真のお父様は、一九五三年九月十七日に上京されたのち、ソウルを中心とした本格的な活動を模索されると同時に、大邱と釜山の教会を訪ね、開拓の最前線で苦労する食口たちを指導し、激励された。そして、不信に陥ったキリスト教と国家指導者たちの代わりに多くの精誠を尽くしながら、再出発のための信仰基台を立てられた。自ら、摂理的アベルの使命基準を探して立てられたのである。このような縦的蕩減復帰基台の上に、ソウル、釜山、大邱など、三つの地域の教会基盤を中心として、実体基台復帰のための横的摂理の活路を模索された。そして、一九五四年五月一日、ソウル市城東区(ソンドング)北鶴洞(プッカクトン)、現在の中区(チュング)新堂洞(シンダンドン)三九一の六番地にある、いわゆる三つの門の家で「世界基督教統一神霊協会」を創立された。協会の創立は、イスラエル民族とキリスト教、ひいてはイエス様ができなかったことまで蕩減した土台の上に、彼らに代わって真のお父様が一人、立つようになったことを意床する。結局、キリスト教団の不信によって歩むことになった蕩減復帰路程を勝利した基盤の上で、協会が立てられ、真のお父様を中心に新しい神様の主流摂理が始まり、新しい変革が社会と国家、世界全般にわたって現れ始めたのである。
1 お父様が解放直後、キリスト教と手を握って出発しようとした時、キリスト教の牧師たちが反対することによって、それが失敗してしまいました。その次は、大韓民国と手を握らなければなりませんでした。イスラエルの国とユダヤ教がイエス様を迎え入れなければならなかったように、大韓民国とキリスト教は、お父様を迎え入れなければならない立場であるにもかかわらず、反対の立場に立つことによって、教会と国が分立されていったのです。
ですから、イエス様が追い出されて、キリスト教が異邦の宗教になったことを蕩減復帰しなければなりません。それで、キリスト教がサタン世界を経て発展したように、お父様も世界的サタン圏の共産主義である北朝鮮に入ったのです。そこから再び復帰してくるので、個人的蕩減が必要であり、家庭的蕩減が必要であり、氏族的蕩減が必要です。ですから、今まで苦労してきたのです。一度でできることを何度もひっり返しながらやってきました。
それゆえ、統一教会を中心として、ユダヤ教の代わりをさせるのです。ユダヤ教の代わりにキリスト教をつくったのですが、そのキリスト教が責任を果たせなかったので、責任を果たすことができる基盤としてつくったのが統一教団です。
2 大韓民国政府が樹立されてからは、神様のみ旨の中でキリスト教や神霊的な団体が立ったのではなく、お父様が立ちました。反対され始めたその時から、一人で神様のみ前に立ったのです。聖書の聖句に「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一〇・三六)とあるように、キリスト教が同じ家の家族であるにもかかわらず、怨讐の立場に立つことによって、その時まで築いた基盤をすべて投げ捨てて、神様のみ旨は、ひとえにお父様を中心として、新たな次元で出発しなければならない悲惨な運命に立つようになりました。
その時からキリスト教も神様のみ旨から遠ざかり、民主世界も神様から遠ざかって、結局、逆に落ち始めました。ですから、お父様は受難の過程を経なければならないので、一九四八年から三年間、監獄生活をすることになりました。結局、北朝鮮も韓半島の地なので、サタン側の一線に行き、そのような闘いをしなければならず、韓国もサタン側なので、韓国でもそのような闘いをしなければなりませんでした。南北を中心として、そのような闘いをせざるを得なかったのです。北朝鮮は旧約時代に相当し、韓国は新約時代に相当すると考えます。それで、以北(現在の北朝鮮)に入って三年間、監獄生活をし、一九五〇年十二月に以北から出てきて、四年間、韓国で基盤を固め、一九五四年五月一日に、「世界基督教統一神霊協会」を創立するようになったのです。
3 イエス様が連行され、獄中生活を経て十字架で亡くなっていったので、復帰路程においても獄中から出発しなければなりません。栄光の座から出発しようとしていたすべての道が、反対に十字架の路程へと展開されたので、統一教会の歴史も獄中から出発し、新しい次元へと前進するようになったのです。
イエス様が監獄にいる時に十二弟子を失ったことを、実体的に復帰すべき歴史的使命があったので、神様は、私が語らずにいる中でも、監獄にいる囚人たちを通して、失われた数の基準を取り戻すために霊界を動員したのです。二十四人のメンバーが、獄中で、天命によってひそかに結束して出発しました。監獄から出てくる時、四人が一緒に来ました。四位基台の復帰の原則に一致する歴史的条件を、神様が立てたのです。そのように興南の監獄から出て平壌に行き、昔、失った食口たちを再び糾合して出発したのが、現在の統一教会です。
4 統一教会は、今まで六千年の歴史をかけて神様が摂理してきた復帰路程を蕩減しなければなりません。個人的な問題、家庭的な問題、国家的な問題を蕩減復帰しなければなりません。イエス様が国家を中心として成し遂げるべきだった全体的な問題を蕩減復帰しなければならないのです。神様の摂理が、今日、韓国を中心として動いています。解放前まで神様は、預言者的な使命をもつたくさんの人物を送って準備してきました。ここには、婦人たちを中心として摂理した一面があると同時に、男性たちを中心として摂理してきた一面もあります。神様は、摂理のみ旨を立てるために、この民族が知らず、信仰者たちが知らずにいる中で、特別に選んだ人たちを立てて、内的、外的に役事をしてきました。ですから、この国、この民族は、解放後に新たな発展的内容をもって出発しなければなりませんでした。そして、このみ旨を伝えるために統一教会が出発したのです。
5 サタン側である北朝鮮は、韓国を占領するため、一九五〇年に「六・二五動乱」を起こしました。その時、マッカーサー総司令官が仁川上陸作戦をし、興南を空襲して勝利をもたらすことによって、お父様は興南監獄から出て、韓国に下ってきました。
その時、韓国は完全にばらばらになっていました。それまで、ソウルでもどこでも築いてきた基盤が完全にばらばらになったのです。韓国政府が完全に荒らされてしまいました。
お金のある人は逃げようとし、キリスト教の牧師たちは息子、娘を外国に留学させるなど、国内は混乱時代に入りました。
ここから統一教会は基盤を築いてきたのであり、統一教会の基盤ができるに従って、この国も新たな政府の形態へと収拾されてくるようになりました。それが摂理観です。社会が混乱したのは、むしろ、天の摂理がサタン側を利用して、神様のみ旨を築き得るよう、環境をつくってあげるためでした。それで一九五四年に協会を創立し、そこから混乱した社会環境を経て、新しい基盤を拡大してきました。そうして、政府と対峙し、キリスト教と対峙しながら、統一教会は発展してきたのです。
6 お父様は、口があっても話しませんでした。この民族にしみ込んだ多くの恨があっても耐え忍びました。それは、お父様が意気地なしだからではありません。イエス様が三十数年の生涯を耐え忍んでこられたのを知り、神様がイエス様以降、二千年間も耐え忍びながら、み旨を成就するための基盤と、時を整えるための強固な土台を築こうと、心を砕いてこられたのが復帰の路程であることを知ったので、耐え忍んだのです。「台風よ、吹け。吹雪よ、吹け」と言いながら耐えるのです。そのようなものは一時です。過ぎ去るようになっています。今日の社会において、自分の幸福を自慢する人たちも同様です。過ぎ去るようになっています。それでは、お父様の責任とは何でしょうか。追われながら監獄に入る時、お父様はその立場で何をしなければならないのでしょうか。世界の人類のために打たれ、世界の苦難をすべて引っ張って殲滅(せんめつ)しなければなりません。「世界の苦難の道を開拓していく上で、これくらいの困難がないだろうか」と考えて、苦難をむしろ当然のことと思いました。お父様が愚かだからそのように思ったのではありません。復帰摂理歴史は、必ずそのような場で決着をつけて次の段階に行かなければならないので、私はそのような道を行こうとし、またそのような人が求められたので、「世界基督教統一神霊協会」を創立したのです。
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