9 霊界の地獄世界を撤廃し、天国の門が閉ざされているのを完全に撤廃する、宿命的な事業の曲折を解くために、生涯を捧げてきました。私がこれを認めなくても、環境が認めて侍ることができる、その基盤の上で命令できなければなりません。私は「真の父母」という言葉を言いませんでしたが、霊界から直接、啓示を受けて、真の父母であり、メシヤであり、救世主であると認めたのです。
個人的なメシヤ、個人的な真の父母、個人的な救世主はいくらでもいます。天宙的なメシヤであると、天と地が公認しなければなりません。「あの方は、私たちの真の父母でありメシヤである」と公認する霊界の統一的基盤で、そのように仰ぎ見ることができる勝利の覇権の位置に立たなければなりません。
10 メシヤは、国家を代表して、世界的アベルとして来るため、カインがアベルの命を奪った歴史を蕩減できる国家的基準が完結すれば、その基盤の上に初めて、父母の内容を備えて来られるのです。ユダヤの国とユダヤ教が一つになり、カインとアベルが歪(ゆが)ませた歴史を一つにできる国家的基盤が完結することによって、初めてイエス様は真の父母の位置に立つのです。
復帰歴史においては、兄弟が一つになったあとに、父母が現れるのです。国家的基準においてユダヤ教とイスラエル民族が一つになり、ユダヤ教と祭司長がカイン復帰を通して一つになることによって、その国家的基盤の上にメシヤが顕現できるというのです。その方がイエス様でした。イスラエル民族とメシヤが一つになっていたならば、エデンの園でアダムを中心として分立されていたカインとアベル、分立されていた国家的基準を一つに完結することによって、メシヤは父母の形態を備え、新しい家庭編成と同時に、世界的に顕現することができたでしょう。
11 第二次世界大戦以降、アメリカを中心として全体が長子圏でした。長子権、父母権、王権を成し遂げなければなりません。そうして、父母を迎えなければなりません。長子権はすべて成し遂げましたが、父母を知りません。来られる再臨主、父母を迎えて王権復帰をしなければならないのです。ですから、「神様のもとの一つの国」ではありません。父母が来てからは、「神様のもとの一つの世界、一つの宇宙、一つの天宙」をつくらなければなりません。そのような世界になれば、地上天国が実現するというのです。
この自由世界の歴史には、「神様のもとの一つの世界」であるとか、「神様のもとの一つの宇宙」であるとか、「神様のもとの一つの天宙」という概念がありません。神様のみ旨が成就し得る最後の時に、地上に真の父母が来て、父母権復帰、王権復帰をすることによって、「神様のもとの一つの世界、一つの宇宙、一つの天宙」になり得るのです。イエス様がユダヤの国において、国を探して立てることができず、「神様のもとの一つの国」を成し遂げられなかったので、これを取り戻すために世界的頂上に来たのです。
しかし、「神様のもとの一つの国」では、霊界が入っていません。これは一つの宇宙、一つの天宙ではないので、「神様のもとの霊界と肉界」になっていないというのです。再臨主が来て、それを成し遂げるのです。
イスラエルを中心として、イエス様が「神様のもとの一つの国」をつくってローマまで占領したならば、一つの世界になり、その次には霊界まで統一したならば、「神様のもとの一つの宇宙、一つの天宙」になるのですが、それを完成できなかったため、このことが残っています。これは誰も知らずにいます。ただ神様と来られる再臨主だけが知っているというのです。
12 メシヤは、父として来なければなりません。兄として来れば、争うようになります。父母として来てこそ、最後になるのです。ですから、「真の父母」という言葉は驚くべき言葉です。真の父母がいるので、真の父がいて、真の母がいて、真の愛があるのです。真の愛を中心とした真の父母から、真の息子、娘が生まれることができるのです。真の家庭がそこに存在することができ、真の家庭を連ねて横的に拡大すれば、「神様真の氏族、民族、国家、世界、天宙になります。そこに神様が君臨するということは、理論的に異議がありません。
真の父母は、過去にも存在せず、後代にも存在しません。歴史上に一組しかいない真の父母が現れたという事実は、これ以上に喜ばしいことがないというのです。それとともに、血縁的関係、父子関係をもったというときには、真の父母の勝利の覇権を、ためらうことなく相続しても恥ずかしくないのです。それは、自分を超越して、無限の世界にまで「私」を案内してくれます。「真の父母」という言葉が、どれほど途方もないものか分かりません。神様は、真の父母を表題にして、人間を創造しました。その真の父母の愛の中で、真の家庭と世界、真の地上天国と天上天国が連結されるのです。
13 堕落の峠を越え、真の父母の勝利的足場を中心として、新しい地上・天上天国の解放・釈放時代を宣布できる時に入ります。堕落しなかった基準を取り戻していくことができる時になったというのです。ですから、霊界と肉界が一つにならなければなりません。霊界を知らなければ脱落するのです。神様と聖人、偉人がすべて統一決議をし、霊界の楽園から地獄までも決議して解放を宣布したので、地上もそのような立場に立ててあげようとするのです。
救世主、メシヤ、真の主人である再臨主が来て、すべて完成しました。「真の父母」の名を中心として、神様と愛によって一体となり、新しい解放の世界に越えていけるようになったというのです。そのため、神様が玉座から降りてきて、地上で一緒に暮らしながら、関係を結ぶことができる時代に入りました。
復帰摂理を完成された真の父母様神様の復帰摂理歴史は、アダムとエバが堕落したことを蕩減復帰して、人類の真の父と真の母、すなわち真の父母が登場される時まで継続する。真の父母は、堕落した人類に救いのみ手を差し伸べ、行くべき方向を提示する唯一の中心モデルとして顕現される。歴史はここから収拾され、実を結び、出発するのである。それゆえ、失われた過去が復帰されるのも、分裂した世界が一つの世界に収拾されるのも、その一つの世界が起源となって天国が成し遂げられるのも、真の父母によるのである。そのため、真の父母は復帰摂理の完成者となられる。
真の父母は、人間の最高、最終の希望であるがゆえに、歴史的願いは真の父母が顕現してこそ成就されるのである真の父母が現れたその時代が、歴史完成の出発点である。
14 真の父母とは、神様が創造の出発から創造の過程、蕩減復帰歴史路程において、目標としてきた願いです。
真の父母の顕現が実現されなければ、世の中を正すことはできません。神様は、個人の理想的な愛を中心とした完成体の中心であり、家庭的完成体の中心であり、氏族、民族、国家、世界的完成体の中心です。
アダムを中心に地上でその完成体中心の対象的基盤をつくろうとしたものが、サタンによってすべて閉じられてしまいました。そのため、真の父母が来て、再び完成的個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙基盤まで連結しなければなりません。真の父母と一つになることによって、天国に入って自動的に神様と一つになれるようにすることが、救援摂理歴史の目的です。
15 堕落がなかったならば、「真の父母」という言葉が必要なく、「救援摂理」や「復帰摂理」、「再創造摂理」、「復活摂理」などの言葉も必要ないでしょう。堕落することによって救援摂理が存在するようになったのであり、救援摂理を成し遂げることのできる救世主が現れるようになったのです。その救世主は、食い違った過去の出来事を清算するために、神様を代表し、人間を代表して現れた主人公です。
この主人公がすべきことは、サタンを取り除くことです。これは、神様自らがすることはできません。アダムの支配を受けるべき立場にいる天使長が、アダムをひっくり返してしまいました。アダムを主管したのです。ですから、アダムが失った主人の位置を再び取り戻すために救世主が現れなければなりません。そうして、神様に侍り、原理的内容を提示して、僕であるサタンを自然屈伏させ得る立場に立たせなければ、神様の創造理想的な平和の基点を地上に実現できないのです。
16 復帰摂理は、再創造の摂理です。神様が再創造を行うには、本然の創造原理を通して行わなければなりません。その創造原理の中心が、一人の完成した男性であり、一人の完成した女性です。そのような完成した男性と女性は、夫婦となり、愛の道を行かなければなりません。愛の橋を架けなければ、神様のみ前に行けません。これが創造理想の道理です。
今まで、神様は、アダム一人を再び探そうとしましたが、探し出すことができませんでした。人間が堕落したその日から、今まで再創造の原理原則に従って、アダムを求めてきたのが宗教です。世界的宗教には、再臨思想があります。教主たちが再び来て、平和の世界、理想的世界に導くという再臨観があります。その方が何人もいるのではありません。一つの中心、完成したアダムを標準としてきたのです。
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