日付:二〇〇六年十二月八日
場所:韓国、京畿道、一山、韓国国際展示場(キンテツクス)
行事:平和と統一のための平和大使全国大会
尊敬する平和大使の代表指導者の皆様。きょう皆様は、実に歴史的な歩みをされました。新千年紀を知らせる力強い鬨の声が、いまだに私たちの耳元に響いている今日、六十五億の人類の胸の中に、新しい希望と未来を約束してくれる後天開闢時代の双合十勝圏が宣布されてから、既に二年目を越えつつあります。実に一日が千年のようであり、千年が一日のような、天一国創建の多忙な日々が続いています。
このように貴い摂理的な時を迎え、私は、きょうこの場を借りて、選ばれた韓民族の誇らしい子孫として、弘益人間(広く人間世界に利益を与えること)の精神を受けて生まれた全国平和大使の代表指導者であられる皆様に、今後、人類が行くべき方向と使命について、天が下さった特別メッセージをお伝えしようと思います。「後天開闢時代の平和大使の使命」という題目のみ言です。
皆様。古今東西、老若男女を問わず、共通の夢があるとすれば、果たしてそれは何でしょうか。誰もが待ち望んできたものは、「平和理想世界の実現」でしょう。しかし、人類歴史上ただの一度も天が喜ぶ恒久的平和を実現させられなかったということが、歴史的な恨として残されてきました。
何が間違ったために、このようになったのでしょうか。一言で言えば、人間が神様の創造理想を知らないという無知に陥ったからです。数千、数万年待っても、無知からは完成を期待することはできません。
皆様。神様の創造は実に奥妙です。御自身の子女であり愛の対象として創造した人間の完成と幸福のために、森羅万象を先に創造され、環境を準備されました。
神様の創造物の中で傑作の一つである花について、一度考えてみてください。何げなくぽつんと野原に咲いている名もない花に至るまで、花には明らかに創造主の意志と目的が隠されていることを、簡単に発見することができます。花としての生を表現し、完成していく姿は、実に驚異的だと言わざるを得ません。
まず花は、万物の霊長である人間も真似できないほど、美しい色相と陰陽の調和を顕示しています。そして、絢爛な色相に魅了されて寄ってくる蜂や蝶たちの心をとりこにしてしまう、万能の香りも発しています。さらには、あまりにも強くてまぶしい、見つめることも大変な太陽の光を包み、生命を創造して守ってくれる自然の光に変える、和合と平和の光を発散しています。こまめに門前を出入りし、自分の種を繁殖してくれる蜂や蝶たちのためには、甘い蜜を提供することで報いるという道理も忘れていません。
皆様。神様の創造の神秘性は、私たちが言葉ですべてを描写することはできない、実に無限の境地です。したがって、人類最高の画家が描いた絵だとしても、生きた一輪の野性の花とも比較することができません。取るに足らない、たった一つの花を創造するにおいても、このように万物万象と調和し、共生、共栄できる道を開いておかれた創造主、神様であられるのです。ましてや、御自身の子女であり、永遠の愛の相対者であり、相続者として創造した人間の位置はどうでしょうか。
千万種類の花が満開になっても、厳然たる創造の原則のもと、それぞれが個性真理体としての位置を守り、調和した大自然を形成し、共生、共栄する順理(道理に従うこと)を見て、人間も調和と平和、そして自由と幸福を求めて永生しなさいという、天の祝福と恩寵が私たちと共にあります。言い換えれば、人間は、誰もが天が賦与された個性体としての人生の姿と特性があります。すなわち、人間は誰もが個性真理体としての特権を受けて生まれるのです。老若男女、地位の高低を問わず、人間は誰もが自分だけの、固有で個性のある人生の路程を歩まなければならない宿命的存在だという意味です。
皆様。六十五億の人類の中に、皆様と一〇〇パーセント似た人を探し出すことができますか。もう一度考えてみてください。皆様と同じ個性を所有した人がいると思われますか。同じ日、同じ時間に生まれ、同時に死ぬ双子だとしても、彼らの人生は同一でしょうか。世界最高の美男子であっても、最高の醜男がもっている独特な真理体としての個性をもつことはできないのです。知恵の王であられる神様は、正分合作用の変化、発展を通し、今も永遠の個性真理体の創造を継続していらっしゃいます。神様の創造原理がそのようになっています。
ここから私たちは、人間の人間としての絶対価値的基準を発見するようになります。花と蝶の相対的関係と調和のように、人間同士も、お互いにために生きる真の愛を分かち合って生きるようになっているのです。このような真の愛の人生の中で、調和した主体と対象の関係を花咲かせるとき、人間としての絶対価値の基準が設定されるという意味です。
皆様。花と蝶が相互間に主体と対象の関係を設定し、授受作用を通して存在し繁栄していくように、人間と万物、人間と人間、人間と天の間にも、厳然とした創造原理的関係が予知、予定されているのです。森羅万象の個性真理体が調和と統一の中で成し遂げた総合体である大自然は、人間に対して絶対対象の位置に立ち、主体である人間の絶対価値を実体化させる絶対役割を果たすようになります。
同様に、人間は、人間たちの間においても、家庭という基本枠の中で三代圏を形成して暮らしながら、上下、左右、前後の縦的、横的関係を学び、身につけるようになります。個々人全員、個性真理体としての絶対価値を実体化する主体と対象の関係による授受作用を通し、和合と愛の人生を追求するようになるという意味です。
人間と神様の間はどうでしょうか。創造主として、絶対、唯一、不変、永遠の位置をもっていらっしゃる神様も、知ってみれば、御自身が立てた創造原理圏内で被造万物と授受作用を継続しながら、主体的立場に立っていらっしゃるのです。いくら絶対者だとしても、対象と与え合う授受の関係を離れては、喜びを感じることはできないからです。
人類の最初の先祖であるアダムとエバが、もし堕落せずに、創造原理に従って人間完成、すなわち人格完成を成し遂げていたならば、人類は、絶対価値的存在の位置に立ち、上には神様を主体として迎えて絶対服従し、下には自然界の万物を対象として、永遠の平和王国を享受するようになっていたでしょう。地上界だけでなく、霊界でも永遠の天国市民として生きるようになっていたでしょう。
そうだとすれば、全知全能であられ、不可能はない神様の子女として創造された人間、なぜそのように無知の状態に落ちてしまったのでしょうか。人類の先祖アダムとエバが、天使長の偽りの愛に誘惑されて堕落の道へと陥ってしまったからです。この事件こそ、人類歴史上、最初の悲劇であり、最も恨めしく、悲しい恥辱となってしまったのです。
したがって、遠大な創造理想をもって御自身の子女であり、真の愛の絶対的相対として創造した人間を捨てることのできない神様は、長久の歴史の中で、悲壮、凄絶な恨の心情で耐えてこられました。誰も知ることのできない歴史の裏道で、囹圄(牢獄)暮らしをして耐えてこられた人類の永遠の真の父母であられるのです。
Create your
podcast in
minutes
It is Free