このように、天国の起点は、個人ではなく、国家や世界でもなく、正に家庭なのです。私たちの愛する家庭がそうであるように、天国は、一度行ったら二度とそこから出たくないと思い、数百回、数千回会っても、また会ってみたいと思うようになる、愛する人々が暮らしている所です。万人が共通して行きたいと思う本然の故郷です。
しかし、そのような天国は、一度にできるのではありません。時代が変わって天運が共にあるからといって、棚からぼた餅式に天国が私たちの目の前に現れるわけではないのです。私たちは、まず天国家庭をつくることができる人格者にならなければなりません。言い換えれば、個人完成を成し遂げなければならないのです。個人完成を通して真の人格者になるためには、心と体の調和統一を完成しなければなりません。
本来、人間は、心と体が一体になり、何の相克も不和もなく生きるように創造されました。主体である心に対象である体が絶対服従し、渾然一体となって生きるように造られたのです。しかし、人類の始祖アダムとエバの堕落によって、すべての人間は堕落の後裔として生まれ、堕落性を受け継いだので、仕方なく心と体の相克の中でもがいて生きているのです。
歴史上、誰一人として心と体の一体を完成して生きた人はいません。人類を救おうとされる神様の救援摂理は、休むことなく継続されてきましたが、個人完成を成し遂げ、心と体の闘いから解放された人がいなかったのです。数えきれないほど多くの人々が、深い山中に穴蔵をつくり、一生をかけて祈祷と苦行で死闘をしても、その闘いから自由になった人はいなかったというのです。
その理由は簡単です。歴史上、今まで誰もその方法を知らなかったからです。いかなる道人や哲学者も、この心と体の闘いだけは止めることができませんでした。個人的に志を立てて、修行の道を歩んだからといって、得られる答えではないからです。天の摂理を理解して召命を受け、神様が数千年間、進めてきた復帰摂理を完成させることができる段階にまで進み、天と地が共に認める立場で勝利しなければ、考えることもできないのです。このような使命を完遂するために、救世主として、そしてメシヤと真の父母の資格をもってこの地に降臨された方が、正に二千年前に来られたイエス様でした。
しかし、天の摂理を完成してさしあげるために、神様のひとり子として来られたメシヤであるイエス様も、最後にはユダヤ教とイスラエルの不信によって十字架上の露と消えてしまいました。機会があるたびに「怨讐を愛せよ」と訴えるように叫ばれたイエス様の教えも、私たちの心と体の闘争を終息させてはくれませんでした。
天倫の秘密を明らかにしたレバレンド•ムーン天は、もうこれ以上待つことができなくなりました。今や、レバレンド•ムーンの勝利的基盤の上に、あらゆる天倫の秘密を明らかにしていらっしゃるのです。人類救援の最終段階の摂理を締めくくる再臨のメシヤとして、救世主として、そして人類の真の父母としての使命を勝利的に完遂したレバレンド•ムーンを通して、人類が個性完成を成就し、人格革命を完成し、この地上に理想天国を創建できる真の愛の絶対価値観的な真理を明らかにしているのです。
皆様。私たちの心と体を和合統一させる唯一の道は、ために生き、真の愛で投入して忘れてしまい、対象の位置で絶対服従を通して主体的愛の主人を完成させる絶対価値観の実践以外にはありません。堕落性の根のような利己主義を脱ぎ捨て、徹底して人のために徳を施す絶対価値観的な人生、大のために小を犠牲にする共生共栄共義的な人生を守り通すことができなければ、心と体の和合統一は不可能なのです。
結局、心と体の和合統一を成し遂げた個人完成者たちが集まって形成された本然の真の家庭が現れない限り、地上天国の実現は不可能だということです。したがって、人間は、誰でも心の根のような三大主体思想、すなわち父母、師、主人よりも先にある良心の声に絶対服従する生活を送らなければなりません。心の作用を通して伝えられる良心の声を聞き、いつでもどこでも軌道修正できる、水晶のように澄んだ心を維持しなさいということです。
いくら体の欲望が強くても、「原理」の教えに従って、意図的に良心のほうにより大きな力を与えるようになれば、肉身も従ってこざるを得ないのです。それができなければ、断食や禁欲などを通して体を打たなければなりません。泥水になってしまった池にも、継続して澄んだ水が流れるようにすれば、結局、澄んだ池になるのです。
これ以上、皆様の心を悲しませてはいけません。良心の忠告に逆らって心を悲しませれば、皆様の父母はもちろん、師と神様までも悲しませてしまうのです。良心と一緒に楽しむ時間をたくさんもたなければなりません。
世間的な目で見れば、孤独で寂しい立場になっても、良心と不可分の関係を結び、最も親しい友人になりなさいということです。自分の心と体の和合統一はもちろん、新しい天下が目の前に広がる、そのような世界を発見するようになるでしょう。
心身一体の境地に達すれば、良心と肉身が共鳴圏に立つようになるのです。釈迦牟尼の「天上天下唯我独尊」という叫びも、このような次元の心の世界において、初めて理解できるのです。心に尋ねると神様が自分の心の中に入ってきていらっしゃるのかどうかを教えてくれます。心を通して万物万象と自由に対話をし、和動する境地に到達するのです。さらに、霊界とも自由自在に通じ、皆様の永生問題について、徹底した準備ができる生活を送るようになるでしょう
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