真の父母様は、各種の集会で自ら歌を歌われたり、食口たちを呼んで歌を歌わせたりしながら、雰囲気を盛り上げられた。「サランへ」、「オンマヤ、ヌナヤ」は、名節行事や和動会で御夫妻が一緒に歌われ、食口たちと合唱した歌である。真の父母様は、本郷を失ってしまった人類の救いを思われ、故郷を慕う歌詞が記された歌(「カゴバ」、「故郷無情」、「郷愁」)と、寒い冬に打ち勝って春に芽生える新芽のように、新しい生命と希望が躍動する春の歌(「春の乙女」、「四月の歌」など)も好んで歌われた。真のお父様は、麗水の清海ガーデンで海洋摂理を主管されながら、「舟歌」を日本の食口たちと熱唱され、日本の歌である「故郷」や「赤とんぼ」も食口たちと共に合唱された。孤独なみ旨の道を象徴する独島(竹島)に関する歌詞が記された「ホルロアリラン」と、変わることのない衷情を歌った「千年岩」も好まれた。聖和の直前には、お孫様を膝や机の上に座らせて、「翁草」を一緒に歌って楽しまれた。「大韓八景」や「祖国賛歌」などを歌い、神様の国が早く訪れることを念願された。
9 「ホルロアリラン」は、独島(竹島)に関する歌ですが、「トクト」は、「独」の字に「道」と考えることができます。台風に遭い、小さな顔(島)がどのように一晩を過ごしたかというのです。白頭山の澄んだ水と、雪嶽山の澄んだ水が東海(日本海)に(流れ)、東の方を訪ねていきます。日が昇る所を訪ねていくのです。その次に、船に乗っていくのですが、独島を訪ねていき、錨を下ろして、朝日を浴びるというのです。統一教会員たちは、この歌をみな知らなければなりません。
独島は、寂しい島ではありません。島は、エバを意味するのです。エバが道を修める「独道」です。女性たちが子女たちを抱き、この独島の歌を教えてあげなければなりません。これは、涙なくしては歌うことができません。内容が深いというのです。
10 「千年岩」の歌は、お父様にダンベリー生活を回想させる歌です。お父様は、監獄に行くからといって寂しいのではなく、離れているからといって寂しいのではありません。太陽の光は、夜も昼も、どこでも遮られることなく、明るい光の王権をいつでも維持できるというのです。ダンベリーを思いながら、この歌を歌わなければなりません。
二番は、夕方になり、夜が更けるようになることを意味します。夜更けになれは、私が息をして暮らしている所を明るくするのです。暗闇の世界に行っても、み旨の道を証しなければならず、監獄にも天国の光を照らさなければならないというのです。そのような意味で、お父様は「獄中の聖者」という言葉を残しました。
その次に、最後の部分は、世の中に羨むものはないということです。今やすべて知り、すべて体験し、すべて探し出しました。そして、「歳月が行き来する町角」では、角度を合わせなければ落ちるというのです。そのようなことを考えなければなりません。
自分勝手にしていては、脱落してしまうのです。自分が行くべき道をまっすぐ訪ねていって、天が願う理想天国を創建し、主人になりなさいということです。
11 「カゴバ」は、アリラン峠を越えて、故郷を愛し、国を愛する道を訪ねていこうという歌です。アリランの十二峠を越えていくのです。それが、統一教会が行く道と合います。復帰路程に一致するというのです。歌詞の内容が、故郷を慕いながら、本郷の地を求め、祖国光復のために行くべき復帰路程と同じなので、この歌を歌うのです。
その歌詞が問題ではなく、その歌の内容をどのように消化するかが問題です。夜には昼を慕いますが、黎明が過ぎれば、昼が訪れてきます。迫害を受けるのは、怨讐世界のあらゆるものを相続させるための神様の経綸です。ですから、迫害は悪いものではありません。
迫害を、自ら進んで探し求めていく人には、峠の向こうに平地があり、さらに大きな山を越えれば、さらに大きな平地が生じるのです。そこに湧き水が流れ、続いて小さな川ができて、さらに大きな川となって、国を東西に貫いて包容できる波として流れていくその周辺には、無限の平原、広野が生じるというのです。故郷を離れたのちに帰ってくる切実なその心情が、復帰の心情を求めていく統一教会の事情と一致するのです。
12 「広野の男」という歌があります。男であれば、すべてのことを放り投げて、荒涼とした広野を走るのもよいのです。
一度、そのように生きてみる必要があります。妻が伝道の一線に出ているときに、夫がずだ袋で食べ物を背負い、お金をもってその妻を訪ねていく気分は素晴らしいものです。道端の大きな木の下で、哀れな姿で出会い、過去の自分の過ちを悔いる心をもって、「お前、どれほど苦労しただろうか。座ろう。お前は寂しい立場で困難を克服しながら、私を背後から支えるために苦労してくれた」という場において、千年の愛の絆が結ばれるのです。
13 「輝く大韓」に出てくる「ディンドンデンドン」というのは、詩的で音楽的です。統一教会を「ディンドンデンドン教会」と言ってもよいのです。どこに行っても、高い所、低い所に拍子を合わせられる、良い内容の言葉です。
統一教会は、本当におもしろい教会です。年を取った人、若い人など、様々な人々が集まって話をすれば、通じることができ、理解することができます。塀が高くないので、和合することができるのです。友達になり、親しく縁を結べる良い所であることを、私は感じます。誰かに初めて会っても、距離が遠くなく、塀で塞がれていないことを感じられるのは、幸せな環境です。
皆さんが信仰生活をするとき、そのような面を備えて、一生の間、生きるその影響圏というのは、どのようなものでしょうか。どこに行っても影響を及ぼして生きることができ、記憶に残る指導者たちが多く生まれるでしょう。このような願いを抱いて、私もこのことを続けているのです。
14 「大韓地理歌」の内容が良いのですが、そこに愛国思想が入っています。統一教会を信じる世界の人々は、この歌詞の内容に従い、韓国に関する知識基盤を中心として、思想と伝統を受け継がなければなりません。その次に、白衣民族、倍達民族の弘益(ホンイク)理想をもって、神様のみ旨に従える民にならなければなりません。そのような思想的骨子がすべて入っているので、著者が誰か、私が調べてみたところ、牧師である私の従祖父がこの文を書いて、私の父に教えてくれたというのです。
15 統一は、私たちの精誠によって、私たちの力によって、私たちの努力によって成就しなければならないという思いをもって、「統一の歌」を力強く、一度歌ってみましょう。私たちが行くべき道は、韓国と北朝鮮を復帰することです。しかし、共産主義は世界的な体制を整えて、がむしゃらに根を張っています。ですから、共産主義を屈服させ、三千里半島から追放する時まで、私たちは茨の道を行かなければなりません。この国を早く復興させなければなりません。
私たちの家庭が内外に団結し、南北を統一して、自主的な国家を形成しなければならないのです。私たちは、世界的な怨讐サタンと対決しています。ですから、内的な復興をしなければなりません。外的な復興は、内的な復興の上で自然に存在するようになります。神様を愛し、真の父母を愛し、氏族を愛し、家庭を愛すれば、復興するのです。
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