堕落した人類の前に顕現された真の父母は、真の愛なる神様の実体である。真の父母は、神様の救援摂理を展開する再臨役事の主人であり、人類を偽りの愛と悪なる血統から真の愛、真の生命、真の血統に転換し、宗教を一つに統一する救世主、メシヤの使命をもっている。真の父母を中心とした家庭の伝統を受け継ぎ、新しい文化を創造する本然の世界では、神様と一つになって完全なる愛の授受作用を行うようになるので、救世主が必要なく、原罪がない立場であるがゆえに、父母、夫婦、子女、家庭全体が、神様と共に永遠に暮らすことができるのである。それが、神様が摂理してこられる歴史の最終目的である。そのようになれば、初めて神様の復帰摂理の目的と人類が願う理想世界が成し遂げられるのである。
1 神様の復帰摂理は、神様が地上に定着するためのものです。地上で完成基盤を失ってしまったので、再び復帰して完成しなければならない責任が神様にあるのです。その目標に向かって、これまで復帰摂理をしてきたのです。神様が完成した夫と妻を立てることが、メシヤを送られた目的です。
旧約と新約の最終摂理の目的は同じです。新約時代は、旧約時代の完成圏を形成しなければなりません。成約時代は、新約時代の完成圏を越えなければなりません。そのため、完成した成約時代の中には、新約完成圏と旧約完成圏がすべて入っています。イエス様は、旧約時代を完成するために来ました。イエス様の中に旧約時代がすべて入って完成することによって、一つになるのです。それが新約時代です。イエス様を中心にそのことを成し遂げようとしたのですが、できなかったので、再臨時代に延長されたのです。
ですから、再臨時代である成約時代には、旧約時代の完成と新約時代の完成が成し遂げられなければなりません。すべてのことが、再臨主によって収拾されます。この再臨主によって、旧約時代圏と新約時代圏、歴史的なすべてのことが収拾され得る出発が実現されるのです。
2 アダムとエバが堕落することによって、怨讐の愛と、生命と、血統を受け継いで、神様のすべてのものを破壊しました。イエス様の時代に、国家的な基準において霊界と肉界が統一されていれば、第二イスラエルの国は必要ありません。イエス様は、ローマまで一つにし、イスラエルの国と天地、霊界と肉界を統一しなければなりませんでした。それができなかったので、お父様が一時代、高い次元に延長させて二千年を合わせ、アダム家庭での失敗、イエス様家庭での失敗をはじめ、塞がったすべての塀を崩さなければなりません。霊界と肉界、霊界の楽園と地獄の塞がった塀を崩してしまわなければなりません。
そのために神様は、「文鮮明は救世主である!再臨主である!メシヤである!真の父母である!」と宣布するのです。「真の父母」と言えば、「救世主、メシヤ、再臨主」と言う必要はありません。真の父母と一体化したものと見ればよいのです。
3 真の父母は、救世主です。世の中を救ってあげなければなりません。偽りの父母が偽りの愛によって世の中を生み出したので、世の中を救うには、真の父母の真の愛によって救わなければなりません。
宗教を一つにする人がメシヤです。宗教を統一させ、真の愛を中心として、家庭定着を目指すのです。世の中も家庭定着を目指し、平和を目指します。宗教も平和統一を目指すのです。その次に、第一イスラエルであるユダヤの国と第二イスラエル圏も、その国を中心として家庭の失敗、国家の失敗、世界の失敗、このすべてのことを取り戻すために、第一アダム、第二アダムを経て、第三アダムを中心として進んでいくのです。そうして、天上世界と地上世界の失ってしまったすべてのものを初めて取り戻し、その上に立っている方が真の父母です。
真の父母は、世の中の救世主の王です。真の父母はメシヤの王です。真の父母は、旧約時代、新約時代、成約時代の王です。真の父母は、見えない神様を身代わりする実体です。真の父母は、神様のために生まれたというのです。自分のためではありません。神様も、真の父母のために存在します。真の父母も神様も、真の愛によって一つになるのです。
4 メシヤ、救世主がこの地に来て、空腹から解放してあげることも必要であり、また、その国が受難の中にいれば、そこから解放してあげることも必要です。しかし、それよりも先に、救世主が来て何を解放すべきかというのです。
第一に、愛を解放してあげなければなりません。救世主は、愛を中心とした解放者です。その次には、生命の解放者です。その次には、血統の解放者です。血統が変わったので問題なのです。血統が同じだというときは兄弟圏に入っていくのですが、血統的に変わったのです。言い換えれば、私たちが生まれるときに、根本である血統を中心として解放してあげることが、(メシヤがもつ使命の)骨子だというのです。
5 人間は、堕落していなければ、神様が分かるようになっています。心で分かるのです。世の中が何と言おうと、自分がどこに行くべきかが、自然に分かるというのです。体は自然に心と一つになるようになっているのであって、心と体が闘うようにはなっていません。堕落したので、角度が合わないのです。
この角度を合わせようとするので、宗教世界では必ず体を打ちなさいというのです。そのため、断食をし、奉仕をし、犠牲となって、血を流さなければなりません。悲惨で哀れな状況に直面しなければ、本然の位置に行くことができません。そのようにして、角度を個人的に合わせなければならず、家庭的にも合わせなければならず、氏族的にも合わせなければならず、国家的にも合わせなければならず、世界的にも合わせなければなりません。そのようにするために、真の愛を中心として、世界的に角度を合わせるモデルとして来られる方がメシヤです。
6 お父様が再臨主であり、メシヤであり、真の父母であることを、人々は、そのままでは信じません。再臨主であるなら、再臨主となり得る実績と実権がなければならないのです。サタン世界に勝ち、彼らが公に認める証拠をもった上で立たなければ、メシヤの自覚性(自分の立場や能力、本分などを自ら悟る稟性)や真の父母の自覚性を見いだすことはできません。
ですから、数多くの苦労と困難を経て、地上世界や天上世界で、真の父母、救世主として侍ることができる基盤の上に立ってこそ、メシヤや真の父母の自覚性が天地を越える基準まで進むのです。それができなければいけません。ですから、お父様一代で数多くのことをしました。どの国にもできないこと、どの個人も夢にも見ることができないことを、すべて成し遂げてきたというのです。
7 メシヤとして召命された責任とその観をめぐって、「私がメシヤだ」ということを、お父様が自分の思いで決めてはいけません。環境的に見て、「メシヤなのだな。行かざるを得ない」という自覚が先立たなければなりません。
堕落は、エデンの園のアダムとエバが自分自体を自覚することから起きたのです。復帰も同じです。その基準は、言葉だけではありません。神様が祝福するからといって、立てられるものではありません。祝福したならば、祝福したとおりに実践し、それに間違いがなければ、同居し、同位圏に立って相続することができます。同参(一緒に参加すること)、同位、同居することによって相続するのです。「間違いなく真の父母であり、間違いなくメシヤである」と思わなければなりません。夜に光る灯台と同じです。
灯台は間違いなく、夜に光を照らしてくれます。ですから、メシヤは、世の中がどんなに暗くても、暗い世の中に明るい光を放たなければなりません。
8 万物は、神様のものです。万物の主人が神様なのです。ところが、今に至るまでサタンが主人の振る舞いをしています。愛には、同位権、同参権が存在し、祝福と相続が関わっているので、自動的にサタン圏に移っていくのです。神様のみ座に座ったまま、その周囲まで侵入して主管しています。それが解放される道はありませんでした。今まで何千年の歴史を経てくる間、解放される道がなかったのです。そうして、創造以来、本来の家庭理想基準を復帰するために、今まで苦労してきました。
お父様が生まれて、初めてその前後左右のすべてを整理し、サタン圏から防備するための対策と公式を立ててきたのです。ですから、サタンは後退せざるを得ないというのです。そこに異議を唱えれば、引っ掛かってしまいます。真の父母は、そのようなことをすべて勝利しました。個人的な勝利圏家庭的な勝利圏をすべて立てたというのです。
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