『原理解説』の執筆作業は、『原理原本』を基礎として、劉孝元協会長により一九五五年五月から進められた。一九五七年に入ってから真のお父様の監修を受けた原稿が、毎月「成和」に掲載され、最終校正作業を経て、八月十五日、『原理解説』という名で発刊された。この日、真のお父様が直接署名された二百十二冊が、地方伝道地に発送された。一九六六年五月一日には、『原理解説』をより体系化し、講義しやすくした『原理講論』が発刊された。
1 解放後、七年目に私がすべき召命的責任を果たすため、教本、教材である『原理原本』を作りました。『原理解説』を発表したのが一九五七年であり、『原理講論』は一九六六年に出ました。一九五七年と一九六六年には九年の差がありますが、九年間に、お父様は原理のすべてを準備して進み出たのです。
2 『原理原本』を中心として『原理解説』を出版しました。何ももたずに教育することはできないので、本が必要だったのです。小学校さえ卒業すれば、誰でも本をもって教育できるので、伝道の一線に出ていきました。十五歳以前に伝道に出た人もいます。エバは十六歳の時に堕落しました。ですから、純真な心情が燃える時に伝道を始めたのです。そのような歴史は、統一教会しかありません。中学生の時から伝道に出たのです。
3 統一教会の責任者たちが伝道に出ていく時は、二人ずつ送り出しながら、旅費も持たせず、手ぶらで出発させたこともありました。そのまま行って、起草しておいた『原理原本』を中心として伝道をしたのです。その時は、『原理原本』を書き写しなさいと配ってあげたのですが、それを書き写した人たちがいます。
金元弼は、私の書いた『原理原本』を直接書き写して、自分で勉強し、「ああ、神様はこうだ」とおおよそ分かっていました。そのような立場で『原理解説』が出たので、本格的な教育を行いました。一週間あれば十分です。これは、読むことさえできれは教育できます。『原理解説』の骨子だけを選んで覚え、教育するのです。
4 お父様に会うこともなく、従った最初の人が劉孝元協会長でした。彼は『原理原本』を読んで、お父様に従っていこうと決心したのです。彼は手紙を書きました。劉協会長は、お父様よりも六歳年上でした。洗礼ヨハネはイエス様よりも六ヵ月年上でした。ですから、劉協会長は洗礼ヨハネの立場です。彼は、洗礼ヨハネの立場で原理を解説しなければなりませんでした。劉協会長が原理の本を書く時、彼に、「このように、またはあのように書きなさい」と指示したのです。
5 お父様は、釜山避難時代の一九五一年に、『原理原本』を書き始めました。詩のように書いたのです。それは、誰もが理解できるわけではありません。私が説明をしてあげて、初めて分かるようになっています。『原理原本』を誰にでも分かるように解説しておいたのが『原理解説』です。
6 『原理講論』を書くとき、すべて文章を鑑定し、間違っていれば直させました。ですから、『原理講論』は、お父様と霊的に連結されているのです。電球は、発電所と送電所、配電所を経た電気がソケットを通して連結されることによって、光を発するようになります。見境なく引っ張ってきても駄目です。
ですから、これから歴史が過ぎれば過ぎるほど、お父様のほかに、誰でも本が書けるというわけにはいかなくなるのです。私の語ったことが、いつでも問題になります。私がどのように語ったのかが問題になるのであって、他の人が語ったことは問題にならないというのです。他の人たちが語ったことは霊的に連結されません。
7 『原理解説』の次に出てきたのが『原理講論』です。『原理解説』を通して学んだ人が『原理講論』まで教えるので、その水準は大学以上です。国が歩み得るあらゆることが『原理講論』の中に入っています。『原理講論』に、政治問題、経済問題、社会問題、歴史問題に関する内容がすべて出てきます。『原理講論』に精通しさえすれば、世界のどんな国の大学教授にもなることができ、大学教授をも教育して余りある実力者になるというのです。
「統一原理」と『原理講論』『原理講論』は、真の父母様が明らかにされた「統一原理」を体系化し、講義しやすいように整理したものであり、創造と堕落、復帰など、神様の摂理史全般を解き明かした根本真理を収めている。真の父母様は、一九六〇年代の初めから、変化、発展する時代相に合うよう、「統一原理」の叙述方法と内容の伝達において、より平易で論理化された体系が必要であることを感じ、劉孝元協会長に執筆を指示された。劉協会長は、「統一原理」を宣布された真のお父様の代筆使命者として、『原理講論』の原稿の一つの行、一つの単語の中に、真の父母様の心情と真理を、より完全に込めるため、徹頭徹尾、渾身の力を注いだ。
8 「統一原理」としてこれまで発表した内容の中で、新たに(検討を)試みるものが部分的にあります。しかし、最初から最後まで、啓示の基本的な内容は少しも変更されません。例えば、「創造原理」、「堕落論」、「メシヤの降臨とその再臨の目的」などで見られる中心思想は、決して変わらないでしょう。「統一原理」は、それに対して協議をして変えたり、人々が好まないからといって変わったりするものではありません。そのようなことは決してあり得ないというのです。
9 「統一原理」は、一つの哲学でもなく、学説でもなく、言葉それ自体のように「神様の原理」です。これは神様の不変の真理です。一度その真理が明らかになれば、その原理どおりに生きなければならず、その原理のもとで行動しなければなりません。少なくとも、その原理の成就のための基台が造成されなければならないというのです。そうすれば、サタンが侵犯できません。
ある一人の人が真理と完全に一体になったときには、サタンが彼を神様から引き離して連れていくことができません。例えば、神様とアダム、エバが真理を中心として完全に一つになっていたとすれば、サタンが侵犯する余地はなかったでしょう。
真理は実体化されなければなりません。真理は、生きている人間の中で存続し、完成されなければならないのです。そのようにならなければ、真理はサタンに奪われ、誤って利用され得るのです。ですから、私は、あらゆる条件が造成され、真理がある線まで実体的に具現される時までは、新しい真理を公表しません。
10 「統一原理」は、私の生涯の記録でもあります。それは、私自身の生活経験です。この「統一原理」は私の中にあり、私は「統一原理」の中にいます。多くの人々は、私がただ真理の発表者であり、その伝達者にすぎないと言いますが、私は真理のとおりに生きており、それを具現しました。
したがって、人々が私と私の行動を理解する唯一の方法は、「統一原理」に通じることのみです。「統一原理」を知って研究することによってのみ、私を理解することができます。原理を研究すればするほど、私をさらによく理解できるというのです。
11 お父様が発表すべきことは非常に多くありますが、もう少ししてから発表しようと思います。『原理講論』がすべてではありません。皆さんは、お父様がどこでどんなみ言を語ったかを、まず知って行動しなければならないのですが、そのようにできずにいます。『原理講論』には、お父様について明らかにされていません。『原理講論』にはイエス様までのことが入っています。イエス様を中心として語ったのです。それなのに、『原理講論』だけを重要視すれば十分であるかのように思っています。
お父様がどのようなみ言を語ったのか、心で従い、苦しみを共にして同調しながら、そして、その生活に感激し、あすの歴史創造の旗手として責任を果たせる統一教会の信徒たちにならなければなりません。このような心情が欠如すれば、発展しないのです。
12 お父様は、数多くの学者たちが研究したものをすべて否定するわけではありません。調べてみて、事実ではないことだけを否定するのです。霊界に入り、隅々まで探してみて、(「統一原理」が)事実だということが分かったので、悪口を言われながら、その内容をもって世界と向き合ってきました。
ですから、統一教会のみ言は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。真理が、「そうだろう」という話がどこにあるでしょうか。物理や化学の公式では「そうだろう」という言葉はありませんが、真理も同じです。実証的で科学的、論理的な結果が出なければなりません。「統一原理」は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。
私たちが語る心情というものも、漠然としたものではなく、具体的です。私たちが語る人格も、漠然としたものではなく、具体的な人格です。み言も、漠然としたみ言ではなく、具体的なみ言です。この具体的な心情と人格とみ言は、普遍的な妥当性をもってこの現実世界に符合し、この現実世界において永遠の位置を決定して、現実世界のすべてのものを統合し得る内容でなければなりません。
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