21 お父様は解放後、金百文氏と共に出発しようとしました。金百文氏と私は、カインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場にいました。彼は、キリスト教を信仰していましたが、「イエス様は神様と同位である」と言いました。根本をよく知りませんでしたが、その人が神霊的な面では、当時のキリスト教で、最高の信仰基準にいたことだけは間違いありません。そして、金百文氏の一番弟子や神霊的な信徒たちは霊界に通じていたので、霊界から「文先生に従っていきなさい」と教えられたのです。しかし、私はそこに入って一言も語りませんでした。なぜなら、他人の基盤に入ってその基盤を崩してはいけないからです。彼らを自然に屈服させなければなりません。
ですから、私は、涙もたくさん流しながら、模範的な信徒の一人として黙々と過ごしたのです。その信徒たちがお父様に従おうと決心するので、ここから問題が起こりました。
第二節 平壌での伝道生活と大同保安署での摂理 「平壌に行きなさい」という神様の命令
真のお父様は、一九四六年五月二十七日頃、「三十八度線を越えなさい」という天の命令を受け、北朝鮮に進駐したソ連軍によって共産主義体制が構築されている平壌に、六月六日に到着された。東洋のエルサレムと言われた平壌では、キリスト教信仰の中心地として、崩れ落ちた教会の再建を夢見ていた。真のお父様は、イスラエル修道院で信仰的な交わりをもっていた、平壌・景昌里(キョンチャンニ)の信徒の家にとどまりながら、み言を伝えられた。
1 内的な基準において代表的な使命を担った人と、外的な基準において代表的な使命を担った人が出会える一時があります。言い換えると、今までの六千年歴史の頂上で、必ずカインとアベルが出会うことになるのです。ですから、カインとアベルが出会う、その頂上の位置で蕩減復帰しなければなりません。カインが天道に従い、アベルに順応する基準を備えるようになれば、カインとアベルが一つになって蕩減の峠を越えることができます。カインとアべルがこの峠を正常に越えれば、互いに相手の位置へと進んでいくのです。このように越えなければならないのですが、カインとアベルがこの基準を立てることができず、アベルだけが越えるようになりました。
本来、お父様がこの道を出発する時、李承晩博士と協力して進んでいくのが神様のみ旨でした。摂理的に見れば、そのようになり得たのですが、その時、キリスト教が過ちを犯すことによって失敗してしまいました。それで、高い基準を失ってしまったので、低い基準へと下がってしまったのです。下がる時は、必ず最低の位置まで下がらなければなりません。ですから、すぐにお父様は以北(現在の北朝鮮)に行きました。以北に行って、再び上がらなければならなかったのです。
2 お父様は、この道を出発する時、生命を差し出す覚悟ができているかを考えました。言い換えれば、死ぬ時はどのように死ぬのかということも考えたのです。銃殺されることも考え、五車(オチャ)(車裂きの刑)によってずたずたに引き裂かれて死ぬことも考えました。そうして、死ぬ時にはどのような言葉を残していくのかということも考えました。
どうすれば生きられるのかを考えたのではありません。大韓民国を中心として役事しなければならないので、死の場を求めていったのです
怨讐と対決する場、つまり怨讐を訪ねていきました。怨讐の本拠地を訪ねていったのです。韓国のキリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に回ったので、それを取り戻すためにサタンの巣窟である以北に行ったのです。
3 お父様は、世界的な共産党と闘わなければならないので、そのために以北を訪ねていきました。手錠をかけられて囹圄(牢獄・獄舎)の身になることを覚悟して、訪ねていったのです。いくら暴悪な試練が私に襲いかかってきても、私はそれに屈服しませんでした。いくらひどい飢えの状況でも、神様の威信を失うことはしませんでした。組織的な生活圏内でいくら切迫した生活をしたとしても、天の法度を破りませんでした。お父様はすべてのことにおいて、拘束されても、すべてを取り戻すことができ、さらに神様のみ前に新たな出発の動機と新たな生き甲斐を探し出してきました。そのようにして出発したのです。「生きよう」というところから出発したのではなく、「死のう」というところから出発したのです。
4 イエス様が、反対を受けることによって異邦の宗教を通し、異邦の民族を経て再び戻ってきたように、お父様もそのようにしなければなりません。そのようにして怨讐の国を復帰しなければならないのです。それで、以北に入りました。
以北では、すべてが怨讐です。敵国です。足の踏む所すべてが怨讐でした。国や教会はもちろん、民衆までもお父様を打ち倒そうとしました。そのような場で生き残る方法とは何でしょうか。拳で対抗すれば滅びます。犠牲になって奉仕しなければなりません。十回打たれても彼らのために福を祈ってあげ、千回冷遇されても彼らのために祈ってあげる作戦を立てたのです。このような作戦を実行してきました。千回、一万回、悔しさを味わったとしても、神様が愛していて、神様が耐え忍んでこられたので、そのようにしなければならないのです。
5 お父様は一人でした。一人ぼっちでした。新教を中心に基盤をつくろうとしたのですが、失敗しました。反対を受けたのです。驚くほどの反対を受けました。
弟(アベル)を打って始まった歴史だったので、弟を迎え入れるということは、神様を正しく知らなければ難しいことです。自分が置かれた環境に基づく因習的な教理や内容をそのままもっていては、とても難しいのです。ですからお父様は、既成教会から反対される立場に立ったのです。それは追い出されたイエス様と同じ立場です。実体のイエス様の立場を受け継いだのと同じです。ですから、お父様は、復帰路程を経なければなりませんでした。二千年の歴史を二十年で蕩減しようと闘いました。そのような蕩減をするために、サタンの本拠地である以北に行きました。サタン世界の共産圏に行ったのです。
み言の伝播と押し寄せる信徒一九四六年六月六日、平壌に到着された真のお父様は、景昌里に一間の部屋を借り、そこで祈りの精誠を捧げながら教会活動を再び開始された。その時まで平壌には多くのキリスト教会があり、篤実なクリスチャンが大勢いた。真のお父様は、周囲から刺すような目で見られていたが、早く、多くの生命を救うためにみ言を伝えなければならないという一念で、新しい食口を探し求められた。終日、門の外を見つめながら、食口たちが来るのを待たれたことも多かった。自分の足で真のお父様がいらっしゃる所に訪ねてきた人々がおり、また、彼らを通して他のクリスチャンたちが集まってきた。特に、真のお父様が到着されたのちに、真のお父様に関する啓示を受ける人たちが現れた。霊界の導きによって、篤実な信徒たちが訪ねてきたのである。それで、真のお父様は、彼らを中心に礼拝を導かれた。真のお父様のために、以前から準備された人々が大勢おり、その中には、真のお父様の聖誕前から、真のお父様に出会うために準備されていた人もいた。霊界は時空を超越するため、心情世界の絆がそのように奥妙に結ばれていたのである。そのようにして縁をもった人々は、真のお父様の裾に触れさえすれば、飛び上がるほど感激し、踊りを踊るほど真の愛に感化された。真のお父様は、老人はもちろん、誰が訪ねてきても、夜を徹してみ言を語ってくださった。
6 解放後、三年間、混乱時代が訪れました。キリスト教の混乱、政治界の混乱など、混乱時代が訪れて、すべてのものが定着できませんでした。キリスト教自体も、主が来るのか、み旨がどのようになっているのか、分かりませんでした。その時、再建(チェゴン)教会や高麗(コリョ)派などと称して、様々な教派が現れました。互いに自分たちが正しいと主張しながら、競争した時期でした。お父様が、地下から出てきてキリスト教徒たちを収拾しなければならなかったのですが、彼らは「主は雲に乗って来る」と信じていました。「人として来る」と信じている人は一人もいませんでした。ところが、許浩彬派と金聖道派と白南柱派は、既にそのことを知っていました。彼らは成約的準備派です。その人たちは、主が人として来ることは知っていますが、会うことはできません。いくら主に会ったとしても、その人が主のようには思えないのです。それが難しいのです。直接教えてあげることはできません。
必ず、このような窮地に入っていって自分で探し求めなければなりません。神霊的な人も神霊的でない人も同じなのです。神霊的な人は、霊界から教えられて初めて動くのであって、教えてくれなければ微動だにしません。また、通じることができない人は、み言を聞いて歩まなければなりませんが、み言といっても、キリスト教ではすべて「雲に乗って来る」と言うのに、一方では「人として来る」と言うのです。ですから、その言葉もまた信じられません。このような渦中で問題が起きたのです。お父様は、平壌に行って、キリスト教の四十以上の教会から最も賢い人たちを引き抜きました。当時は、聖書のみ言で教えてあげなければなりませんでした。別な話ではいけません。その時は霊界が役事してくれました。霊界が連結してくれるのです。天があらかじめ準備して、神霊的な人たちを送ったのです。
7 平壌にいる時、サタンの役事がどれほど多かったか分かりません。そのような中でも、お父様は食口のために精誠を尽くしました。朝、ある食口のために祈ってから、その食口が来るか来ないか待ってみると、間違いなく来るようになっています。このように神霊的な雰囲気の中で祈ってみると、祈りには、どれほど価値があり、どれほど効果が現れるのかが分かります。それでこそ、仕事をしてもおもしろく、神様が共にあるという信念をもつようになるのです。
8 聖書のみ言については、私にかなう人はいません。私が平壌に行ったのは数えの二十七歳の時であり、若々しい青年でした。当時、北朝鮮のエルサレムと言われた平壌市内の大きな教会の賢い人たちが、私のところに来て、みな心を奪われました。
聖書の「ローマ人への手紙」や「ヨハネの黙示録」について解釈するのを見て、その人たちの目がひっくり返りました。今もその人たちが生きていれば、「千年史についてすべて精通している。どうすればそのように分かるのか」と言うでしょう。
9 私が以北の平壌に行っている時、一人のおばさんに会ったのですが、私より年が三十歳ほど上でした。そのおばさんが、「霊界から教えられて先生に会いました」と話しながら、「不思議です」と言うのです。「何が不思議なのですか」と尋ねると、「そんなことはあり得ないのに、本当に不思議です」と言いながら首をかしげるのです。それで「何が不思議なのですか」と再び尋ねると、「自分には全くの謎です」と言って、「自分が数えの二十四歳の時に先生の指導を受けた」と言うのです。私はまだ生まれてもいなかった時なのに、指導を受けたというのです。
それは、平面的には理解できない話です。しかし、立体的な面から見るとき、神様は縦的父母なので、その父母の心情を追い求める人は、いつも神様と一緒にいなければなりません。ですから、姿形は今、現れたのですが、心情の世界は昔も今も同じです。このように、心情を主管する神様は、未来でも会える関係を常にもっているので、霊界は時間を超越しているのです。
そのような心情の世界観があるので可能なのです。仮に神様の心の中に、これこれこのような男性がある時に生まれるだろう、という考えがあれば、その心情を通してその人を教えることができ、関係を結ぶことができるというのです。それは、心情世界の関係があるから可能なことです。
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