3 大母様は、私(お母様)を生んだ直後に神秘的な夢を見たそうです。日本の統治下で太平洋戦争のまっただ中の頃でした。朝鮮総督府では、家ごとにくまなく探して、穀物と金物を手当たり次第に奪っていきました。戦争に必要な補給物品と武器を生産するためでした。奪い取った大量の物資は、日本列島に天高く積み上げられていきました。
ところが、ある瞬間から、供出された物資が船に積まれ、玄界灘を越えて韓国の地にやって来たそうです。そして、それが私の家の前庭に一つずつ積まれていったといいます。日本に行っていたすべてのものが、そっくりそのまま返還されたというのです。そこで、大母様は夢から覚めたそうです。今考えてみれば、その夢は、カインとアベルを和解させ、一つにして、天の父母様へと進んでいくべき母の道を象徴的に見せてくれたように思います。
4 韓国には、聖書とイエス様を信じさえすれば天国に行けると、単純に、そして盲目的に信じている形式化したキリスト教団とは異なる、特別な霊的教団が多くありました。彼らは、再臨主を迎える準備をし、主の花嫁を立てさせるため、神様から多くの啓示を受けていました。これが、私(お母様)が生まれた前後の宗教的状況であり、私は特別に準備された霊的な家庭で生まれました。私がきょう、その当時のことを思い、悲しみに浸ったのは、大母様が所属していたその教団が、到底言葉にできないような苦難を経たことが思い出されたからです。彼らは、常に神様の啓示を受けながら過ごしていました。そして、蕩減路程を通して、主の道を平坦にするために、実に信じ難い苦難の道を歩んできました。また、その中のある人は、監獄で死んでいきました。
彼らは、神様から召命を受けた人々として、神様に献身的に侍りながら、いつかはメシヤに出会えることを唯一の希望にして、苦難を越えていったのです。彼らは再臨主を迎えるために、多くの準備をしました。例えば、さじから衣服に至るまで、一切を準備しました。彼らは、服のサイズまで知っていたほど、非常に詳細に啓示を受けていました。しかし、彼らは不運にも、言葉では言い尽くせない苦難の中で、主に出会うことができず、一人、また一人と死んでいきました。彼らの使命は、三代にわたって引き継がれたのですが、彼らの啓示の最後の頂点において、私が生まれたのです。
「天の新婦」として祝福真のお母様の聖誕は、単なる一個人の誕生という次元を超え、神様の摂理史の結実という次元から、その意味を見いだすことができる。二千年のキリスト教歴史は、再臨主を迎えるための韓国の神霊運動に連結され、これは再び、外祖母である趙元模女史、洪順愛大母様、真のお母様の三代にわたって結実した。特に、真のお母様が聖誕されて間もなく、聖主教の金聖道が拘束され、拷問の後遺症によりこの世を去ってからは、許浩彬(孝彬)の腹中教がその使命を受け継いだ。その後、許浩彬が投獄されて不在となる中、腹中教を率いた許浩彬の母親は、六歳になった真のお母様に対して、「天の新婦になられる方」と証して祝福した。また、真のお母様の聖誕以前にも、「宇宙の女王になるだろう」などの多くの預言があった。そのような過程を経て、再臨主を迎えるための精誠の基盤が、真のお母様に継承されたのである。
5 私(お母様)の父は、安州でお生まれになり、生涯を教師として生きられた教育者です。体格が良く、体力もあり、繊細な性格で、常に奉仕をしながら暮らしたといいます。何よりもキリスト教の信仰に忠実で、教鞭生活ゆえにいつも忙しい生活を送りました。李龍道牧師の「新イエス教」でも幹部として活躍し、大母様は祖母と共に、安州の「新イエス教」を拠点として信仰生活をされたので、自然に顔を合わせる機会がありました。お二人は、この頃に婚姻されました。
信仰生活に精進していた時、大母様が啓示を受けました。「洪唯一(ホンユイル)の娘よ、喜びなさい!お前の子が男の子であれば宇宙の王になり、女の子であれば宇宙の女王になるであろう」という啓示でした。この啓示を受けて結婚する当時、父の韓承運は二十六歳、大母様は二十一歳でした。それ以後、主を探し求めるために、絶えず尽くされた大母様は、鉄山の聖主教に通われ、婚姻して九年目に私を身ごもられたそうです。限りない精誠と篤実な信仰生活を通して、一つの生命を得たのです。
6 私(お母様)が生まれた時、神様が地上に主を送る計画について啓示を受けた、許浩彬という方がいました。その許浩彬女史の母親が、私が六歳の時、「この方こそ、天の新婦になるだろう」と預言したのです。許女史の母親は、「幼い少女が天の新婦になるであろう」という啓示を受けていました。当時、神様によって予定され、召命を受けた神霊教団が、主に以北に広まっていました。そして、平壌は、東方のエルサレムと言われるほど、キリスト教の勢力がとても強い所だったのです。
7 北側では、共産党の勢力が大きくなり、宗教に対する弾圧も激しくなりました。それで、許浩彬女史も、一九四六年八月に、平壌の大同保安署の監獄に入ったのですが、監獄で再臨主に出会うという啓示がありました。その時、お父様も平壌で伝道している中で捕まり、同じ監獄に入ることになりました。その監獄で、許女史の一番弟子を通して、許女史に送った手紙が看守に見つかり、お父様はひどい拷問を受け、歯まで折れる受難に遭われました。
私(お母様)が南に下る前に、許女史の母親が啓示を受けて私を呼びました。六歳の時でした。許浩彬女史の集団は、再臨主のために新婦の使命を果たす団体だったのですが、その名目のもとで私に祝祷をしてくれたのです。これから大きな使命を果たす人であるという祈祷を受けました。白いチマチョゴリを着たおばあさんが私一人を呼んで、「天の啓示があった」と言って祝福をしてくださった記憶が鮮やかに残っています。
8 北の西海岸地方に金聖道女史の聖主教がありました。金聖道女史が死んだあとは、許浩彬女史が引き継ぐようになりました。大母様は、その許女史に篤実に従っていた人でした。大母様は、お母様が四歳の時にその集団に連れていったのですが、許女史の母親が、六歳になったお母様を祝福しました。それは、お母様に使命が受け継がれる出来事だったのです。お母様に会った時に、お父様はそのような事実を知りました。神様によって準備されていたすべてのものが、一九六〇年に成し遂げられました。ですから、今、真の父母が現れるようになったのです。ここから子女に対する祝福が始まるようになりました。
真のお母様の名前の意味真のお母様がお生まれになった頃、父親の韓承運(ハンスンウン)氏が夢で鶴を見て、真のお母様の名前を「鶴子」にしたという。
真のお父様は、真のお母様の名前について、「恨(韓国語で「韓」と発音が同じ)を抱いた神様について最高に学んだ学者(韓国語で「鶴子」と発音が同じ)となり、神様の相対の位置に進む」という意味があると解釈された。また、韓鶴子の「子」の字は、「神様の王子と縁を結ぶように生まれついたこと」を象徴すると語られた。
9 私(お母様)が生まれる頃、父は、夢のお告げ、幻想を御覧になったそうです。とてもうっそうとした松林の中に、澄んだ美しい陽の光がさし込み、二羽の鶴が和合する姿が見えたというのです。それで父は、私の名前を「鶴子」とお付けになったそうです。
10 お母様の名前は「鶴子」ですが、「鶴子」というのは「鶴の息子」ということです。鶴は、ヒマラヤの山脈を越え、平原に行って卵を産みます。これはエバの使命と同じです。「子」というのは息子のことを意味します。それは結局、女性として息子を慕うことを意味するのです。お母様の使命は、ヒマラヤ山脈を越えて平和の世界で息子、娘を生むことです。そして、鶴は入り混じったものを食べず、きれいなものだけを食べます。栄養があって、あっさりしたものだけを食べるのです。鶴は、一度飛び始めると、なかなか方向を変えません。そして、高く飛びます。それで、東洋では、鶴をとても愛するのです。
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