永生というのは、本質的な愛の属性です。神様も宇宙を創造されるとき、自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従を基準として立てて創造されたのです。永遠無窮に世の中が過ぎていったとしても、私の愛はもっと大きく投入できるという、そのような心をもって生きる方が神様なので、神様を絶対、永遠、不変の主人として侍る存在にならなければなりません。
永生不滅の位置で創造された息子、娘が、そのような位置に立つならば、神様の国が私の国になり、神様が私の神様になるのです。神様と天の国の伝統的な主人の生活方法と私が一致し、神様の息子、娘であることは間違いないので、永生不滅は自動的な結論です。ですから、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七•三三)という逆説は真理なのです。
皆様。神様がいくら全能の方であるとしても、今まで愛の主人になったことがあったでしょうか。真の愛というものは、一人ではできません。男性の前には女性が絶対に必要なのです。女性がいることによって、男性は女性を愛する主人の資格をもつことができるからです。これは驚くべき話です。
女性がいなければ、いくら優秀な男性であっても、男やもめの境遇を免れることはできないのです。「男やもめ」とはどういう意味でしょうか。一人で暮らす父です。ですから、かわいそうな立場です。いくら優秀だったとしても、一人で暮らすその男性は、真の愛を得ることができないのです。
神様には、真の愛、真の生命、真の血統、そして真の良心があります。でこぼこの良心ではなく、水平を描く良心があります。このようにすべてもっていますが、それらをもっていると言える価値を現すものは、何でしょうか。一人では永遠に現すことができないのです。
なぜでしょうか。男性が優れていて総理になり、大統領になって、いくら大口をたたいたとしても、結局は半分の人間であることを免れることはできません。男性も女性も同じです。間違いなく、男性は片方でしかないのです。男性はなぜ半分なのでしょうか。男性には凸だけがあり、凹がありません。しかし、完全な愛をもつためには、凹と凸の両方が必要です。それで、男性にはない凹を合わせるために、もう片方の女性が必要なのであり、女性と一つになって初めて完全な真の愛を得るようになるのです。
しかし、人間始祖の堕落を見ると、心と体が神様の血統と一つになることができず、サタンの血統に連結されてしまい、神様は、御自身の血統の三代目である孫を見ることができなかったのです。
救援摂理を通して、三代を探し出し、神様の血統を連結させて繁殖した子孫は、間違いなく神様が願い、アダムが願う息子、娘の種となり、それをどこにでも植えれば、本然の息子、娘として、父母のお乳を飲んで育ち、自動的に天国へ行くことができるようになっているのですが、堕落によって私たちの体にはサタンの血統がうごめいているのです。ですから、血統を断ち切り、十回、十二回と血を抜き取って死んでも生き返る、そのようなことをしなければならないのです。
しかし、血統が汚染されたものは、簡単には変わりません。これは大変なことです。皆様の体が、そのようになっていることを考えたことがありますか。私たちは、億千万世の怨讐の血が自分の骨と肉を包んでうごめいているという事実、肉身が心を占領し、蹂躙している凄惨な自らであることを知らなかったというその事実に、戦慄させられるのです。
このように、南北に合わせるものを、東西に合わせてしまったのが堕落です。それでは、その間違って東西に合わせてしまったものを、いかにして再び南北に正しく合わせることができるのか、ということが問題です。ここに、再び切り離して付け合わせる治療方法が、統一教会の祝福であり、本然の血統と連結させてあげる祝福結婚式なのです。
統一教会の祝福の意味本来、アダムとエバは、堕落しなければ、間違いなく神様の愛を中心とする血統が連結された外的父母となるはずでした。内的父である神様と一体となり、絶対的な神様の真の愛と共に生きる霊的、肉的な人類の先祖となって中心の焦点に立ち、愛で一体となることのできる時間が、アダムとエバが神様を中心として一つの体となる、結婚式の初夜に迎える初愛の時間だったのです。しかし、アダムとエバの堕落によって、そのすべてを失ってしまいました。神様の立場から見れば、人間に対して夫婦の愛を植えようとしたのですが、植えることのできる場をもつことができませんでした。それで失敗した神様になってしまったのです。
神様は一人で愛することができるでしょうか。いくら素晴らしい美人でも、器量がどうであれ男性という存在がいなければならないのです。女性の心の中に愛があり、生命があり、血統があり、良心があったとしても、男性が現れなければ発動しないのです。愛が発動せず、愛を中心として生命が発動せずしては、血統は現れません。
また、良心が相対に立たないのです。相対が現れることによって、すなわち女性が現れることによって、初めて男性の愛と生命と血統が現れるのです。アダムとエバが十八歳になるまで待っていれば、神様の祝福を受けて正式に夫婦となっていたでしょう。そして人類の真の祖先になっていました。しかし、彼らは十六歳の時に、分別のない戯れによって堕落してしまったのです。
皆様。神様がなぜかわいそうな方であるか、お分かりになりますか。真の愛の大王陛下であられるのに、人類始祖とともに一つの体となって真の愛で愛したいと思うその位置を失ってしまったからです。一人でいくら真の愛を欽慕したとしても、男やもめの愛、寡婦の愛になってしまったのです。ですから、真の愛の心をもった相対を失ってしまった神様となってしまったので、悲しい神様なのです。
神様の家庭において理想的な相対となり、真の愛の主人の位置を、烙印(らくいん)を押して解放させる責任がアダムとエバにあったのですが、彼らはその責任を果たせませんでした。ですから、彼らの一生の願望とは何かというと、神様を真の愛の主人の位置に立たせてさしあげることでした。
統一教会の祝福は、その最初の条件が何かというと、神様の新郎、新婦の位置で、失ってしまった真の愛で愛する伝統を、自分たち夫婦によって取り戻すことです。神様の真の愛を否定しなければ、私たちは千年、万年、神様の息子、娘と血族であることは間違いありません。
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