真の父母様は、三子女の祝福式を執り行った翌日の一九六〇年四月十七日を「心情復活の日」、一九六一年四月十七日を「実体復活の日」として宣布された。真の父母様の聖婚式以降、心情復活、実体復活、万物復活の基台を築き、失ってしまった神様の心情圏を実体で復活させることによって、「父母の日」を通して子女と万物を探して立てたのである。
1 本来、「父母の日」は、「心情復活の日」と「実体復活の日」が宣布されたあとに現れなければなりません。復活の過程を探ってみると、心情復活、実体復活、万物復活となっていきます。太初に神様は、人間の堕落によって万物を失ってしまい、実体を失ってしまい、心情を失ってしまったので、逆に心情復活、実体復活、万物復活をしてこられるのです。それを通して、「父母の日」と「子女の日」、そして「万物の日」が探し出されるのです。
これを成し遂げるために、お父様自身が茨の道を歩みながら蕩減してきました。このように蕩減条件を立てたので、サタンの讒訴条件を免れて、祝福された「父母の日」を設定することができたのです。
2 人類始祖であるアダムとエバが堕落することによって、「父母の日」と「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を立てることができませんでした。それで、統一教会では、これらの日を定めたのです。このような事実は、歴史上、空前絶後の出来事です。
「神の日」や「子女の日」は、何の価値もない日ではありません。「子女の日」が現れるためには、堕落したすべてのものを復帰しなければなりませんでした。堕落することによって心情的問題に引っ掛かり、実体的問題に引っ掛かり、それから天使長に引っ掛かりました。堕落した順序を見れば、天使長が問題になり、それから体と心を通して心情まで問題になりました。すべて引っ掛かってしまったというのです。このように、すべて引っ掛かっています。
これを復帰するためには、神様と一致する心情をもって現れなければなりません。ですから、統一教会には「心情復活の日」があるのです。「心情復活の日」が宣布されなければなりません。心情復活が先です。堕落は、サタンと人間の体が一つになることによって、心情が被害を受けたのです。ですから、復帰路程では、反対にしなければなりません。「心情復活の日」を先に宣布し、それから「実体復活の日」を宣布しなければなりません。
3 一九六〇年に聖婚式をすることによって、父母の立場を縦的に決定しました。ですから、復帰の過程を経る皆さんは、そのような形の道を歩まなければなりません。それで、「父母の日」を設定して、横的な立場で「子女の日」を宣布するようになったのです。そうして、父母様を通して、み言復活、心情復活、実体復活が出てきました。このようになったので、初めて一人の男性を中心として祝福を成し遂げ、新しい歴史時代へと入っていけるようになったのです。そうして、皆さんに対しては父母になったので、皆さんを新時代の息子、娘として祝福してあげるのです。
ですから、皆さんは、蕩減路程において、父母様のように実体復活の過程を経なくてもよいというのです。父母様がそれをすべてつなげてきたので、父母様に付いていきさえすれば、皆さんはサタンの讒訴を受けずに進んでいけるのです。
4 アダムは、心情世界が不十分な立場で堕落しました。神様の心情を知らずに堕落したのです。心情を体恤してきた人は、この歴史時代においてイエス様しかいません。しかし、イエス様は心情復帰の基準を立てることができませんでした。アダム一人が神様の心情を蹂躙したのではなく、アダムとエバが共に蹂躙したので、彼らが心情的に一致するまでは、神様の心情解放の基準を立てることができないというのです。ですから、イエス様が再び来て、心情復活圏をつくりあげなければなりません。
キリスト教が二千年間ありとあらゆる犠牲を払ってきましたが、このような理念をもった原理と天理を通した心情的背景を備えて、「今から神様の心情を解いてください!」と言える基準は現れませんでした。ですから、このような夫婦が現れてこのようなことをしてこそ、神様の心情解放が起き、それにより、天の国の「心情の門」が開くとともに、人間の夫婦においては、真の心情の天国型が(ここから)始まるのです。
5 神様の心情的壁をつくったことに対して、一人の男性と一人の女性が蕩減条件を立てることにより、心情的基準と心の方向が一致した立場で、「あなたが背負った十字架を代わりに引き継ぎ、個人と家庭と氏族と民族と国家と世界を中心として実体的に闘って勝利いたします」と言うことができなければなりません。それにより、神様の心情世界から人間の心情世界へと移されなければなりません。それは、アダムとエバが堕落したので、人間の先祖の立場から解かなければならないのです。神様を解放し、神様の心情的十字架を解かなければならないというのです。
そのためには、心情的な受難の道を通して、愛の十字架を担おうという夫婦がいなければなりません。その十字架を背負って、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的峠を越えなければなりません。そうして、その峠を越えたと宣言する日がなければならないのです。「神様が子女を愛し、万物を愛するように、この二人が、そのようにいたします」と言わなければなりません。それで、一九六〇年四月十一日の父母様の聖婚式が過ぎて七日目となる四月十七日を期して、「心情復活の日」を宣布したのです。天と地上に心情復活を宣布した日です。人間世界に残された心情問題さえ世界的に解決すれば、地上天国と天上天国は必ず成し遂げられるのです。
6 地上に顕現する神様の愛を中心とした心情的復活圏を成就しなければ、完成の基準を立てることはできません。そのような復活を中心として、統一教会で「心情復活の日」を宣布しました。その心情復活を基盤にしなければ、実体復活を探し出す道がありません。
結局は、心情と神様の愛を中心として、心が神様と一つになり、その一つになった心と神様の愛を中心として、体が一つにならなければなりません。横的に体が心情圏を形成するためには、今までサタン圏内から侵犯されていた讒訴基準を超越しなければならないのです。越えなければなりません。ですから、実体復活圏を成就しなければ、神様の心情を横的に連結させることはできないのです。一九六〇年と一九六一年にそれぞれ「心情復活の日」と「実体復活の日」を宣布することによって、初めて完成したアダムならアダム、完成したエバならエバが、ここから現れることができるというのです。
心情復活と実体復活真の父母様は、「心情復活の日」について、六千年を通して初めて、神様と人間が公式的に心情の紐帯を結んだ日であることを強調された。そして、すべての人間は、再び誕生する実体復活の条件を立ててこそ、祝福を受け、神様のみ前に立ち得る恩賜圏内に入ることができると語られた。
7 私たちは、いずれにしても心情の門を通過しなければなりません。心情の門を通過したという条件を立てなければ、復活できません。イエス様も、心情の問題を解決できなかったので、天国に入れませんでした。ですから、一番目も心情であり、千番目、一万番目も心情です。この心情の門を開いてこそ、天国の門が開かれるのです。天国の門が開かれる日、その体と心と心情に傷を受けていない人が天国に入っていけるのです。
8 復活するには、私たちの心情が問題です。天の願いどおりに、現実において価値のある味を出す人にならなければなりません。今まで復活を完結したという人が天にも地にもいなかったのに、この哀れな民族が暮らす韓半島から復活が成し遂げられるということは、頭を下げて感謝しなければならないことです。この基準を達成した人がいるとすれば、その人は億万のお金とも交換できない人です。
その人は、すべてを失ってしまった人のようですが、すべてをもっている人です。心情の主導権を握って来られる父のみ前に、喜びと幸福と楽しみをお返しする息子であり、娘です。ですから、私たちは、その人の心情世界につながらなければなりません。神様は私たちの父であり、主は私たちの新郎です。
神様は、私たちに慕わしさと「神主義」と忠誠を教えてくださいました。今から私たちは、父子の心情、夫婦の心情、君臣の心情をもって、主義を統一させていかなければなりません。その父の名のもとでは、互いに赦せないことがなく、曲折が残ることがありません。新郎の名によっては、譲れないことがないのです。一人の君主の名のもとで忠誠を尽くすのですから、一つにならざるを得ません。これが心情復活の総結論です。
9 アダムとエバが堕落する時には、神様と心情的基準が一致していませんでした。ですから、それ以上に上がらなければなりません。神様の命令であれば何でもやらなければならない、地上のあらゆるものを断ち切ってやらなければならない、とひたすら思わなければなりません。このような自覚が生じなければならないのです。すなわち、心情復活の段階がなければならないというのです。ですから、父母様がこの道のために、心情復活式をしたのです。
10 皆さんが、実体復活できる存在になろうとすれば、歴史的な基準を蕩減し、現実の闘いで倒れずに勝利しなければなりません。そうしてこそ、実体復活ができるのです。そのようになる日が「実体復活の日」です。この地に、イエス様の使命を受け継ぎ、神様の心情を受け継いで来られる方がいらっしゃるとすれば、その方がこの世界の主人公です。実体復活は心情まで通じなければなりません。その日は、天地が回っていく日です。
「実体復活の日」が現れるためには、実体の父母がいなければならず、実体の子女を立てなければなりません。皆さんは、実体復活を通じて栄光の立場に進んでいかなければなりません。そのためには、血みどろの闘いをしなければならないのです。そうして、栄光の主権を立てなければなりません。この道は、死のうと生きようと行かなければならない道なのです。
11 統一教会に来ると不思議です。いっそのこと荷物をまとめてきて、教会にずっといたいと思うのです。家から荷物をまとめてくることが、どれほど希望に感じられるか分かりません。ですから、逃げるようにして来るということがなければならないのです。そのように感じ、そのようにしなければなりません。そのようになれば、それが実体復活です。体が天の領域に入ったという切符をもらうのです。実体復活圏だというのです。そのように心情復活と実体復活圏がつくられてこそ、神様の愛を通じた血統的絆の連結が出発するのです
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