11 五千年の歴史を経てきながら、私たちの民族は様々な苦労の道を歩んできました。悲しみがあっても、どこかに行って訴えることができず、憤りや悔しさがあっても訴えることができない中で、この民族は歩んできました。
それでは、民族をつかんで、皆さんはどのようにすべきでしょうか。孤児のようなこの民族ですが、私たち同士で手を握って痛哭することができなければなりません。そうしてこそ、この民族が生きることができるというのです。兄弟に過ちがあろうとなかろうと、天が許した同じ血と骨肉をもって生まれた兄弟なので、自分個人の事情を越え、父母の歴史的な血統と心情に結合するために泣くことができる、雅量のある人たちが現れなければなりません。そのような青年たちが求められているのです。
そのような青年たちの血潮がたぎる情熱が、一身の出世と欲望のためのものであれば、それは一個人の限界圏内で終結するでしょう。
12 人間の本来の理念は、無限大の(限界)線を何度も越えて神様をつかみ、喜ぶことを願うのです。したがって、人間本来の理念のために、情熱を注がなければなりません。
この民族が経てきた歴史路程に神様の摂理があったとすれば、その摂理の終局に、神様はどのような群れを求められるでしょうか。それは、神様のみ旨を成し遂げるために泣くことでしょう。一つのみ旨に思い悩んで泣き、一つの心情に思い悩んで泣き、一つの行動に思い悩んで泣きながら、先に供え物になろうという群れです。神様は、そのような群れを求められるのです。
13 私たちが良心的な基準を探し求めていくところには、悪が対立していて、サタンが反駁できる余地があります。ですから、私たちは、私たちの心と天の心が一体となるその基点の上で人情と天情が一体になり、私たちの理念と天的な理念が一体となるその基点の上で私たちの生命と天の生命が一つになり、私たちの愛と天的な愛が一つに絡み合うその基点の上で、天と絆を結ばなければなりません。
天と私たちの心が一つになり、生命が一つになり、理念が一つになり、愛が一つになった絆を、何によって断つことができるでしょうか。堕落した人間同士が結んだ情の絆も切ることができず、泣き叫んで大騒ぎするのに、天情に絡めて一つになったその絆を誰が断ち得るでしょうか。いくら罪悪の力が強く、地の権勢が強いとしても、この心の根本で結ばれた情的な流れの一つの基準を曲げることができるものは、何もないというのです。
そのような基準を見つけ出す時まで、歴史は苦しみ、人類は塗炭の苦しみの中でうめくのですが、これを防ぐ勇者は地上にいないのでしょうか。このような責任を担い、このような使命の路程を開拓するために、自分の体を一つの爆弾として、一つの原子爆弾として、サタンの都城を崩してしまおうという、火のついた爆発的な心情をもった勇者がいることを、私は期待します。このような勇猛さを備えた天の精兵たちが、大勢現れることを天は願っています。
14 最後に残る一つの理念の場に向かって動いていくようにするのは心情です。心情が最終的に「私」のすべてを決定してくれるのです。この心情一つだけをつかみ、注意深く探し求める人が、聞かせてくださるみ言を聞くことができ、見せてくださる幻想を見ることができ、生活におけるあらゆる実情を分析することができます。
自分に与えられた責任を感じつつ、気をもむ心情と不安な心を抑えながら、新しい理念を探し求めて動く青年男女たちがいて、彼らの泣き叫ぶ声が聞こえる、そのような心情の動きがあるなら、皆さんは、彼らの心情を通して、歴史的なすべてのことと、長い間感じてきたすべてのことを一度に感じられるでしょう。その心情を感じ、自己を覚醒して、「天が求めていた理念の主体がこれだったのか。世界が求めていた真の姿と、天地の前に立てて誇り得る姿がこれだったのか」と、我知らず叫ぶ瞬間をもつ人だけが、歴史の主人であり、摂理の主人であり、天倫の主人なのです。
今日、皆さんは、関係と絆の世界において責任を果たし、実績を残さなければならない人生行路を歩んでいます。そのようになれば、自分を誇ることができ、「本然の人間に代わる勝者の姿が私だった」という覚醒が訪れるでしょう。そのような瞬間に、この世界と宇宙は皆さんのものになり、神様も皆さんの神様になるでしょう。
15 私たちによって、天と地と人類の幸福の基点がこの地上に現れなければなりません。このことに誰かが責任をもたなければなりません。涙が前を遮って歩くことができず、身もだえしながらこれに責任をもとうと、ひれ伏して訴える人がいれば、その人の膝に頭を埋めて痛悔しなければなりません。凄惨で絶望的な境遇にありながらも、自分の一身を顧みず、その立場で感謝する心をもって、天のために、み旨のために血と汗を流しながら進んでいく群れがいるなら、決死的に彼らに従っていくことができなければなりません。このような信者、このような良心的な人士がこの民族の中から、特にこの民族の青年男女たちの中から現れなければ、この民族は滅びます。
「私が、神様の永遠不変の理念的な足場です。この姿は、たとえぼろを着て、おなかをすかせ、備えたものがないとしても、心情においては、私でなければあなたの手をつかんであげる人がなく、私でなければあなたの服をきれいに整えてあげる人がなく、私でなければあなたの履物を直してあげる人がいません。あなたのいかなる一部分も、私でなければなりません」と言える群れが集まれば、闘わなくても、このサタンの天下を征服できるのです。重要なのは、私たち自身です。
第三節 「成和学生会」と「全国大学原理研究会」 「成和学生会」と成和同窓会
統一教会の初期の活動は、成和出身者たちが主導した。一九五五年十月二十三日、中等部と高等部の「成和学生会」がそれぞれ結成され、それ以後、教会活動の中枢的役割を担った。「成和学生会」を修了した正会員と、仮修了した準会員で構成された全国成和同窓会の創立総会が、成和七期までの卒業生が参加する中で、一九六三年十一月八日から十五日まで開催され、以後、毎年総会が開かれた。
1 「成和」という名前を、なぜ若者たちに付けてあげたのでしょうか。血が沸き立つ若者、純潔の血が沸き上がり、神様の感情に同化され得る血をもった若い青少年たちが必要だというのです。それで、若者たちに「成和」という名前を付けてあげました。成和の意味は、「成し遂げて和合する」ということです。一つの目的を成し遂げて和合するのです。和合したので、二つではなく一つです。麹と同じです。
家庭には、祖父、祖母、あるいは父、母がいますが、ほほえましい姿の子女たちもいなければなりません。それでこそ、その家に笑顔の花が咲くのです。そのような意味で、成和の若者たちがもつ責任は大きいのです。これから成和学生の皆さんは、神様を解放してさしあげる旗手になるという信念をもたなければなりません。神様が六千年間、闘ってこられた信念以上の信念をもった人がいるとすれば、み旨を成就できなくても、神様はその人に仕事を任せるのです。
2 「成和」の「成」は、創造理想の完成を意味します。すなわち、宇宙全体の完成を意味するのです。本来、完成(期)の基準を立てる時期は、人間始祖が堕落した年齢である十六歳の時からです。ですから、二十歳前後の成和を中心として、すべてのことが成就されるのを願われる神様です。未来完成の位置を占有できるのは、青少年の時期です。
お父様は、青少年期に願いの標準と生涯の目標を立てて決心しました。皆さんは、神様の正しい系統を引き継いだ者として、直行しなければなりません。
3 堕落した子孫たちは、嘆息圏内で生きています。皆さんは、このような嘆息圏内で善の基台をつくろうという信念をもって闘争していかなければなりません。より大きな善を創造しようとすれば、信念をもって誤った環境を踏み越え、闘争しなければなりません。このように能動的に行動するとき、悪の環境も善の環境に吸収されるでしょう。第二の創造が始まるというのです。
どんな環境にぶつかっても、どんな波が打ちつけてきても、これを克服していこうという信念をもった人が多ければ、この国は滅びません。お父様もこのような信念をもって闘っています。
再創造をしようとすれば、相対的な位置ではなく、主体的な位置に立つ存在にならなければなりません。再創造の価値をもつことができないので、「成和学生会」が発展できないのです。行く途中で倒れれば、結局、滅びます。皆さんは、再創造の目標を立てて行進していかなければなりません。自分自身から再創造しなければなりません。「善を創造する私」、「善を代弁する私」として再創造しなければなりません。
「私」は善を立てることもでき、善を壊すこともできる存在です。二股に分かれた道に立った母体です。より良いものを願う欲望を満たそうとすれば、神様のみ前に対象の位置に立たなければなりません。私たちは、地上で善を擁護し、悪を憎む人たちになろうというのです。
4 統一教会は、今まで歩んできましたが、まだ世界舞台に向かっていくべき道が残っています。ですから、父母様は世界に向かっていくのです。行く時は、誰にも屈せず、負けません。また、何かの問題を解決するための勇猛さも誰にも負けず、闘いにおいても、誰にも負けませんでした。このような心をもって進まなければ、世界的な勝利を期待することはできません。今、いくら民族的な勝利をしたとしても世界的な勝利の道は遠いというのです。
今まで皆さんがどんな立場で若い時期を送ったのかを考えなければなりません。神様のみ旨と統一の理念圏内で生きていますが、いつでも父母様が目指し、神様が目指す勝利の世界に行くために、自らの立場を批判できなければなりません。そして、その批判によって自ら悲しみを感じる小心者にならず、それを基に発展できる大きな器にならなければなりません。したがって、皆さんはこれから天上世界が許す天の王子になり、王女になり、栄光の天国を完成するために、若い時期によく準備しなければなりません。
5 私たちは、サタンの鉄条網から抜け出せる時まで、神様のみ旨に従って進まなければなりません。神様は、本当に「私」の父であり、私は神様の息子、娘であることを知って、忘れることができずに残っている神様の恨を解いてさしあけるべき責任があります。
私たちは、神様の恨を解くことによって、神様を解放してさしあげなければなりません。そして、自由な神様として万国を統治するとき、少しでも妨げになる障害物があるとすれば、「私」が責任をもってすべて取り除き、自由と平和の天国として万国を主管する堂々たる絶対者としてお迎えしようと思わなければなりません。
そのような信念をもった成和学生、若者がいるとすれば、その人は本当に偉大な若者です。このような若者たちによって、今後、世界は新しい方向に進むようになるでしょう。皆さんが実際にこのような若者になったとすれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは見苦しい姿ではありません。そこには無限の希望が宿っているのであり、その姿は神様の希望と幸福の基盤になるのです。
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