日付:二〇〇四年七月二十六日
場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館
行事:「二〇〇四世界文化体育大典」祝賀晩餐会
尊敬する元•現職の国家の首班と内外の貴賓の皆様。「二〇〇四世界文化体育大典」によって成し遂げた実績と勝利を感謝するその感謝の心をみな一つに合わせて、神様に栄光を捧げましょう。
今日の世界は、前後左右、東西南北、どこを見ても、混沌と絶望の中から抜け出すことができずにいます。方向感覚を喪失した人間の姿が、不憫であるどころか、悲惨な姿としてあらわになりつつあります。誰一人として万人が共感する解答を提示することができず、六十億の人類を乗せた地球号は座礁寸前に来ています。しかし、聖書には、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)とあります。
私が「二〇〇四世界文化体育大典」の開会式で言及したように、人類のための平和世界の創建は、単に人間の努力だけでは不可能な課業です。そこには天運が必ず共になければなりません。もうあすになれば、皆様は再び別れていきます。
私が今晩、皆様に差し上げようと思う贈り物は、神様のみ言を収めた天運の贈り物です。これは、新千年紀である後天時代を開くとともに、天が人類に与えてくださる大きな恵みであり警告です。このみ言をつかんで死なんとする者は、必ず天が新しい生命を下さり、無視する者は、自然淘汰されるでしょう。注意して耳を傾けてくださり、天がこの特別な時に皆様を召命されたことをお忘れにならないようお願いいたします。
皆様。この時代は、人類歴史や摂理史的な次元から見るとき、実に途方もない意味をもっています。先天時代を締めくくり、後天時代を開いてくださった天は、一日を千年のような思いで、忙しく摂理を成し遂げていらっしゃいます。このような天の心情を悟り、きょう、皆様の立っている位置が摂理的にいかなる位置なのかをはっきりと知らなければならないという意味で、「真の心情革命と真の解放、釈放時代開門」と題してお話ししようと思います。
皆様。神様は、私たち堕落した人間にとって、師の中の師であり、父母の中の父母であり、王の中の王の位置にいらっしゃいます。その理由として、神様は、全知全能であられ、遍在していらっしゃり、真の愛の根であると同時に、絶対性、唯一性、不変性、永遠性をその厲性としてもっていらっしゃるからです。
今日の堕落人間の願いは、神様の真の息子に出会うことです。神様の息子には、個人的な息子、家庭的な息子、氏族的な息子、民族的な息子、そして国家的な息子がいます。それらをすべて取り戻さなければならないのですが、そうしようとすれば、人類はどれほど多くの苦労の路程を経なければならないでしょうか。
ですから、天は、国家的基準に立っている息子圏を代表したメシヤを送られるのです。このメシヤを探し出す日が、正にメシヤ降臨の日なのです。神様の個人、家庭、氏族、民族、国家的な息子まで、すべてを探し出す立場に立つからです。堕落の後裔である私たちは、サタンの讒訴圏を抜け出た神様の息子に出会わなければならず、その次には、神様が愛することのできる父母を中心として形成された家庭を取り戻さなければなりません。
その基台の上に立ってこそ、私たちは神様の愛を探し出すことができるのであり、究極的には、神様と直接出会うことができるのです。このように、神様の愛を中心として愛の関係を結ぶことができるのは、ただ完成したアダム、すなわち真の父だけです。しかし、父一人だけでは父母になることはできません。真の相対を探さなければならないのです。その相対は、真の女性でなければなりません。絶対的基準の女性でなければなりません。世界的基準で女性を代表しているのが新婦格であるキリスト教です。なぜなら、キリスト教の中心思想は再臨主、メシヤを迎える新婦の思想だからです。
しかし、真の父母は、ただ一人の男性と、ただ一人の女性によって成立するのです。男性も絶対的に一人であり、女性も絶対的に一人です。二人ということはあり得ません。このように、唯一の男性と唯一の女性が出会って真の父母となるのです。真の父母は、神様の創造理想を中心とした真の理想的夫婦です。ですから真の父母は、個人から世界、天宙までの統一的中心となり、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的なすべての次元で接ぎ木できるのです。
レバレンド•ムーンは、今まで、生涯にわたってこのことを準備してきました。人類が復帰を目標と定めて神様に向かって進んでいくに当たって、必然的な条件が何かというと父母の門を通過しなければならないということです。なぜなら、真の父母の門を通過しなければ、心情を連結させることができないからです。
今日の世界は、心情的に、民族と民族が通じず、宗教と宗教が通じず、家庭と家庭が互いに通じない世界になってしまいました。このように、前後左右が完全に塞がっている垣根を壊し、互いに通じるようにするためには、まず神様の心情と関係を結ばせてあげなければなりません。果たして、誰がそのような使命を果たすことができるのでしょうか。天の真の仲保者として来られる真の父母様以外にはいないという結論が出るのです。したがって、失ってしまった真の父母を探し出すことは、神様の願いであることはもちろん、人類の夢だったのです。
皆様。人類始祖アダムとエバは、神様が本当に願う真の人類の先祖、すなわち人類の真の父母にならなければなりませんでした。その真の父母の血族として、私たち人類は生まれなければならなかったのです。このように、歴史の出発から始まるべきだった人類の真の父母、その真の父母は、神様の栄光の実体として、また人類の前には永遠の勝利の実体として現れなければなりませんでした。アダムとエバの失敗は、正にここにあったのです。
これが、今までの悲しい歴史を綴ってきた怨恨の土台になったことを、私たちはよく知っています。堕落によって人類は、天の法度から離れ、自らの実体を失ってしまい、神様の心情を蹂躙した邪悪な群れとなってしまいました。
したがって人間は、神様のみ言により、再び自らの実体を取り戻し、真の心情の世界を取り戻す復帰の路程をたどってきているのです。堕落により、万物よりも劣る立場に落ち、神様と自由に向き合うことができない悲しい立場に落ちるようになったのです。このような人間は、自分で自分を回復できないので、神様は、人間を悟らせながら再創造の役事をしてこられたのです。
僕の僕の位置から僕の位置を経て、養子と庶子の位置を経て、直系の息子の位置を経たのち、真の夫婦の位置まで進んで、最終的には、勝利的な主管権を備えて真の父母の位置まで復帰してこられたのです。六千年の摂理史の背後には、このような途方もない秘密が隠されていたという事実を、皆様ははっきりと知らなければなりません。
神様が御覧になるとき、この世は堕落した世の中なので、孝子も、愛国者も、聖人、聖子もいませんでした。かわいそうな人類を救おうとしても、堕落圏以下ではどうすることもできません。なぜならば、堕落とは無関係の神様であられるからです。ですから、神様は、堕落していないアダムとエバ以上の立場、すなわち完成した、後のアダムとして来られるメシヤが、神様の家庭を築き、真の父母になるその日だけを待ち続けてこられたのです。
そのような家庭の上に、初めて真の孝子が現れるのです。そのような家庭を基台として立てられた国家基盤の上に、真の愛国者も現れるのです。その基盤が世界的に広がれば真の聖人、そして天宙的次元では聖子が輩出されるのです。そのような真の家庭の基盤の上に、初めて天の代身者が現れ、相続者が生まれるのです。
本来、「父子」という言葉は、本然の父と息子、娘を意味します。そのような父子が築いた家庭が集まって国を建設します。万民は、平和の世界を願っています。しかし、その平和の世界は、今日の先進国が追求しているそのような世俗的な方法や、そのような次元の文化を通して築かれるのではありません。真の父母を通して伝えられる真の愛の文化を中心としなければ方法はありません。
たとえ、来られるその方が、いくらむしろをかぶり、ぼろのふろしきを背負い、色あせた服を着て、千尋万尋の穴から出てきて疲れきった姿で現れたとしても、堕落人間には選択の余地がありません。その真の父母を通して、神様の心情に接ぎ木されなければならないのです。
そうだとすれば、どの程度、心情的に接ぎ木されなければならないのでしょうか。父の骨髄に入り、その父と一緒に生きたという条件を立ててから、再び母の腹中を通して生まれなければなりません。生まれてからも、真の父母に絶対的基準で侍って生きなければなりません。
しかし、それで終わるわけではありません。周囲の親戚とも関係を結び、さらには氏族的次元で関係を結ばなければならず、民族、国家、世界、天宙、そして最終的には神様とも心情的に関係を結んだという条件を立てなければなりません。そのようにしてこそ、神様は、「お前は私の息子である!」とおっしゃるのであって、自分自身の事情と利益だけを中心として関係を結んだ人は、神様とは何の関係もないのです。
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