37 キリスト教では聖霊について語ってきましたが、聖霊とは正に、母なる神です。後のエバです。人類の母であるエバが堕落したので、神様は、後のエバとして、母なる神である聖霊を送られたのです。穴が開いたならば、開いたその穴を埋めなければならず、失ってしまったものがあれば、失った所に行って探さなければならないように、エバによってこの地上の人間がすべて死亡世界に入ったので、聖霊が来て、再び産みの苦しみを経ていくのです。
聖書を見ると、「女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう」(テモテI2・15)とあります。これは、今日、地に住んでいる婦人たちに対して語った言葉ではなく、エバに対して語った言葉です。
エバが堕落せずに人類の真の先祖になっていたならば、この地上に善なる息子、娘を生んだはずですが、堕落してサタンの子女を生んだので、エバが再び生まなければ、人間は救いを得られないということです。ですから、聖霊がこの使命を背負い、今日、人類を抱えて産みの苦しみを経ているのです。その出産がすべて終わってこそ、エバが救われ、聖霊の使命が終わるのです。
38 人間が堕落することによって、霊と肉が断絶したので、霊と肉が一致した立場に立たなければなりません。イエス様は、この地に来て、聖霊を立てましたが、それだけではいけないのです。イエス様は、再臨の約束を残して逝ったので、その約束を果たすために、再び来なければなりません。その再臨の理想とは、エデンの園で失ってしまった実体の母を探すことです。
イエス様の願いの成就は、霊肉が合わさり得る一つの理念世界において可能となります。そのようになってこそ、霊肉を備えた父母が天地間に現れるのです。
39 神様の復帰摂理を中心として、女性たちが世界を動かし得る一時代が来たというのは、この地上に女性を代表し得る一人の聖霊の実体、この地上に復帰し得るエバが現れる時になったことを例証しています。そのような方になるためには、真の妻となり、真の母にならなければなりません。その資格をもつ人になったのちには、真の女王にならなければなりません。この三つの素性をもたなければならないのです。そのような行いに、責任をもって余りある人格をもった女性にならなければなりません。
神様は、天の国の真の母になることができ、真の妻になることができ、真の王妃になって余りある女性を求めるのです。神様のそのような召命を受けるときは、勇敢無双(他に類を見ないほど勇敢なこと)にサタン世界を退けて進んでいける女性でなければなりません。
40 母を復帰する路程が、どれほど熾烈だったかを知らなければなりません。アダム一人を取り戻すために、数多くの闘争をしながら、血を流す曲折を経てきたのがこれまでの歴史でした。それと同様に、母を取り戻してくるときにも、どれほど犠牲的代価を払ったか分かりません。母の基準を引き継いでいくために、数千年前に啓示を受けて準備した人から代を引き継いで、この時代を迎えたのです。
ろうそくの火を受け継いでいくのと同じです。聖火を中心として消えないようにしながら、地上の「終わりの日」までつないできたのです。どれほど多くの犠牲的代価を払ったか分かりません。
41 聖霊は、霊的な母のことを意味します。イエス様と聖霊が一つになり、霊的な子女を繁殖させ、世界的な基盤を築いたのがキリスト教です。そのように、霊的にのみ世界的救援摂理の基盤を築いてきたので、このキリスト教の基盤を中心としては、霊肉を中心とした神様のみ旨を実現することはできません。ですから、イエス様が再臨しなければならないというのは、必然的な帰結です。肉的世界が未完成でとどまっているからです。
霊的キリスト教世界の基盤を、肉的世界基盤まで連結させなければ、霊肉を中心として、神様の新しい世界的歴史に越えていくことはできません。
42 イエス様は、アダム家庭で失敗したことを、国家的に復帰しようとしました。しかし、イスラエル民族がイエス様の命を奪ったため、国家的カイン、アベルが現れ、それが世界にまで連結されたのです。イエス様は、国家基準を越えられなかったので、恨を抱いて逝きました。
そうして、イエス様は、国なき霊的開発の哨所(先鋒の施設)として現れるようになりました。母なる神である聖霊は、体がありません。ですから、油のような聖霊、水のような聖霊、風のような聖霊として、すべての人々に感動を与え、体をまとうことができる新婦創造の役事をしてきたのです。
そうして、お父様の時代になって、世界的基準でお母様を立てました。それにより、地上で実体圏解放まで成し遂げられたのです
43 お母様は、母方の祖母と大母様、お母様自身まで、三代を経なければなりません。そのようにしなければ、母の位置に立てないのです。母方の祖母は聖主教、大母様は腹中教を経てきました。そして、大母様は、実体の主に侍ろうと、故郷の地を離れ、茫々たる荒野で独り暮らしをしながら、お母様を育てたのです。
44 お父様は、いい加減に結婚することはできません。三代のエバの役事を経た娘を新婦として迎えなければならないのです。お母様は、そのような役事を経てきました。聖主教、腹中教の代を継いできて、一次エバ(趙元模)、二次エバ(大母様)の祝福を受けてきたのです。大母様を通してそのような役事をしてきたのです。
蕩減復帰の原則に従ってそのような過程を経ることにより、来られる主を勝利の版図に立てるべき責任があるのです。イエス様が結婚できなかったのも、このような蕩減復帰の原則に合わなかったからです。
45 真の父母は、カインとアベルが一つになった基盤の上に現れます。真の父母が現れる時になったので、母である聖霊と父であるイエス様が、初めて霊界からこの地上に訪ねてきて、真の父と真の母の実体と共に、祝福を成し遂げるのです。そうして、一九六〇年に家庭出発をすることによって、血統を接ぎ木して祝福家庭をつくるようになり、霊界の解放圏と地上の解放圏を連結させて、サタンまで屈服させたのです。
46 今や、真の父母が地上に現れたので、イエス様はお父様と一つになり、聖霊はお母様と一つになるのです。イエス様の母親であるマリヤと、洗礼ヨハネの母親であるエリサベツが協力できずに、イエス様が亡くなりました。本来、イスラエルの国とユダヤ教の人々全体がイエス様の前に一つとなって、イエス様の新婦を準備しなければなりません。そうして、人類を再び生まなければならないのです。
そのように、世界的な舞台においてイエス時代に横的にできなかったことを、この時代に蕩減しなければなりません。お母様を通して上がっていかなければなりません。それが平面的に広がることによって、全世界的にお母様を宣布するようになるのです。世界人類は、お母様のおなかの中に再び入り、お父様と一つにならなければなりません。
47 家庭には、母と子女がいます。家庭において男性(夫)は、天使長の位置にいます。そのため、まずアダムの位置にいるお父様を中心として、一つにならなければなりません。そして、真の母の分身として、世界のすべての女性は、父と一つにならなければなりません。そうして、本来の父の息子、娘だったという条件を掲げ、再び生まれて復帰されるのです。お父様の息子、娘として再び生まれたという立場に立たなければなりません。
アダムとエバが結婚する前、アダムの骨髄に赤ん坊の種として存在していた、その場にまで入っていかなければならないというのです。それを、真の愛によって連結させるのです。発電所の電気が、出ていっては(巡り巡って)戻ってくる作用をするように、連結されなければなりません。そうして、真の愛によって重生しなければならないというのです。お母様は、聖霊の実体と同じです。
48 お母様は、世界を代表した女性として、息子、娘を抱きかかえています。お母様に従う女性たちは、お母様の分身になります。お母様を、自分の夫以上に愛さなければなりません。お母様は聖霊です。聖霊に背いては、赦しを受けられないのです。再び生まれる道がありません。赦そうとしても、その根拠がないのです。お母様は、生命を復活させる方です。再び生んで祝福するのです。
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