11 本部に対して自分が願っていた基準と違うからといって、それを中心として悪く批評すれば、その人が今まで本部を慕わしく思った、その慕わしさが瞬時に消えてしまいます。もし「私たちの願った所がここなのか」と思い、口を開いてそのような言葉を一言でも言ったなら、その人がその時までいくら精誠を尽くしてきたとしても、その精誠を尽くしたものがそこで無効になってしまうのです。
みすぼらしい本部を見ながら、「私が精誠を尽くしてきた所がこれでよいのだろうか。私がいかなる犠牲的代価を払ったとしても、この本部をどんな教会の本部よりも立派な本部にしよう」と決意して、涙とともにこの場で天のみ前に訴える人がいれば、彼は誰よりも次元の高い、天の懐に抱かれる良い同志になるだろうと思います。外国の食口たちなら、誰もがすぐにそのような思いを感じざるを得ないという話を、間接的に、または直接的にたくさん聞いてきました。外国の食口がそのように考えるのなら、本国にいる統一教会の食口として、この本部を見ながら感じる思いが、その外国の食口たちと比較して引けを取ってはいけません。
12 青坡洞の本部教会で歴史にない聖婚式を挙行しました。ここで、歴史にないことをしたのです。「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めました。ここで一九六〇年に聖婚式をしました。三十六家庭を祝福し、七十二家庭を祝福しました。歴史的な場所です。この場所を汚してはいけません。ここに教会を建てようと思えば、すぐにでも建てられます。この建物を壊してしまい、韓国のどの教会にも負けない教会をすぐに建てることができるのです。お父様は、精誠を尽くさなかったり、神様を中心とした動機にならなかったりすれば、欲をもったり、何かを願ったりする人ではありません。真実の伝統の歴史というものは、(形だけの)手段や方法を通してできるものではありません。
13 皆さんの目の前にある統一教会がすべてではありません。その背後の何を見つめているのかというのです。私は、世界の数十ヵ国を回りながら、数多くの宮殿をすべて見物しました。その宮殿に行って見るたびに、「私は小さい家で世界を生かそう」と思って帰ってきた人です。
この小さな家で、世界の豪華な家で捧げる以上の精誠を尽くし、神様が記憶される精誠と心情の泉をつくれば、喉の渇いた人がこの泉を訪ねてくるのではないかというのです。岩穴でも山の尾根の高いどんな所でも意に介さず、湧き水があふれ出る所なら、誰もが訪ねていくのです。そこから出てくる水が真の湧き水なら、そこに都市もできます。そこは文化の発祥地になり得るのであり、歴史の起源地になり得るのです。
14 本部教会の柱を見ると、私がある時、この柱を抱えて涙を流したことが思い出されます。歴史が回想され、当時、国が私たちに反対していた状況が目の前にはっきりと浮かびます。そのような刺激が必要です。
ですから、愛する人の一枚のハンカチを一生の間、宝の中の宝として胸に抱き、愛の幸福を感じる人たちがいるのです。ほかの人であれば、持っていって簡単に捨ててしまうかもしれないハンカチですが、自分の命よりも貴く思い、何よりも大切にする人がいます。値段からすれば、いくらにもなりませんが、そこに愛が宿っている時は、無限の価値をもつようになるのです。
第三節 真のお父様の精誠と信仰指導 精誠と投入
真のお父様の西大門刑務所出監と、青坡洞一街の旧本部教会定着以降、一九五七年の前半期までは、新しい段階への発展のために体制を整える期間だった。真のお父様は、旧本部教会を中心に、食口教育に心血を注がれ、劉孝元協会長の原理講義とともに、伝道に注力する時期だった。また、よく野外に行っては訓練をし、親睦も深めた。信仰の熱意や礼拝、原理講義など、実質的な信仰生活は、この上なく熱烈なものだった。真のお父様は、ジャンパー姿で礼拝を執り行われ、狭い聖殿であったが、礼拝の時には昼夜を問わず、食口であふれ返った。その中には、十数人の大学教授をはじめ、高学歴の婦人食口と青年食口が多く参加していた。伝道活動は、自発的に行われていた。
1 一九五七年から開拓伝道をする時、お父様は一日に二時間しか眠りませんでした。食口たちを連れて、夜を明かしながらひれ伏して祈りました。そうして、一九六〇年代に新しい世界へと出発する際、私自身が天のみ前に恥ずかしくない二十一年路程を勝利するために、七年間、その準備をしながら訓練したのです。
2 統一教会をつくったあとは、部屋にかがんで座り、毎日のように七年間、午前三時、四時まで精誠を尽くしてきました。「私の精誠をすべて注ごう。倒れるまで注ごう。おなかがすいても注ごう。眠気が襲ってきても注ごう。天が公認するときまで」、このように心情で種を植えつけたので、今日、統一教会の教会員たちに受け入れられなかったとしても、この種は、神様の心情を通して世界に連結されていくでしょう。必ずそれがいつか刈り取られる日が来るので、韓国で刈り取ることができなければ、世界で刈り取られるだろうと考えました。
3 統一教会の草創期に、お父様は鼻血を流しながら祈りました。「歴史的な血に代わって、万民が恥ずかしく思うだけでなく、万民が痛哭しても報いることのできない鼻血になり得るなら、それはどれほど光栄だろうか」と考えました。「万民が受けるむちを私が受けるのだと叫ぶ立場で打たれるなら、どれほど栄光のむちになるだろうか」と考えたのです。事実がそうです。
それでは、愛国者の中で最高の愛国者とはどのような人でしょうか。国のためにむちを十回打たれた人と、百回打たれた人がいれば、百回打たれた人のほうが愛国者です。また、千回打たれた最高の愛国者がいても、もし一万回打たれた人が現れれば、その人が福をもっていくのです。それでは、一万回打たれた人の前に、十万回打たれた人が現れればどうなるでしょうか。その時は、福をもつまいとしても与えられるのです。福を受ける道は、その道しかありません。
4 お父様が青春時代に犠牲になって準備したものを、皆さんが引き継ぎ、それこそ勝利の場、万国が称賛する場で、万国を愛し、万国のために生きていくことによって、お父様以上の栄光の場に出ていかなければなりません。座って何もせずに、ただ福だけを受けられるでしょうか。皆さんは、これから先頭に立たなければなりません。お父様は、草創期に、邪悪なこの世で流れていく人にならないよう、食口たちを昼夜訓練したのです。
雨の降る日、ざあざあと降る雨に打たれながら冠岳山(クァナクサン)に登るのです。登る途中で滑ったりしても登るのです。登らなければなりません。今後、国家と闘い、世界と闘う広大な戦場に進み出て、敗北者や敗残兵にならないようにするために訓練してきました。ありとあらゆる批判を受けながら、そのような訓練をしたのです。
5 お父様は、一九五七年に食口を育てるとき、一対一作戦をしました。残るものは一対一作戦です。一人の前で講義をする時も、百人、千人の前で講義をすると考えてしたのです。その一人に数千、数万人の人がつながっていると考えました。私がどんな命令をしても聞くことができる人にするためには、私がそれだけの精誠を尽くし、そのようにできる動機をつくってあげなければなりません。
そうなる時に、三段階の関係が結ばれるようになります。私と皆さんが一つになり、皆さんと地方にいる食口が一つになるのです。このようにならなければなりません。なぜ三段階になっているのでしょうか。神様とアダムが一つになり、アダムとアダムの息子が一つになったことと同じなのです。それが原理です。三段階の完成ができなければ、四位基台の完成圏が現れません。ですから皆さんは、自分と同じような人をつくっておかなければなりません。
6 お父様は、誰かが私に心情的なことを一言だけ語っても痛哭します。そのような、心情をもっています。いつでも神様のことを思うと胸が詰まり、背骨がきしんで突き刺さるかのような、何かがあります。私自身も、どうすることもできません。そのような領域があるので、祈らなくても、生活のすべてが祈りの生活です。ですから、喉が締めつけられて倒れ、木にしがみつき、電信柱にしがみつく、このような神様の抑え難い唖然とする事情があり、悔しくて胸が痛む事情がいくらでもあるのです。ある時は、体を支えていられないほどの心情を体恤するのです。
その理由を調べてみると、その時間に神様にとって悲しい出来事があるのですが、どの場所でそのようなことが起きるのかを教えてくれるのです。それは、私が中心的な責任をもって地上に来たので、霊肉を中心として収拾してあげ、心情的基盤を連結させなければならない使命があるがゆえに、必ず私に連結させて通告するのです。
7 統一教会はみな、麦御飯を食べているので、乞食たちまでが「行っても麦御飯しかくれないので、行ってはいけない」と言った時もありました。一番下から始めて、一歩一歩踏み上がってきました。私は誕生日のお祝いをしませんでした。この地上に生まれた人の中で、誕生日も迎えられずに死んでいった人がどれほど多いでしょうか。そのようなことを考えると、私がそのような人たちに同情してあげ、霊界に行って関係を結ぶために、三年間、誕生日に断食をしたのです。
また、昔は、この壇上では背広を着て説教をしませんでした。労働服から出発したのです。説教をする時、一人しかいなかったとしても、その一人を前にして、血の汗を流し、涙を流しながら精誠を尽くして説教をしたのであって、通りすがりの客を迎えるようにはしませんでした。今では、そのようなことが懐かしく思われます。
8 お父様は、伝道するために、生涯にわたってあらゆるものを投入してきました。患者が病院に来れば、医者は、寝るのを忘れてその患者のために生命を投入する責任と義務があるように、お父様は、統一教会の食口たちを育てるためには昼夜も忘れるのです。朝御飯を食べていながら、これは夕御飯だと思うことがたくさんありました。そのような伝統的な歴史があります。
皆さんが伝道するとき、流れていく水もとどまって称賛したいと思い、魚たちまでも、皆さんの食膳に上がれたらよいと思って同情し得る環境を残さなければなりません。
そうなると、それらを食べて暮らしている人が動き出すのです。ですから、自分が責任をもつ所は、入ったことのない家がないほど、十回でも、百回でも回らなければなりません。
神様は千回、万回、回りながら、人間を探し求めてきました。皆さんがそうしてこそ、神様の息子、娘となって、相続を受けることができるのです。ですから、皆さんも村々を訪ねて、百回、千回、回るのだと思い、回ることができなければ、涙を流しながら悔い改めなければなりません。人の心霊に責任をもつ指導者たちは、そのようにしなければなりません。そうして、正しい真の父母、縦的な真の父母と横的な真の父母の道理を代身者として受け継いでこそ、(食口たちは)曲がることなく、まっすぐな方向に合わせて位置をつかみ、従ってこようとするのです。
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