神様は、永遠に喜びを享受するために人間を創造された。人類の始祖として造られたアダムとエバは、神様の絶対的な真の愛の対象である。人類はただ一双の始祖から始まるため、この一男一女以外に、他の真の愛の血統がつくられることはない。もし、アダムとエバが神様の絶対愛を通して完成し、善なる子孫を栄えさせていたならば、創造主であられる神様を縦的な無形の真の父母としてお迎えし、完成したアダムとエバは、地上の横的な実体の真の父母となり、理想家庭が実現したはずである。また、真の家庭を根源として繁栄したアダムとエバの一族が民族、世界へと拡大し、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」と言われた神様の三大祝福を完成した世界が成し遂げられていたはずである。その世界がすなわち、神様が地上で実現しようとされた理想天国である。
1 神様が男性性稟と女性性稟を併せ持っていらっしゃるということは、神様のかたちに造られたというアダムとエバを見て、知ることができます。それが一つになってアダムとエバを創造したというのです。それゆえ、神様の位置で、主体と対象の人間、すなわち完全な男性と女性が一つにならなければなりません。
神様がアダムとエバを創造されたのと同じ愛を中心として、そこから初めて息子、娘が生まれるのです。神様が創造した最高の傑作である人間も、結論として、人間(自身)が創造したという位置に立ててあげるために、男性と女性を造ったというのです。ここから、夫婦が完全に一つになることによって生まれる息子、娘は、神様がアダムとエバを造って喜ばれた喜びの偉業までも、相続することができるのです。
神様は、息子、娘を生んで愛することができる愛まで、人間に下さいました。言い換えれば、絶対的な神様がもっているすべてのものを、愛する息子、娘の立場にいる人間に、そっくりそのまま賦与されたというのです。
2 本来のアダムとエバは、神様の体です。実体をまとった神様として現れるための存在が、人類の善なる始祖だったというのです。神様が彼らの心の中に入ってきて、体と一つになり、与えて、また与えたいと思うので、回るようになります。そして、発動機が回るように回り、さらに回って、完全に統一されるのです。そのような種を蒔いたとすれば、そのような種の実を結ぶようになるので、その種はいくら裂いてみても、そのような内容を備えた種にならざるを得ません。
しかし、堕落したので、造り直さなければなりません。神様を再びお迎えし、種を改良しなければならないというのです。神様は、共に生命を分かち合い、共に愛するために、天地を創造しました。ですから、男性と女性は、無形の神様を永遠に愛の実体として登場させるのです。愛の中心実体として登場させるのが、人類の善なる先祖、真の父母です。
3 アダムとエバは、真の父母です。家庭を中心として見るときは、父母が中心なので、家庭の王であり、王妃です。その息子、娘は、未来の王、王妃になり得る後継者です。堕落していない本然のアダムとエバを中心として見るとき、祖父は神様の王権を私たちの家庭に運んできてくれた立場であり、父母は万国に広がる家庭を代表した家庭の王です。本来の家庭の王です。その次に、息子、娘は未来の王孫(王位継承者の長子)として、王権を受け継ぐ王子、王女の立場です。
4 人間始祖の堕落によって、神様が経綸し、神様が創造理想として立てようとされた人類の真の先祖を失ってしまいました。いくら立派で何不自由なく暮らしている人がいて、天下をすべて動かす人がいるとしても彼らは堕落した先祖の血統を受けて生まれました。これが、最も痛恨なことです。堕落した始祖をもった人類は、サタンの地獄に向かって猛進しているので、これを遮り、真の先祖として来て、真の子女として抱いてくれる本然の主人、本然の父母を求めてさまよってきたのが人類の歴史です。
そのため、神様は、四千年の歴史を通して復帰の道を歩み、また歩んで、堕落前のアダム、エバと同じ立場の位置を訪ねてくるのです。
5 堕落していないアダムとエバは、人類の真の先祖です。真の父と真の母です。体をまとった人類の真の父母です。そのアダムとエバが堕落したため、人類がサタンの子孫になったのです。アダムとエバが堕落せずに、本然の神様の心情に通じて、神様が喜ばれる中で、善男善女として聖婚式を執り行い、人類の真の父母になったとすれば、万物はアダム、エバと和動しながら、喜んでその家庭に必要とされるものになったでしょう。
アダムとエバが幸福を謳歌し、神様を永遠の父として、侍ることができる人類の真の父母となり、人類の標本となる真の夫婦となり、神様のみ前には真の子女となったならば、誰も、彼らを奪っていくことはできないというのです。それは、主人が一人だからです。心情の主人も一人であり、愛の主人も一人です。そのようなお方が神様であられます。
6 堕落がアダム家庭から始まったので、本然の姿に帰っていく復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は、世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め、一つの中心家庭を求めるのです。
神様は、歴史を通して、御自身の理想的な対象になり得る真の家庭を求めてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは、内容が根本的に異なります。神様を中心とした理想的な真の家庭を探し出すことができなければ、理想的な国も世界も探し出せません。本然の真の家庭を先に立てなければならないという原則が、ここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの基本単位となります。
堕落しなかったならば、アダムとエバは真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。アダムとエバを真の父母として繁栄した人類は、一つの大家族をつくり、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。
7 神様の復帰摂理歴史は、悲しい歴史です。神様がアダムとエバを失ってしまったことが悲しいのです。それだけではなく、アダムとエバを失ってしまうと、その二人でとどまるのではありません。
アダムとエバを失ってしまったということは、アダムとエバの一族を失ってしまったことになるのです。その一族が拡大されて民族になり、一つの国家を形成し、一つの世界に拡大されていたはずなのですが、すべて失ってしまったというのです。ですからアダムとエバを失ってしまうことによって、天の国の王権を中心としたその王国を失ってしまい、天の国の民族を失ってしまい、天の国の氏族を失ってしまい、天の国の家庭を失ってしまったのです。天の国の男性と女性、ひとり子とひとり娘を失ってしまったのです。
ですから、救いの歴史である復帰摂理歴史は、これを取り戻す歴史です。
アダムとエバが堕落していなければ、子孫が繁栄し、今日、数十億の人類がすべて天の国に登録され、家庭がそのまま天国に入っていくようになっているのです。
8 人類始祖が堕落することによって、人類は真の先祖をもつことができず、真の子孫になれませんでした。神様も真の神様の位置に立つことができませんでした。神様を中心とした真の家庭、民族、国家を形成しようとした、そのすべてのことが成し遂げられなかったというのです。そのため、私たちは、再び真の根を求めなければならず、真の家庭が住める国を求めなければなりません。
ですから、神様は、救援摂理を通して希望の世界、真の平和の世界、愛の世界、統一の世界、一つの世界を追求してきたのです。それを成し遂げるために、神様は救世主を送ってくださるのです。真の父母がこの地に来て、個人的な中心、家庭、氏族、民族、国家、世界の中心を教えてあげることによって、全人類を本然の世界に戻そうというのが摂理歴史です。
9 再び来られる主が、空中から雲に乗って来て、霊的に、妄想的な国家を創設するというのが、神様の願いではありません。その方が再び来られるのは、この地を足場として、神様のありったけの愛を受けることができる一人の新婦を迎え、人間の先祖が六千年前に人類の真の先祖になれず、偽りの先祖となることによって失ってしまったものを、取り戻す役事(働き)をするためです。
それゆえ、神様の愛と一致し得る位置に立てる完全な男性と、神様の愛に通じ得る位置に立てる完全な女性が、歴史時代に必ず現れなければなりません。
今この時が、新郎として来られる主を迎える新婦として立つことができる時です。ですから、この位置は、エデンの園でアダムとエバが愛を受けた、それ以上の位置であり、アダムとエバを祝福してくださった、それ以上の位置です。地上にそのような基点が生じてこそ、サタンが侵犯できません。人間始祖アダムとエバが、そのような勝利の位置に立つようになったとすれば、天使長はサタンにならず、完全なる僕の位置で人間に侍る立場に立ったでしょう。これが創造原則です。このような位置を失ってしまった人類は、孤児です。ですから、このような位置を取り戻すことができる人類の真の父母が、この地上に現れなければなりません。
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