神様が再臨主としてこの地に送られた、真のお父様の聖誕を前にして、民族的には、日本の占領下において、数年間の凶年が続いて大患難が押し寄せ、国際的には全世界が二つに分かれ、植民地争奪戦を繰り広げるなど、終末時代を彷彿とさせる大混乱が起こった。このように、国内外で混乱の様相が極限に達したのは、再臨主の地上聖誕のための世界的蕩減基台を立てる天の摂理と見ることができる。真のお父様は、三・一運動の翌年、一九二〇年の陰暦一月六日(陽暦二月二十五日)、平安北道(ピョンアンプクド)定州郡(チョンヂュグン)徳彦面(ドグォンミョン)上思里(サンサリ)二二二一番地において、父・文慶裕忠父様と母・金慶繼忠母様の間に、六男七女の次男として聖誕された。
1 本来アダムとエバは、堕落しなければ人類の真の父母となり、神様の心情に通じ、神様の事情に通じ、神様の願いと目的をすべて達成したはずでしたが、堕落することによってそのような計画が挫折したのです。ですから、これを再び取り戻すためには、再創造の歴史を経なければなりません。
言い換えると、アダムを再創造して、失った人類の真の父の立場に再び立て、神様が彼の頭に手を乗せて、「お前は、私が創造の理念に基づいて造ったアダムであり、私の事情と心情を推し量れる息子である!」と祝福してくださらなければなりません。
このような責任を背負って、この地上に来られる方が再臨主です。ですから、六千年の歴史は、神様が取り戻そうとされる、一人の完成した人類の先祖をつくるための歴史なのです。
2 神様は、イエス様がみ旨を成し遂げられず、地上に養子の(父子)関係だけを残して亡くなられたので、彼を再びこの地に送ることを約束してくださり、キリスト教を中心に、直系の(父子)関係を取り戻すことができる土台を開拓するため、二千年間、摂理してこられました。したがって、今日、全世界に広がっているキリスト教徒たちは、神様が愛される真の息子に直接、接ぎ木されなければなりません。
それでは、歴史の終末時代に、主はいかなる資格をもって来られるのでしょうか。真の父母の資格をもって来られるのです。しかし、イエス様がこの地上に来て、真の父母の立場にまで進むことができなかったため、すなわち、栄光の中で神様に侍り、万民を代表して神様を慰労する生活的な土台をもてなかったので、メシヤが再び来られるとしても、栄光の主として来ることはできないのです。
ですから、再び来られるメシヤは、イエス様がこの地に来て成し遂げられなかったみ旨を継承し、神様を慰安してさしあげられる孝誠(真心を尽くして父母に仕えること)の道理を先に果たしたうえで選ばれ、サタンまでも屈服させ、神様に栄光をお返しできる土台を立てておかなければなりません。そのようにするまでは、真の父母の資格を備えることができません。これが、今まで神様が摂理してこられた復帰摂理の概観です。
3 第一次世界大戦から今まで、混乱の世界、戦争の時代が連続しています。この歴史的路程は、偶然に形成されるのではなく、人類史という巨大な歴史をめぐって、蕩減の役事(働き)を行っているのです。
世界のあらゆる知識人たちは、「今は急変する世界である」と言っています。一般の人々は、世界がこのように急変すれば、絶望の世界に到達する危険性が高いと見ています。希望の世界に到達すると考える人は、極めて少ないのです。近代文明を指導してきた西欧文明は、既に没落したばかりか、「もはや真っ暗闇の世界に入った」と言う人もいます。西欧文明を指導するうえで、精神的な支柱となってきたキリスト教はもちろん、キリスト教を中心とした家庭や社会や国家が、傾くだけ傾いているのです。そのようえ、世界の若者たちの中で未来を考える人たちは、極めて暗澹たる立場で悩まざるを得ない時代に置かれています。神様は、そのような絶望の終着点に向かって、そのまま走らせるのではなく、これに代わって、新たな次元の世界へと、希望の場所へと連結する道を考えざるを得ないというのです。
4 第一次世界大戦以降、六十年から七十年の期間は、世界的な激動の時代だと見ることができます。この期間は、受難の道を行かざるを得ない歴史的な運命の期間でした。お父様もこの期間に生まれ、今まで苦難を受け続けながら過ごしてきました。
それでは、神様の摂理において、この歴史の重大な受難期、激動の受難期は、何を目的として訪れるようになったのでしょうか。苦難を受ける背後で、滅びるか再生するかの二つの内容を、歴史はいつも決定してきたのです。この期間は、この二つの問題を決定しなければならない歴史的な運命の期間です。このような立場から、天の父は人類を滅亡に導くわけにはいきません。いかなる手段や方法を使ってでも人間を救わざるを得ないというのです。
この期間は、神様が特別な摂理の基準をこの地上に立てる重大な期間です。ですから、神様は、苦難の中で歴史を引いたり押したりすると同時に、その背後で、新しい天の摂理の基盤、発展の基盤を再生させてこられたことは間違いありません。
5 日本は、東洋を中心としてイギリスの文化を受け継いできたのですが、大陸文化を中心とする韓国は、メシヤが来られる地中海文化圏のローマと同じ立場で出発しました。
アダム国家である韓国に再臨主が来ることになっていたので、私が生まれる前、アダム国家として越えるべき蕩減期間がありました。それで、韓国が四十年間、日本に隸属したのです。私が生まれた一九二〇年当時は、蕩減期間です。ですから、歴史的な全体摂理史を終結させるみ旨を、私の家門において受け継がなければならなかったのであり、それゆえ、私の家族が伝統的蕩減路程を経ざるを得なかったのです。
6 私が生まれた時期は一九二〇年です。三・一運動が起きた年が一九一九年ですから、その翌年に生まれたのです。私が生まれる前の三年間は、凶年になりました。三年以上、凶年になり、最も困難な時に、三・一万歳事件を中心として、国家が混乱する時代に入ったのです。
このように国家が、日本の統治下でサタン側の方向に合わせて引かれていくので、ここに革命を提示し、新たな方向が現れるようになりました。三・一運動を主導した人々は宗教家たちでした。キリスト教と天道教を中心とした人たちが主導してきました。そうして新たな方向、日本帝国主義の方向ではなく、アメリカの方向に従っていくようになりました。
キリスト教が国家と民族を中心として、完全にその文化圏を平準化圏として形成できたという事実は、韓民族が日本帝国主義の統治下において、アメリカを中心としたキリスト教文化圏に方向を合わせてきたために可能だったのです。これは驚くべき事実です。そのような歴史的な反響を巻き起こした運動から、キリスト教は急進的に発展し始めたのです。
7 一九一九年三月一日は、韓国が日本の統治から独立するために万歳運動を起こすことによって、多くの人が犠牲になった日です。なぜ三月一日にそのようなことが起きたのでしょうか。私がこの期間に胎内に宿り、生まれなければならないからです。宿った時から十ヵ月すれば、一九二〇年の正月です。
そうして、条件的にでも国を取り戻して主が生まれるべきであって、条件的にでも国がなければ、来られる主が空中に浮いてしまうため、天はそのような役事をしたのです。私一人が生まれるには、多くの血を流さなければならないというのです。それで一九一九年が凶年になり、そのような良くないことが起きました。天の摂理は、そのように展開してくるのです。
8 十六歳(数え)で殉国した柳寛順烈士は、堕落していないエバと同じ立場にいました。アダム国家におけるエバと同じだというのです。そのエバの立場にいた柳寛順烈士の体を、サタンの立場である日本帝国が六つに分けてしまいました。六数はサタン数です。柳寛順烈士は、国家に忠誠を尽くすため、一身を犠牲にしながら独立運動をしたのです。
独立万歳運動が盛んだった一九一九年に、私はおなかの中にいました。独立していない地でそのまま生まれるわけにはいかないので、私の生命を中心としてそのような闘いがあったのです。その時から十ヵ月後の一九二〇年に生まれました。
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