旧約聖書を見れば、イザヤ書第九章、第十一章、第六十章の三つの章を見ると、救世主が栄光の主として堂々と来ることが記述されていますが、第五十三章では苦難を受けることが預言されています。信じて迎えることができずに、イザヤ書第五十三章の預言が成就され、栄光の主の預言は延長して再臨のときに成就されるようになることを、皆様は知らなければなりません。
新約聖書も、旧約聖書と同じように、メシヤが来ることに対する預言は、蕩減復帰の原則によって両面で預言されています。ヨハネの黙示録第一章七節を見れば、再臨するメシヤは、間違いなく雲に乗ってやって来ることが記述されています。しかし、テサロニケ人への第一の手紙第五章二節を見れば、「主の日は盗人が夜くるように来る」と預言されています。雲に乗って来るのに、盗人が夜くるように来ることができるでしょうか。今日のキリスト教徒たちは、雲に乗って来ることは信じ、盗人のように来ることは信じていません。
ですから、私たちは、知恵深くなければなりません。旧約時代の実情から見て、主が雲に乗ってくることもあり、人として来ることもあることを私たちは知らなければならないのです。ユダヤ民族が何よりも待ち望んだメシヤを神様が送ってくださったにもかかわらず、どうして彼らは、来られたメシヤを殺害してしまったのでしょうか。
旧約聖書のマラキ書は、新約聖書の黙示録に該当します。マラキ書第四章五節以下を見れば、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と堅く預言されているという事実を私たちは知らなければなりません。
エリヤは、イエス様が来られる九百年前の人であり、火の車に乗って昇天した人です。人々は、火の車に乗って行ったエリヤがそのままの姿で来ると信じていたところに、エリヤが来たという話もなく、突然イエス様がメシヤを宣布したのです。
すると人々がイエス様の弟子たちに、「あなたの先生がメシヤであるならば、エリヤはどこにいるのか」と質問するので、弟子たちがイエス様のところに来て尋ねる場面が、マタイによる福音書第十七章十節から十三節の内容です。
「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」。
するとユダヤ人たちの不信はより一層深まり、イエス様が洗礼ヨハネをエリヤだと言ったのは、自分がメシヤを装うためであると不信したのです。さらに、ユダヤ教とイスラエルの国を滅ぼす魁首だと言い、ベルゼブルの頭だと決めつけてしまいました。
このように、イスラエル民族が信じていた観点が、イエス様を送られた神様の摂理のみ旨とは異なっていたという事実を知らなければなりません。この地上に神様のみ旨を成し遂げるために、万民に神様から送られたメシヤは、ユダヤ教徒たちが従わなかったことによって、食い違いの事情を抱えたまま死んでいったという無念の歴史が、私たちの知らない中で起こっていたのです。
イエス様は、ユダヤ民族中心の救世主を待つ信仰の前に現れました。実際にイエス様を通した神様のみ旨は、ユダヤ教とイスラエルの国を越え、全世界を救おうとされるものでした。地で期待する希望と天で成し遂げようとするみ旨がずれてしまったのです。
再び来られる主の場合も同様です。再臨主のために準備された基盤は、せいぜいキリスト教徒だけの救援を願うというのが精いっぱいの信仰基盤でした。しかし、再臨主は、神様が願われる世界と万民の救援、さらには創造本然の理想世界を成し遂げようとして来られるのです。
その世界は、信じて救われるような宗教圏の世界ではありません。堕落とは無関係で、宗教が必要ない、宗教を卒業した真の愛と真の父母の世界を成し遂げようとして来られるのです。
創造主神様の根本は真の愛です。真の愛は、与えて、また与えて記憶しない利他的愛です。この真の愛によって天国を成し遂げようとされる神様のみ旨のために、私は、生涯を投入して与えながら生きてきました。
摂理の中心三ヵ国である韓国、日本、アメリカは、平和理想世界を形成する模範にならなければならない位置にいるのです。天道に従い、世界と全体のために生きて大きく与えるとき、無限な神様の祝福による繁栄を成し遂げるでしょう。もし、自国の利益だけを追求すれば、摂理の中において中心の位相を守ることができず、もっているものも失うことになるでしょう。
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