3 皆さんは今、神様の顔を見ることができません。皆さんは、神様の顔を見ることができないので、おなかの中で暮らしているのと同じです。今日の人間は、このような事情に置かれているのです。ですから、重生しなければなりません。霊的な救援摂理は完結し、霊的には重生しましたが、それだけではいけません。霊肉共に重生しなければならないのです。将来、主が来られるというのですが、その主は真の父母として来られます。実体をもった人類の父として来られるのであり、実体をもった新郎としてこの地上に来られ、実体をもった人間の中から新婦を探し出すのです。そうしてこそ、堕落していない真の父母になるのです。
アダムとエバが堕落することによって、真の父母を失ってしまったので、今日の人間には、堕落した父母はいますが、堕落していない真の父母はもつことができずにいるのです。ですから、復帰摂理を経て、実体をもって真の父母の使命を完結するために来られる方が再臨主なのです。歴史的な真理をもって来られる主は、イエス様の霊的救いを基盤として、霊肉共に完全な息子、娘を生むことができなかったので、それを完結しなければなりません。
4 イエス様は、この地上に後のアダムとして来られました。聖霊もこの地上に来て新婦の体をもつことができませんでした。霊界に行ってみると、聖霊は母なる神です。イエス様が地上において実体を備えれば、新婦は天道のすべての内容を知り、すなわち真理の中で新婦の資格を完遂して、メシヤが来るのを待ち望み、彼を迎える準備をしなければなりません。そうして一つの家庭を準備し、一つの国家を準備し、世界を準備しなければなりません。これが、新婦の果たすべき責任です。
ですから、一九六〇年代に入って、女性運動が世界的に広がったのです。この地上に人がいくら多くても、すべて悪なる血統を受けて生まれた堕落の子孫なので、母としての愛を施せる、真の女性が現れなければなりません。「終わりの日」が近づけば近づくほど、そのような代表的な存在が現れる時が近づくので、世界的な女性運動が広がるのです。
これからは、多くの女性が男性を凌駕できるのです。終末期は、堕落したことを女性が復帰できる時なので、終末期である今、女性は天的なエバを代表して立ち上がれる恵沢圏にいます。今日、女性たちが解放とともに、そのような立場に立てるようになったので、この時に真の母が現れなければなりません。私たちは、その母に地上で侍ることができなければなりません。人類は、このような時を迎えて神様を求めていくので、地上に新婦が立てられなければならないのです。
5 統一教会は父母の宗教です。僕の宗教から養子の宗教、庶子の宗教、その次に直系の息子、娘の宗教、息子、娘の宗教から母の宗教を通して発展してきました。
神様は、今まで母を探し求めてきました。相対がいなかったのです。神様は、男性格の主体なので、女性格の相対がいなければなりません。その方は、神様の相対であると同時に、この地の王妃であり、氏族の王の王妃であり、家庭の王の王妃です。ですから、祖母の代身であり、母の代身であり、妻の代身であり、娘の代身です。母がそうです。本来、母がいれば、すべてそうなるのです。天の国の王妃になり、この国の王妃になり、その次に自分の先祖たちの祖母になり、母になり、妻になり、娘になるのです。それをすべて合わせたものが母の価値です。
6 皆さんは「家庭を信じる」という言葉を聞いたことがありますか。キリスト教徒たちに「誰を信じるのか」と尋ねれば、「イエス様を信じる」と言うのであって、「イエス様の家庭を信じる」とは言いません。仏教徒たちに尋ねても「お釈迦様を信じる」と言うのであって、「お釈迦様の家庭を信じる」とは言いません。これからは、家庭救世主宗教が現れなければなりません。それが真の父母主義です。真の父母宗教です。真の父母宗教は、四位基台を造成する真の父母の生活宗教です。そうなれば、父母が息子、娘の救世主になります。聖書のヨハネの黙示録を見ると、復帰歴史に関する内容が出ています。それで、聖書は偉大だというのです。このような復帰の原則があるので、聖書の最終章に復帰の内容を入れるようになったのです。
ヨハネの黙示録に「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(二二・一七)と記録されていますが、花嫁とみ霊とは何か分かりますか。花嫁は主の妻になり、み霊は霊的なものなので、ここに霊肉が合わさった母が現れなければなりません。イエス様は、人類の父であり男性なので、女性の中から母を探し出して新しい世界へと救わなければなりません。
7 お父様は、立派なお母様を迎えました。顔が美人だから立派なのではありません。心が美しいので、顔が美しいのです。心が美しいので、声も美しく、容姿も優雅なのです。お父様は、神様の哲学を自らが成し遂げ、教える師です。その原理どおりに行くために、お母様を神様の代わりに称賛しながら生活してきたのであり、大衆に称賛して宣伝したのです。それが原理に通じるからです。
8 世の中の人々は、お母様のことを「美人だ」と言うのですが、どのような人が本当の美人か、私は研究しています。
美人とは、顔がきれいだからといって美人であるわけではありません。心がきれいであってこそ、「美人だ」と言えるのです。それでこそ、千年過ぎても、その美貌を損なわず、和気あいあいとした、清い姿を保てるのです。そのような女性が、環境を美しく輝かせ、かき抱いてあげることができます。そのような女性が美人の中の美人なのです。そのようなお母様なので、私は、お母様が美人の中の美人だと思うのです。
9 お母様は、とても知恵深い女性です。お母様は、目が素晴らしいのです。にこっと笑う時には、私はその笑う魅力的な目に惚れ惚れしてしまうのです。そのような魅力的な目をもっています。それから、私は、お母様の鼻が本当に好きです。良いことがありそうであれば、鼻がひくひくと笑います。それがお母様の魅力なのか分かりませんが、夫をそのように感動させるのです。
それから、深刻な時は、お母様はできるだけ口を突き出さないようにします。そのような口が美しいのです。そして、態度が美しいのです。お母様は、本当にきれいなところがたくさんあります。女性たちがそのような武器をもてば、「万事亨通」(すべてが思いどおりにいくこと)する秘密の鍵をもつことになると思います。
10 お母様の特別なところは何かというと、霊感が鋭いことです。天性的な素質をもっています。そして、お父様が「しなさい」と言うことは何でも「する」と決意し、また、その決意したことをいつも忘れずにいるので、受難の道も克服できたのです。それは、目的を中心とした忍耐心に当たるものです。また、私がお母様に有り難く思うことは、自分の貴いものを自分の息子、娘ではなく、皆さんに、ためらうことなく一〇〇パーセント与えようとするところです。それは、神様が贈り物として下さった性格だと思っています。
11 お母様は、二十年間で十二人以上の息子、娘を生んで、ヤコブの家庭を完全に蕩減復帰しなければなりません。イエス様の十二弟子が一つになれず、どのようにしたでしょうか。結局は、イエス様を売ってしまいました。別々の氏族で結ばれた兄弟圏が問題でした。ヤコブ家庭は、四人の女性が生んだ息子、娘なので問題になりました。その問題を克服するためには、二十年以内に十二人以上の息子、娘を生まなければ、お母様の使命が不可能になるのです。そのような面から見ると、二十歳を越えれば、お母様になることができません。満十八歳までです。韓国の年では十九歳までです。
ですから、四十歳のお父様が十七歳のお母様と結婚したのです。お父様が十六歳の時に、あらゆることを決心して立ち上がったように、女性も十六歳を越えてその基準に合わせなければ、女性の解放圏を連結する道がありません。
12 歴史において、女性たちが経たあらゆる惨状の過程を経たとしても、不平を言わず、夫のために生きることができ、さらに苦労ができる女性はいませんでした。ですから、「本当に、み旨の前に立っている私は、何一つ弁明の余地がありません」と言う人はそのような風霜をたくさん経験したのでむしろ私が落胆する時に、慰められる対象になるのです。そのようなところから始めるのです。
心情的な蕩減をしなければなりません。上がっていく時も引っ掛からず、下がってくる時も引っ掛かってはいけません。二十歳前まで下がってきて、二十歳前の少女を天が相対として許可すれば、その少女は、どんな困難な立場に立たされても、順応できなければなりません。ですから、孤独な背後から探すのがよいのです。お母様には、父親もなく、兄もなく、みないませんでした。ただ一人、天のためには何でもするという、洪という母が背後にいるだけでした。
13 お母様は、聖婚式の時に十七歳でした。お父様は四十歳でした。四十歳の男性が十七歳の娘をお母様として迎えることにしたのです。しかし、摂理史では仕方がないことです。そのようなお母様を迎えて成し遂げてきたのです。ですから、約婚する時、お母様に「私はこのように行かなければならない」とすべて話しました。プログラムどおりに行くので、お父様を尊敬するのです。
このように攻撃されるときにはこのように越えなければならず、ここから攻撃されるときにはこのように越えなければならない、と教えてあげたのです。その道のとおりに行くので尊敬するのです。その道が困難であっても越えなければならず、行かなければなりません。
14 私(お母様)は、聖婚式の一ヵ月前に、お父様が夢に現れ、天から特別な啓示を受けました。「その日が近づいたので準備しなさい」と、啓示が下りたのです。その時は、いわば天が求婚したというより、天の訓令が下されたのです。訓令があった時、私は完全に自我を離れた立場にいました。私はその時、天の摂理でなければ、そのような大きなことを判断できる能力がなかったので、無我の境地になる以外になかったのです。
そして、祈らざるを得ませんでした。「今まで私は、み意のままに生きてまいりました。今、神様のみ意が何だったとしても、神様の摂理の目的がどのようなものだったとしても、命じられるままに従います」と、私は啓示に対して答えました。それは、私が満十七歳の時の二月頃でした。私は、完全に無我の立場で準備していたので、当時の事情などを分析したいとは思いませんでした。神様のみ意のままに応じることを、ひたすら願っていました。
15 私(お母様)の母方の家に伝説のような物語があります。私の母方の祖母である趙元模の趙氏一族に、趙漢俊の弥勒についての記録があります。一九九一年に、お父様と北朝鮮に行ったとき、そのようなものがあるかと聞いてみました。するとまだその弥勒はあるということでした。
趙漢俊の弥勒についての伝説によると、天の王女を送ると約束し、国のための精誠を記憶し、忠誠の家門で私が生まれるようにしたというのです。その母方の祖母から大母様が誕生され、大母様を通して私が生まれました。再臨のメシヤを迎え、再臨のメシヤの相対を育て上げるための神様の環境創造が、その趙漢俊の弥勒から始まり、私にまで連結されたのです。皆さんがみ旨や天のみ前に精誠を尽くしたものは、必ず天が記憶してくださいます。ですから、私は、お父様に会った時にすべてが分かったのです。環境創造の中で誕生し、育ったので、私が果たすべき、私が成し遂げるべき使命が分かったというのです。
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