アメリカの建国二百周年を記念するワシントン大会が、一九七六年九月十八日、三十万人が詰めかける中で、成功裏に開催された。
この大会は、アメリカの国と宗教・言論界などが総攻勢をかける中で開催され、注目を集めた。この日、真のお父様は、「神のみ旨とアメリカ」というテーマのもと、「神様は、この国に新しい啓示を伝えるために、そして、特に退廃していくアメリカの青年を救い、未来の指導者となる若者を導くために、私を送られた」と宣布された。ワシントン大会は、短期間で三十万人を動員し、アメリカの宗教集会史上、最多動員数を記録した。
12 ワシントン大会を行うその時は、六千年歴史の交差点が生じる瞬間であり、世界を懸けて天地の蕩減が生じる瞬間です。息詰まる緊迫した時間が私たちの目の前に待っているというのです。それで、ワシントンDCを攻めるのです。これを世の中の人々は理解できません。お父様は命を懸けて行うのです。私のためではありません。神様が勝利するためにするのです。人類が反対したことを完全に蕩減復帰し、収拾して越えていくために、全世界が反対し、神様が協助しなくても、私は行くのです。お父様は、「私だけが残った」と思いながら、息詰まる時間に向かって越えていくというのです。かわいそうな人です。孤独な人です。神様が協助することもできません。
皆さんは、お父様の手によって仕方なく引かれていくのです。皆さんが行かなければ、皆さんの国と皆さんの先祖が滅び、皆さんの息子、娘が滅びます。ですから、イエス様が十字架で亡くなる時、「わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい」(ルカ二三・二八)と言ったのです。皆さんは、お父様のためではなく、皆さんの国のために、皆さんの子孫のために行くというのです。私のために行くのではありません。私のために行く必要は一つもありません。
私は皆さんの世話にはなりません。私がやらなければ、皆さんの国を滅ぼし、皆さんの先祖と子孫を滅ぼすだけでなく世界を滅ぼし、神様を滅ぼすことを知っているのです。私が行かなければ、世界が滅び、神様が滅びるというのです。ですから、死んでも行かなければなりません。お父様が六十一歳になるまでに、世界的路程を蕩減する夢を実現できる最後の峠がワシントン大会です。これは、生きてゴルゴタを越える峠だというのです。
13 ワシントン大会を中心として、アメリカの国務省、法務省、すべてが反対しました。世界全体が反対し、お父様に対する追放運動が起こったのです。その期間に、私は世界に宣教師を送り、完全に相手になって取り組むことができ、全世界からの反対に立ち向かえるようにしました。全世界から総攻撃を受ける中で、ワシントン大会を中心としてつばせり合いをしたのです。
ここから個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減条件を中心として、完全に清算して越えていきました。統一教会が現れて以来、全世界、サタンが統一教会を押し出そうとした最後の戦争でした。
14 ワシントン大会は、お父様や統一教会のためにするのではありません。統一教会にとっては損害が大きいのです。人的資源において犠牲になり、経済的に犠牲になり、すべての面において犠牲になっています。お父様は死を覚悟して行っています。ヤンキー・スタジアム大会の時には、十二の団体が私の殺害を企てたという知らせを聞きました。ワシントン大会にはもっと来るでしょう。反対派たちも、ワシントン大会が最後の峠なので、私自身が総力を注ぐことを知っているのです。彼らも今、持てる力を尽くしてクラブをつくり、謀議をしています。「暴動を起こすなど、どのようなことをしてでも、これを失敗させなければならない」と言いながら、共産勢力まで謀議に加わっているのです。国務省など上部機関を通して、お父様が会場に来られないようにしようと、ありとあらることをしています。
15 一九七六年を中心として、統一教会は世界的に迫害を受けました。その中でも、三十七ヵ所に宣教師を送りました。最大の迫害期間に、ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会を行いました。ワシントンDCの三十万人大会もそうです。ヤンキー・スタジアム大会が終わったあと、私たちはワシントン大会の許可を受けました。アメリカ政府は許可せざるを得なかったのです。四十日で歴史的な大会を行うというのです。ですから、アメリカ政府は非常に慌てふためきました。アメリカ政府としても、手がつけられなかったのです。後退せざるを得ませんでした。神様は、世界的に宗教の自由がある民主主義制度をつくりました。再臨時代のみ旨を保護するための方便としてつくった主義が、民主主義です。
16 ワシントン大会のために、私は原稿を四回も書きました。何度も祈り、精誠を尽くしても整理できませんでした。神様はなぜ、そのような作戦をされるのかというのです。その日はだんだんと迫ってくるのに、語る内容が決まらなかったので、私の心は言い表せない境地に入りました。
それで私は、一週間前までこの状態が続くだろうと思いました。天は、私のことを知らずに、そのようにするのではありません。私が語るその時間には、天が必ず働いてくださると考えました。そのようになればなるほど、必ずその言葉には不思議と引き寄せる力が生じ、不思議と愛の心情が溶け出し、不思議と人々が巻き込まれてくるだろうと考えたのです。それで、ワシントン大会をするその時間に、人々が霊的な雰囲気に巻き込まれ、我知らず歓声を上げたのではないかと私は思います。
17 一九七六年九月十八日、ワシントン大会の時、私は死刑宣告を受けた人が刑場に出ていくよりもっと深刻な心境でその場に出ました。その前は、朝を夕方と勘違いしたことが何度もあり、夕方を朝と思ったことが何度もありました。それは、私と神様だけが知っているのです。
それを、お父様にとって歴史上最高の精誠を尽くす一つの転換点と定め、万民のための祭祀の日として神様のみ前に設定していきました。神様はこのような時間を迎えようと待っていたため、その時間に出ていく私自身は、「祭司長の責任を負い、世界に代わり、数多くの宗教に代わり、神様の心情を地上に引き下ろさなければこの世界が滅びる」と考えたのです。その日、あそこまで大勢の人々が集まり、整然と事故なく大会を執り行えたのは、お父様がしたことではなく、神様がしてくださったことだというのです。
18 アメリカで、お父様が個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減条件を立てて上がっていったという話は、皆さんには分からないでしょう。言葉では何となく分かるのですが、よくは分からないというのです。ですから、世界的な蕩減条件を皆さんに強調するのです。ワシントン大会には、そのような意義があります。
私の一代で最も深刻だった時が、ワシントン大会だと思います。その時の心境は、天地と全人類を前にして、刑場に出ていく人の心情でした。絞首台に上がる気分だったというのです。それほど霊界も深刻であり、地上も深刻でした。
19 一九七六年に行ったニューヨークのヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会は、世界的事件です。ですから、アメリカの人々がお父様を、良かれ悪かれ、すべて知るようになっています。私の責任は果たしました。それゆえ、西洋で生きて霊界に行った霊人たちや、アフリカで生きて霊界に行った霊人たちが、私を讒訴することはできません。そして、地上で生きている人類も、私を讒訴することはできないのです。ですから、一九七六年は、お父様と統一教会の年だと結論づけることができます。「ニューズ・ウィーク」では、お父様を一九七六年に「今年の人物」として記事を出しました。その人々は、私のことが好きで記事を出したのではなく、それが事実なので出したのです。
お父様は、霊界にいるすべての霊人たちと、地上の人類に対して責任を果たしました。アメリカの国民に対して責任を果たし、悪い人ではなく良い人であると言えるよう、ワシントン大会を通してすべて成し遂げておいたのです。反対していた人も称賛せざるを得ず、「お父様は傑出した人だ」と言わざるを得ないように、結論を下しておきました。
20 ワシントン大会を中心として、私がアメリカに来てこれまでしてきた闘いが一段落したことを宣布します。私が一九七一年十二月十八日、ワシントンDCに着陸しながら考えたことは、「昔、イエス様はローマで闘うことができなかったが、私は民主世界を代表するアメリカの地で闘い、勝利に導くことができるか」ということでした。その時の思いが、今も鮮やかによみがえってきます。
これまで、アメリカの言論機関と全国民が統一教会と私に反対しましたが、その反対を突破し、今日、私たちがこのような大会まで執り行ったという事実は、神様が生きていらっしゃるという証拠を如実に見せてくれたものだと思います。
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