草創期は、劉孝元協会長が伝道対象者に対する原理講義を担当した。初めての人は、夕方に講義を聞かせ、三日が過ぎた人は、大抵三日間、泊まり込みながら、修練会方式で講義を聞いた。体が不自由な劉協会長は、横になったまま用紙に講義内容を書き記して講義を行った。講義のあとには、真のお父様が全身汗だくになるほど、渾身の力を尽くしてみ言を語られた。
新しい食口が、この過程を通して深奥な原理のみ言に感化を受け、感服して、み旨の道を行くことを決断した。劉協会長は、一日に十八時間講義をするという記録を立てたこともある。
19 昔、劉孝元協会長は、三年八ヵ月の間、一日も休まず講義をしました。そのような歴史があります。彼は不自由な体でそのようにしたのです。それを考えると私は無慈悲な人です。今のように食口がたくさんいたわけではありません。新しい人が来ると、その一人を座らせて講義し、新しい人が来なくても、そのまま食口たちに毎日続けて講義をしたのです。そのようなことを見た人もたくさんいるでしょう。
20 劉孝元協会長に講義をさせているとき、私は寝ませんでした。中二階の部屋に座って、すべて聞いていました。誰が来て聞いているという報告をすべて受けました。夕方、講義をしに降りてきて、話し始めてから一分もしないうちに居眠りするのを見て、お父様は涙を流して祈りました。そのような涙の交わりがあったのです。
そのような事情かあります。そのように統一教会の歴史はとても悲惨でした。何ゆえに私がそのようにしなければならず、何ゆえにその人がそのようにしなければならないのかというのです。それは神様ゆえです。それでも霊界が役事しないとすれば、霊界はないというのです。
21 教会に人がいなくても、戸を開けて、痛哭しながら説教をしてみてください。そうすれば、周囲の人たちが、どうしたのかと聞いてくるでしょう。人々がそれを見物するために入ってくるのです。その時、「私の話を少し聞いてみてほしい」と言って、講義をするのです。皆さんが、涙を流しながらそのようにしてみなさいというのです。
その涙は、誰のために流すのでしょうか。国のため、人類のため、世界のため、神様のために流すのです。その道しかありません。
もし講義をしている途中で倒れたら、私が看護してあげましょう。そのようにして死んだら、私が葬儀もしてあげます。そうすれば、霊界に行っても弁明の余地があるのです。「お父様の言うとおりに、喉が張り裂けんばかりに講義をしていて倒れた」と言えます。ですから、それはどれほど深刻でしょうか。生きるか死ぬかの覚悟でしなければなりません。そのようなことをしたので、神様がお父様を押してくれたのであり、世界的な人物になったのです。
22 一週間、統一教会に来て、修練を受けてから市内に出ると、何千年も前の電車が走っているとか、バスが逆に走っていると思うほど、全くの別世界に見えます。人々が前に歩いていくというのに、すべて後ろに歩いていくように見えるのです。それほど変わります。そのように感じた人たちに、「統一教会に来てはいけない」と言えば、来ないでしょうか。
昔、草創期に、正門を閉めて鍵をかけても、垣根を乗り越えて入ってきたり、「入ってきてはいけない」と正門から追い出しても、裏門から入ってきたりして、わんわん泣きながら夜を明かして祈るのです。夜を明かすのが常でした。そのような雰囲気が必要です。大騒ぎになるようになっていました。
そのためには、昼夜なく講義をしなければなりません。それで、劉協会長に「一日十八時間講義をしなさい」と言ったのです。
第四節 韓国百二十地域の最初の四十日開拓伝道 百二十地域における四十日開拓伝道
真のお父様は、一九五七年七月一日、食口たちと七日断食を共にされたのに続き、七月二十日から全国百二十ヵ所に二人ずつ四十日開拓伝道師を派遣された。このように、本格的な伝道活動によって食口たちが増え、地方の至る所に教会が建てられると、一九五八年には、地方伝道体制を強化された。一九五九年には、協会主管の四十日全国伝道師修練会が三次にわたって開かれ、以後、継続して四十日原理修練会が指導者の教育課程として実施された、
1 神様のみ旨を成就してさしあげなければならない私たちは、どのように生きるべきでしょうか。自分自身の内外の問題ばかりを解決する人生になってはいけません。自らの問題を越えて全体的な問題と関係を結び、永遠の価値を実現させようという責任感をもって立ち上がらなければならないのです。そのようにするとき、皆さんは天的な福音のみ旨を成就してさしあげることができます。皆さんがそのような使命感をもって伝道の道に進めば、神様が共にいらっしゃるのです。皆さんがそのような心をもって「ために生きる生活」をすれば、そこには必ず愛の再創造の役事が展開するというのです。
2 四十日特別活動は、一九五七年七月二十日から始まりました。韓国統一教会の全食口が、七月一日から一週間断食を始めました。一週間断食をしながら出発したのです。お父様もその時に、断食をしながら四十日特別活動を宣言しました。統一教会では、常に七月二十日を中心として、夏季四十日伝道活動をします。この時期は、学校も夏休みに入る最も暑い時です。一番暑い時に、み旨のために汗を流しながら努力しなければなりません。それが蕩減条件を立てる上で有用なのです。大きな蕩減条件になります。ですから、その期間を選んだのです。最も大変な時です。
伝道に出る時は、お金を持たずに行きます。お金があれば、すべて一ヵ所に集め、ほかの人に分け与えてから行くのです。自分の生活は現地に行って解決するのです。血の汗を流して労働をしたり、何かをしたりして生活しながら、その地方の人々を助ける運動をしなければなりません。それが訓練です。
一九五七年に、統一教会として初めて百二十ヵ所に、(食口を)伝道に送り出したのですが、その時は、お金は行きの交通費だけを持ち、服も二着だけ持たせました。「四十日の間、断食もするのだから、行って、はったい粉を食べながら、四十日間、活動しなさい」と言ったのです。そして、「働きながら食べる物をもらうところから始めなさい」と言いました。そのように(して任地に)行って、それを克服してきました。人間として最低の立場から始めたのです。お父様は三年間、誕生日に断食をしました。食卓もなく、御飯を床に置いて食ベました。また、おかずはキムチ、しょう油をはじめ、三つだけ食べました。このようにして上がってきたのです。蕩減復帰です。服も、もらい物を着たのです。
4 草創期に食口たちが伝道に出ていく時、不平を言ったり、お金のことで愚痴をこぼしたりしながら出発することはありませんでした。人から批判されながらも、一人の生命を救おうとして、明け方に町中のあらゆる犬からほえられたのです。ですから、町の人々から後ろ指をさされて、その町では働くことができないので、早朝に起きてバスに乗り、働くために十里の道を行かなければなりませんでした。そうして、町に帰ってきて、働いて稼いだお金でポン菓子を買い、宴を開きながら人を集めて講義をしました。そのようなことが輝かしい摂理史の資料として残っています。初代教会の歴史に残り得る資料を残したのです。
5 一九五七年から伝道期間を定めておき、伝道に出掛けました。互いに道端で出会って喜んだその時間や、また互いに別れる時、山腹を巡りながら再会を期して涙で離別した時間は、皆さんが億万のお金を出しても買えない時間です。それにどのような価値があるのか、皆さんは分かっているでしょうか。
この上なく貴い事情をすべて流してしまうとすれば、何が貴いと言えるのでしょうか。今後、国内だけでなく、世界的舞台まで、皆さんはお父様と同行し、万民の前に天の伝統を誇り、新しい思想を植えてあげられるみ業をしなければなりません。それでは、皆さんはいつその材料をつくり、いつその材料を収拾するのでしょうか。この時しかありません。
6 一九五〇年代、統一教会を出発する以前に、お父様は多くの人にあらゆる訓練をさせました。断食をさせ、開拓伝道をさせながら、すべての分野の訓練をしたのです。
お父様に会いたくて訪ねてきて、帰るのが遅くなれば送ってあげ、夜を明かして行ったり来たりすることがたくさんありました。それはお父様だけでなく、食口たちもそうでした。
当時、韓国には自動車があまりなく、みな歩いて通いました。月夜や夜明けに、互いに涙を流しながら、国のために、天のために、未来のために誓って出発した、そのような忘れられない事情がたくさんあります。そこから愛国心が生まれるのです。
この世で初恋に夢中になる、それ以上に次元の高い霊的雰囲気の中で活動していたことが、いつも懐かしく思われます。そのような絆をいかに誘発するかということが、教会を指導する人たちの責任であり、自分たちの活動目標として立てるべき事柄です。その伝統基盤をいかに連結させるかということが、皆さんが努力すべき標準なのです。
お父様が、そのようにこの基盤を築いてきた伝統を尊重し、伝統と教育と行動を考えながら、自分の後継者たちを育てなければなりません。今いくらうまくやったとしても、未来の後継者たちが今よりも劣るならば、落ちて下がっていくのです。今よりも未来のほうがさらに良くならなければなりません。未来のために今、投入しなければならないことを忘れないでください。
7 責任者たちは、み言の宣布も重要ですが、必ず実績を刈り取ることができなければなりません。蒔く責任者になるのではなく、蒔いたあとに刈り取る責任者になりなさいというのです。刈り取るまでには三年以上かかります。すぐに刈り取ろうとしてはいけません。それが原理です。ですから、三年苦労しなさいというのです。
それで、お父様は、一九五七年に百二十ヵ所の伝道地を設定し、派遣しながら、「皆さんは、三年間、服役し、そこに売られていって奉公するという立場で、村なら村に行って忠誠を尽くしなさい。そして、彼らに忠誠の道理を教えてあげなさい。それだけでなく、実践して見せてあげなさい。そうすれは必ず、皆さんが語らずとも、自分たちができることを引き継ごうと言ってくるだろう。誰も彼もがそのように言ってくるとき、皆さんはその村で完全に定着することができる」と言ったのです。
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