日付:二〇〇二年六月二十一日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:天地父母統一安着宣布大会
この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に御参加された高名な紳士淑女の皆様。愛する祖国の兄弟姉妹の皆様。そして、この歴史的な大会を見守ってくださっている全世界七千万の皆様に心から感謝申し上げます。
私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布の時代を迎えました。六千年間、天と地が何よりも待ち望んできた平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神様の摂理的な内容と神様の心情を完全に知るところから、すべてが解決されるのです。
平和世界はいかにして訪れるのか今日、人類が平和の世界を語り、一つの世界を語っていますが、まずは私個人から一つになり、平和をつくることが問題です。ですから、そのような実情を知る神様がおられ、心ある人間、偉人がいるとすれば、自分個人を一つにする作業をしようと考えざるを得ないのです。
皆様はよく、「互いに愛し合い、互いに奉仕し、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいく」と言います。「愛しなさい」というのは、「与えよ」ということです。「自分から相手に働きかけよ」ということです。「互いに愛を受けよう」、「愛してほしい」ということではありません。互いに奉仕するようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの立場の磁石が必ずプラスに向かうように、良心の力によって神様を知ることがてきます。
良心の力によって神様に接近すればするほど、何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じることができ、平和の母体となる神様の愛によって、自分の五臓六腑全体が刺激を受け、衝動的な感銘を感じることができる人間になるのです。
「自分は今までこのように生きてきたが、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならない」と考え、気力が足りなければ、ひざまずき、骨が固まって死ぬことがあっても、「私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間に尽くさなければならない」と夜を徹して祈祷しなければなりません。国土を守り、人類が至るべき幸福の基盤を見つめながら生きながらえ、「私が死んだとしても、世界を生かしてほしい」と祈れば、その老人の墓は雑草に覆われたりはしないでしょう。
いくら醜くしわがよっていても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとして現れ、歩く姿が憔悴していても、その道が希望の灯台として輝く座標になると分かるとき、自分の生涯において、悪の友となり、悪の足場を広げてきたこの恨を踏み越えて、「私の生涯に、もう一度だけ善の基盤を加重させて行かなければならない」と切実に願うようになるのです。そのような運命の道があることを知り、休まず急いで行かなければなりません。
そのため、私も今まで生きてきた生涯で、そのような趣旨から六度も投獄の苦難の十字架を背負ったのであり、海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で、異端者だと指弾される時も、反対される時もありました。しかし、私の行く精誠の道理が、皮膚の色が違う民族を通して正統の主流思想であることを知り、天のみ前にひざまずき、天を慕うことに歩調を合わせる道であるならば、私はどこにでも駆けつけるという思いで、一生の間生きてきました。
私たちが天の精兵となって勝利してこそ、神様が永遠に喜ぶと同時に、イエス様と聖霊も永遠に喜び、聖賢たちまで喜ぶ平和の時代が、この地上に到来することを心に銘じなければなりません。それで、個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いまで経るようになるのです。また、神様とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和の時代が訪れるのです。そのような原則的な過程を通して摂理してこられた神様の事情を、皆様は悟らなければなりません。
神様がサタンと闘ってすべての問題を解決してこそ、宇宙的な平和の時代がやって来るのです。神様の悲しい心情の中心を一掃し、解怨する時がやって来ない限り、人類の平和も実現されず、天的な一つの理念もこの地上で結実の時を迎えられないことを、皆様は知らなければなりません。
もし真の人間がいて、人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設する一つの主義と思想をもって現れるとすれば、その人は個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠とその切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。それができないとすれば、人の世には恨のない平和の世界、幸福の世界、自由の園の建設は不可能なのです。
天国創建の時代における永遠の指導者の条件皆様が宇宙的な天国の理念を代表する存在となり、神様の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開するならば、平和の世界がこの地に建設されるのです。ですから、自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の子女だけが子女ではないのです。
皆様が、すべての人を自分の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人になれば、死亡の世界で苦しむ多くの民を見つめるとき、涙なくしては向き合うことができないはずであり、兄弟や幼い人々を見つめる時も、彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。そのように本当に神様のような皆様になるならば、皆様を中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。
神様は、サタンから先に打たれても、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、命を奪われながら取り戻してくるのです。そのような作戦を取らなければ、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。
皆様は家庭を率い、国と世界のために進まなければなりません。大韓民国において、個人的な時代、家庭的な時代、氏族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家に方向を提示できる案内役を担わなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神様に侍ることができてこそ、霊界と肉界は統一された平和の世界となるのです。
そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天の世界の栄光の表彰を受けるようになるのです。自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流して闘ったとするならば、その人は滅びません。その人が流した血は、死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるからです。そのようにして創建されたその場所こそが、私たちが行かなければならず、とどまらなければならず、残さなければならない基盤なのです。
そして、皆様が天のみ前に「天よ!あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われていたすべての願いが結実しました。人間を立てて永遠にすべての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷するとき、神様が「おお、そうか!」と言える立場で、神様の喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。
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