韓国の五千年の歴史は、苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間、貧しく、外国勢力から苦しめられる中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練に遭ってきた韓国の事情は、堕落した人類、すなわち、死んだ子女を見て嘆息される神様の事情と同じでした。韓国人は涙の味を知っています。ですから、涙の神様を理解できるのです。韓国人は古くから悲劇を好みました。それが、堕落という悲劇を体験した神様に同情できる資格なのです。諺に、「やもめの心情はやもめが知る」という言葉があります。私たちは、喜びと栄光の中に権勢を享有される神様であると思っていましたが、その神様は、実は子女を失って涙を流される、悲痛で孤独な父だったのです。その神様の心情を慰労する真の孝子となることを信じ、神様は私たちを捜し求めてこられたのです。
韓国人は古くから、忠孝の志操が強い民族です。国軍の日を迎え、五•一六広場に招待され、国軍の威容を見て心温まる思いがしました。その国軍の勇士たちが査閲台の前を過ぎるときに叫ぶ「忠孝」という掛け声は、本当に印象的でした。神様に選ばれた民族として叫ぶこの掛け声は、あまりにも啓示的でした。世界のいかなる国でも、このような掛け声を叫ぶ軍人はいないでしょう。
韓国は最終的に、神様に忠誠を尽くし、孝の道を尽くす民族であるがゆえに、その忠孝精神が今日、国家の中心思想になったのです。沈清(シムチョン)の親に尽くす哀切な孝、春香(チュニャン)の夫のための志操、鄭夢周(チョンモンヂュ)の王に仕える忠誠、柳寛順の殉国精神といった忠孝の志操は、古今東西、どこにも類例を見ない韓民族の魂です。このような忠孝精神と不変の志操は、今後成し遂げられる地上天国の中枢的な思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父なので、その父に永遠に孝の道を歩まなければなりません。世界の数多くの民族をいかに試験してみても、韓国のように、その忠孝の熱と志操の強い国はないので、神様は韓国をお選びなって訪ねてこられたのです。
また韓国は、平和を愛好する白衣民族です。私たちは一度も侵犯したことのない人々です。このような平和愛好の民族が、五千年の固有の歴史を抱いて耐え忍んできたこと自体が、奇跡であると言わざるを得ません。これは、ただ神様の保護のもとにのみ可能だったのです。俗に言えば、私たちは神様を背景にもつ民族なのです。
五千年の歴史において、様々な強大国が、何度も私たちをのみ込みましたが、そのたびに消化不良を起こさなかった国はありませんでした。食べたら、必ず吐き出さなければなりませんでした。
これは誰の力でしょうか。神様の力でした。八月十五日の解放は、誰がもたらしてくださったのでしょうか。神様の力でした。六•二五動乱のとき、共産軍の南侵を防いでくれたのは誰の力でしょうか。神様の力でした。六・二五動乱当時、アメリカのトルーマン大統領の決心が三日遅かっただけでも、私たちは釜山の海に追い込まれて飛び込んでいたでしょう。
韓国動乱のとき、国連軍の派兵は、国連安全保障理事会においてソ連の拒否権があるので、絶対不可能なことでした。ところが、韓国派兵問題を討議するときに、ソ連代表は欠席したのです。その隙に派兵案は、一瀉(いっしゃ)千里で可決されました。国連外交史では、その時なぜソ連代表が欠席したのか、今なお誰にも分かりません。それは、誰がそのようにしたのでしょうか。神様の力だったのです。
私たちが究極的に始めるべき新しい愛の運動韓国は、神様の特別な保護がある限り、誰が攻めてこようと指一本触れることもできません。韓国を害そうとする勢力は、神様の力によって一つ一つ敗れ去っていきます。今回、アメリカの議会で韓国を潰そうとするフレーザー議員の敗北は、その良い例です。
皆様。我が祖国韓国は、新しい時代の先駆者であり、神様の寵児です。私たちは、長い間の苦労の末に、新しい時代の王者として登場する時が来ました。このとき、私たちは悟らなければなりません。神様が韓民族を召命されたのは、韓国のみを良くするためではありません。世界を救援するために召命されたのです。韓国は、世界の救援摂理のために召命された国であることを悟らなければなりません。私たちは神様に召命されたので、神様の世界の救援摂理のために、誰よりも一番先に、自分を犠牲にできる愛の王者にならなければなりません。私たちが、神様のみ旨のために死ぬことは、すなわち生きることであり、苦労することは、すなわち栄光の位置に登る道です。イエス様が「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失ものは、保つのである」(ルカ一七•三三)と言われた意味が、正にこのことだったのです。
韓国のセマウル運動は、歴史に輝く民族の自立、更生の金字塔です。これは檀君以来、その類例を見ない課業であり、世界のどの国の歴史にも、これに匹敵する記録がありません。我が国の工業発展は、戦後の日本やドイツの復興をも凌駕する記録です。加えて、このような急速な成長を、虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の目前において成し遂げたということは、大きな意義があります。
アメリカ人たちは、私に対して、朴正熙大統領と何か密接な関係がないかと罪を着せようとしていますが、それはばかげたことです。私は、朴大統領と一度も会ったことのない人間です。しかし、成功しているのを見て、よくやっていると言うことができないのであれば、それは義人の道理ではありません。朴大統領は、この重要な時期に天が遣わされた指導者であると私は確信します。この方でなければ、我が祖国の復興は言うまでもなく、金日成主席の赤化野望から、もちこたえることさえ難しかったと私は思います。
天がこの歴史的な時点に、このような指導者を立てて、我が祖国を急速に復興させたのには理由があります。今や、韓国が新しい精神文明の発祥地となり、世界を指導して、世界に雄飛する時が来たので、その韓国が今後は、もうこれ以上苦難の中に貧しく苦しんでいてはいけないからです。いわば神様は、韓国をこれから全権特命大使として世界に送ろうとされるのですが、その大使を、ぼろぼろの雑巾のような服を着せて送り出すことはできないのです。礼服を着せて、世界の前に立たせようというのが神様のみ旨です。韓国は名実共に、世界の指導者像を備えなければなりません。これから韓国は、どの面から見ても世界各国において模範となり、羡望の的となり、彼らから尊敬を受けなければなりません。
韓国のセマウル(新しい村)運動は、「我々も一度良い暮らしをしてみよう!」という段階で止まってはいけません。韓国のセマウル運動は、世界を良い暮らしができるようにする運動に昇華されなければなりません。そのようなセマウル運動が、セマウム(新しい心)運動へと前進したことは、あまりにも神様のみ旨にかなったことです。セマウル運動が自分の体をよく生かす運動だとするなら、セマウム運動は自分の霊魂をよく活かす運動だからです。そして、このセマウム運動は、忠孝精神を中枢としたものなので、セマウム運動が世界に伸びていくとき、世界は私たちから真の忠孝精神を学ぶでしょう。このセマウム運動も、さらに一段階、前進しなければなりません。
私たちが究極的に始めようとする運動は、セサラン(新しい愛)運動です。セサラン運動は、神様を父として愛し、隣人を自分の体のように愛する運動です。新しい愛の極致は犠牲です。神様と世界と国と同胞のために犠牲となる運動に昇華されなければなりません。イエス•キリストの究極的な教えがこれでした。しかし、キリスト教の歴史は、このセサラン運動をするところでいつも失敗しました。自分だけ生き、自分だけのためにする運動は必ず滅びます。自分を犠牲にして相手を生かす運動こそが、永遠に残るのです。イスラエル選民たちには、正にこのような悟りがなかったので、イエス•キリストを十字架にかけてしまいました。キリスト教の全盛期を享有したローマは、自分を中心とした利己主義に翻弄されるとき、その帝国も内部から崩壊してしまったのです。
神様の召命を受けた祖国であることを悟ろうある時期、神様はイギリスを祝福されました。その当時イギリスは、その領土に「日の沈むことがない」と言われるほど、その威勢が全世界に広がっていました。しかし、彼らが神様の真の祝福のみ旨を忘れ、世界植民地政策が自己中心になったとき、イギリスは秋の落葉のように衰退しました。彼らも、セサラン運動ができなかったことで衰退したのです。
今日、アメリカも、ローマ帝国などを羡むことがないほどの権勢と祝福を享有しています。彼らも二百年間、セマウル運動もよくやり、セマウム運動もよくやりました。しかし、「終わりの日」に、世界のために犠牲となるこのセサラン運動ができなければ、アメリカの将来は暗澹たるものでしょう。韓国も、この神様の原理から逃れることはできません。私たちが究極的に出ていく道は、セサラン運動です。自分を犠牲にし、自分の国を犠牲にしてでも共産主義を防いで、良い暮らしができる世界にしようとする犠牲的な愛に燃えなければ、私たちもまた、一度は良い暮らしをしたとしても、今の先進国が滅んでいくその落とし穴に共に陥ることになるでしょう。
統一教会は今、そのセサラン運動を五大洋六大州、百二十ヵ国に広げているのです。そしてこの運動は、神様が共にされる運動となるでしょう。この運動によって、名実共に五色人種が一つの兄弟となる理想が実践されています。そして、統一教会が導くセサラン運動の故郷は、我が祖国、大韓民国なのです。
「私の愛する祖国よ、輝け!お前はついに神様の召命を受けたのだ!世界を生かすセサラン運動の本郷になったのだ!」。これが本日の朝、皆様に申し上げる私の証言のすべてです。
私たち韓民族の急務は、自覚です。悟ることです。私たちは悟らなければなりません。私たちは神様から召命を受けたことを悟らなければなりません。私たちが選民であることを悟らなければなりません。自分だけが良い暮らしをするための選民ではなく、世界が良い暮らしができるようにする選民であることを悟らなければなりません。この使命を悟り、一致団結してこのことを実践するとき、神様の祝福は永遠に私たちの祖国と共にあり、私たちは神様の王子となる立場で新しい時代の先駆者となり、祖国の栄光も永遠無窮となるでしょう。最後に皆様の御家庭と社会生活に、そして大韓民国と指導者の皆様に、万福が臨むことを祈りながら、きょうの朝のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。
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