真の父母様は、一九六〇年の聖婚以降、一九六七年まで民族復帰の基台を立てるために第一次七年路程を設定された。そして、この期間を前半の三年路程と後半の四年路程に分け、総力体制で活動を展開されたのである。
七年路程は、神様の摂理に従って、誰もが行かなければならない道である。真の父母様は、七年路程を通して、段階的に蕩減復帰摂理を導かれた。七年路程は、摂理の主役たちが責任を果たせば次の段階に発展していくが、そのようにできないときは、摂理が延長される。
したがって、第一次七年路程は、真の父母様と食口たちが緊張した日々を送りながら、摂理的責任を果たそうと努力した期間だった。特にこの期間は、後日、すべての食口が歩むべき典型路程と言えるほど、多くのことが推進され、摂理的な土台が据えられた。
真の父母様の聖婚を起点として始まった七年路程は、一九六〇年の七月、全食口一斉伝道活動により本格化した。
1 人間は、長成期完成級で堕落したので、完成段階が残っています。その完成段階の期間が七年です。蘇生、長成、完成の三段階の七年ずつをすべて足せば二十一年、満では二十年になります。韓国の年齢で二十一歳、満で言えば二十歳の時は、人間が成熟期に入る時です。成熟期に入れば、愛の神様が自動的に結婚させてくれるようになっているのです。
アダムとエバは、神様を中心として祝福を受け、人類の真の父母として公に約束されなければならなかったのですが、それができませんでした。許されていない圏内で堕落し、このような段階を残しておいたので、残ったこの七年の恨によって、六千年歴史に千年王国の千年を加えた七千年歴史の恨が残るようになったのです。一年が千年、七年が七千年に延長されてきたというのです。私たちは、これを七年で蕩減するのです。これが七年路程です。
2 堕落した子孫として生まれた人間であれば、誰もが七年路程を歩まなければ、絶対に天国に行けません。
聖書には出ていませんが、本来、イエス様も二十七歳から三十三歳までの七年間を中心として、第一次七年路程を出発したのです。そして、三十四歳から四十歳までが第二次七年路程であり、もしイエス様が二十歳から出発していれば、第三次七年路程になるのです。
そのようにして、イエス様は、四十歳までに世界的な基盤を築かなければならなかったのですが、民族が従うことができずに亡くなったため、それが聖書に七年の大患難として残っているのです。
3 皆さんが祝福を受ける位置は、完成した位置ではありません。父母が歩んでいった十字架の橋があるとすれば、その橋をそのまま歩いていかなければなりません。飛んでいくことはできないのです。
山の頂上に登るためには橋を通らなければならないというとき、その橋が危険であるとすれば、鉄筋で補完することはできますが、橋の上を通らなければならないというのはどうしようもありません。ですから、お父様が歩んだ七年路程は、永遠に残るのです。個人的七年路程と家庭的七年路程は、永遠に残るのです。
人間は長成期完成級で堕落したため、そのままでは完成段階に上がっていくことができません。堕落線以上に上がって、初めて原罪を脱ぐことができます。長成期完成級で原罪を脱ぐのではありません。皆さんが祝福を受けようと進み出たのは、完成期完成級ではなく、長成期完成級の位置です。
4 七年路程は、神様の息子、娘を決定する期間です。これは、イエス様の解怨成就をしてあげることによって決定します。ですから、私たちが国のために精誠を尽くし、教会のために精誠を尽くし、民族のために精誠を尽くして、イエス様の恨を総括的に蕩減しなければなりません。
父母様に従ってこの七年路程に参加できなかった人々は、誰彼を問わず、いつかはこのような七年路程を経なければなりません。これは公式です。七年路程は不可避なものです。今後、統一教会に入ってくる人は、七年路程を経なければなりません。七年路程は、誰もがみな、行かなければならないのです。
5 皆さんは、七年路程を絶対的に行かなければなりません。イエス様は、三年路程を行く途中で失敗しました。この三年路程を歩み、七年路程を越えたならば、四十代に越えていくのです。三年路程を歩むことによって、第一次七年路程が三十三歳までに終わらなければなりません。
ところが、イエス様はそれを越えることができませんてした。すなわち、第一次七年路程を越えられなかったというのです。第一次七年路程を出発し、三年路程に引っ掛かったのです。したがって、家庭復帰ができませんでした。
しかし、統一教会は、三年路程において家庭復帰をしました。今後は、世界的な復帰の役事(働き)をしなければなりません。
6 皆さんは、イエス様の恨と神様の恨を解怨してさしあげなければなりません。イエス様の恨が解怨されるまでは、神様の恨も解けません。ですから、まずイエス様の恨を解かなければならないのですが、そのためには、イエス様に三年の公生涯路程があったように、皆さんも三年間、公的な道を行かなければならないのです。三年間で百二十人を伝道できないでしょうか。精誠を尽くせばできるのです。
そのようにしたのち、聖殿を建て、祭壇を築き、祭物を供えて祭司長にならなければなりません。このように勝利したという条件を立てたのちに、初めて天の息子、娘として祝福を受けることができるのです。ノア家庭からヤコブ家庭の形態を復帰していくのです。そのようになるとき、初めて皆さんは、イスラエルの支派のような個別的な一つの氏族の先祖になれます。これが、私たちの行くべき道です。
7 統一教会は、一九六〇年から始まった第一次七年路程のうち、三年路程を通過してきました。三数は子女を探すための分別数であり、四数は万物を探して立てる数です。私たちは、このような一次的な計画において成功しました。この三年間に勝利して、世界に進出する基盤を築いたのです。
このような土台の上で、第二イスラエルを探し求めなければなりません。ですから、これから残りの四年は、民族復帰のために活動しなければならない期間です。力の限りを尽くして、国民と国土を復帰するために活動し、勝利しなければなりません。お父様が歩んできた四十年を、皆さんは四年間で歩むのです。
今後、統一教会という看板を外すことも、皆さんの手に掛かっています。統一教会ではなく、統一韓国をつくり、その基盤の上に、統一世界を成し遂げなければなりません。皆さんが責任を果たせなければ、他の民族を動員してでもするでしょう。
8 イスラエル民族には、四十年の荒野路程以前に三日路程がありました。この三日路程を経たあとに、ようやくカナン復帰路程を出発できたのです。そして、イスラエル民族は、カナンに入っても再び四十数を探して立てなければなりませんでした。復帰摂理がこのような路程を経てきたので、今に至るまでお父様も、四十年路程を経たあとに三年路程を歩まなければならず、四年路程を歩まなければなりません。
ですから、私たちは三年路程を歩み、また、四年路程を歩んでいるのです。このような過程を経て、初めて復帰歴史を終結し、天の主権を立てることができるのです。
真の父母が中心になって歩む三年路程を経て、万物を復帰する期間、すなわち四方性を備えるための四年路程を経なければなりません。これが七年路程です。この七年路程で、蕩減復帰を終結していかなければなりません。真の父母を探し出すまでの歴史路程を中心として見れば、三年路程、四年路程、四十年路程は短い路程ですが、これは歴史的なすべての悲しみを全体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な無念を総体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な十字架を全体的に蕩減復帰する期間です。
9 第一次七年路程の三年は、歴史的な蕩減期間を縮めた最小限の年数であり、個人の蕩減期間です。ですから、統一教会の食口は誰でも、この三年期間を経なければなりません。心情一体だと語ったので、皆さんは全員、父母様の心情を知らなければなりません。今晩、父母様は何をされるのだろうか、目を開けたまま夜を明かされるのではないかと考えながら、父母様の立場に立って父母様に似るようにし、父母様の心情を感じてみなさいということで許したのが、この三年という特赦期間です。
三年間、一年に四十日啓蒙伝道活動を二回ずつしても、全体的に見るとき、一年に満たない期間なのに、これさえしないとすれば、話になりません。本来、この期間は、断食しながら越えなければなりません。ぜひとも、この期間に皆さんが立つ位置を探し出し、信仰の目的を正しく探して立てることを願います。もし時を逃せば、そのような位置や目的も失ってしまい、父母様とも無関係になるのです。
10 お父様さえ信じていけば、皆さんは押し出されません。三年だけ克服してください。一九六〇年にお父様は、三年間、懲役生活をするつもりで、伝道の任地において僕暮らしをするようにと、皆さんを送り出しました。お父様も、青い囚人服を着て蕩減復帰し、勝利したという条件を立てました。お父様が追われてあちこちに逃れていたときがあったので、皆さんも今、追われる環境に置かれなければなりません。
そうして、縦的に蕩減すべきことを蕩減できずに残してきた歴史的な恨を、皆さんが横的な道を歩むことによって、蕩減復帰しなければならないのです。
11 第一次七年路程は、僕の僕の立場から、直系の子女の立場までの段階を復帰する道です。それゆえ、七年路程の間に、カインを愛するために僕の立場に立たなければなりません。ですから、私たちは、出ていって伝道しなければなりません。原理を中心として心情的に愛してみようというのです。
誰それの血統を中心とした息子、娘としてではなく、天情に通じ得る神様の心情的一致点を探し出して愛してみようというのです。また、生活的一致点と希望的一致点を探し出して愛してみようというのです。神様を中心とする、心情の一致、行動の一致、希望の一致をもって一度やってみようということです。
神様の願いとは、世界を取り戻すことであり、神様の行動とは、世界を救う復帰摂理歴史を主張して歩んでいくことです。また、神様の心情とは、愛せない人をも愛することができるようにすることです。
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