全員の祝宴なのです。
またスポーツの世界には、競争で敗れた選手たちも、自分の残念な思いを抑えて、勝利者の労苦に心からの拍手を送る美徳があります。スポーツは、美しい友情の香りがあり、同志愛があります。選手は、スポーツマンシッブを守るときに美しいのであり、絶え間ない努力によって血と汗を流さなければならず、名技と神技の境地に到達しなければなりません。公正と秩序と礼節の徳を修錬しなければなりません。
スポーツは、現代社会に多大な貢献をしました。人間の心身を健康にし、競技の技術によって喜びと感動を与えました。特にスポーツは、宗教のドグマや政治的なイデオロギーを跳び越えることができ、誰もが一つになることができ、さらには、全世界の人々の心を一つに結ぶ和合と平和の饗宴です。
冷戦時代が終息はしましたが、世界は、依然として苦痛の束縛から逃れることができずにいます。アメリカにおける九•一一事件で示されるように、民族紛争と宗教的葛藤によって世界が争っており、地球の環境は、破壊の一途をたどっています。
未来に責任をもつべき青年は、世間に対して冷ややかになりつつあり、一部は、物質主義と享楽主義に心酔したり、そうでなければ、麻薬に溺れて非行に没頭したりすることもあります。
このような諸般の問題の解決法案は、先ほど申し上げたように、正しい真理、すなわち、互いに「ために生きよう」という理想的真理の基盤の上に、正しいスポーツ精神を接ぎ木させ、その精神を神様のように実践し、和合と平和と統一の世界を創建しなければならないのです。
「鮮文ピースカップ」は人類共同体の祝祭ですから、私は、今回、平和世界の創建を願いながら、「鮮文ピースカップ(SUN-MOON PEACE CUP)」を創設したのです。「鮮文ピースカップ」は、太陽(sun)と月(moon)のカップ、天地父母のカップ、平和のカップです。純粋、純潔を象徴する光で永遠に輝かなければなりません。
「鮮文ピースカップ」は、神様を抜きにして、単に興行性のある競技ばかりをあおり、スターを誕生させるなど、そのような既存のカップとは区別されなければなりません。神様をはっきりと知り、霊界の実相について詳しく知り、平和の正道をわきまえて進んでいかなければならないのです。
「鮮文ピースカップ」は、神様が理想とされた創造本然の世界を成し遂げるための宗教と科学、政治と経済、女性、青年、体育など、各界各分野の努力を一ヵ所に集め、人類が一つの大家族となることを念願する祝祭の場となるでしょう。
特に、人種、国家、民族、宗教、理念の壁を越え、神様の真の愛を中心とする真の平和の理想に向かって出発する始発点になるという点において、実に重要であると主張できるのです。
「鮮文ピースカップ」は、人類の健全な精神世界はもちろん、霊性の啓発と共に人類共同体の内外的和合と調和を実現する祝祭の場であり、神様の創造理想を中心に、平和と自由と幸福の世界を開いていく一つの心、一つの家族、一つの心情の大同の場となるでしょう。
最後に、ここにお集まりになった皆様は、「鮮文ピースカップ」を発展させる上で主役となり、大きく寄与してくださることを約束した「ペレ財団」、そしてFIFA(国際サッカー連盟)と共に、すべての協助と指導を惜しまれないことを重ねてお願いいたします。
皆様と皆様の御家庭に神様の愛と祝福が満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。
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