12 忠臣とは、どのような人でしょうか。国のために誰よりも多くの犠牲を払った人が、より輝く忠臣になるのです。孝子とは、どのような人でしょうか。生涯を捧げて、その生命が尽きるほど父母のために生きる人が孝子です。生命を捧げた人と捧げていない人のうちで、どちらがより孝子かというと、生命を捧げていない人は、孝子になる資格がありません。そして、国のために生命を捧げた人が忠臣です。生命を捧げていない人は、忠臣として扱いません。私たちは生命を捧げる覚悟をして歩むのです。
お父様は、正義のために、命を既になげうっていたのです。小心者ではありません。私は、日本統治下で学校に通いながら闘った人です。私が監獄に入れられ、口を割ってしまえば、七十人の同志たちの首が飛ぶようになっていました。しかし、答えませんでした。約束をしたら、その約束を履行する人なのです。あらゆる手段、方法を動員して加えられる拷問を受けながら、たとえ死ぬとしても、口を開きませんでした。
13 日本統治時代、私はありとあらゆる拷問を受けても、白状しませんでした。京畿道警察部の主任がいくら拷問しても、白状しなかったのです。「話さない」と言えば、それでおしまいです。三百六十五日、いくらでもやってみなさいというのです。何度気絶して意識が戻ったとしても、「なんだ。ちょっと眠らせてくれ」と冗談を言うのです。「もっと寝ていたいのに、どうして起こすんだ、こいつら」と言うのです。そうしているうちに、拷問とも友達になりました。
誰が来ても、「おいおい、そうやったら痛くない。こうやって、こうやりなさい」と言いました。明らかに解決できそうにないので、一言言ってあげるのです。そうして、「お前たちが無理に印を押させたことを、公判廷に出たら私が話す」と言いました。男なら、自分が決意したとおりにしなければなりません。このような男です。そのような人なので、今まで迫害を受けてきても滅びませんでした。
14 お父様は、決して寂しいとは思いません。寂しく思ってはいけないのです。日本統治下の時から監獄に入って、たくさんの拷問を受けました。頭が切れて体が血だらけになるほど、ありとあらゆる拷問を受けたのです。そのたびに神様は、耐え抜ける秘法を教えてくださいました。
ある時は十二時間取り調べを受け、拷問を受けて這って進むこともできないほどになり、何度も気絶しては意識が戻る、そのような過程を繰り返しても、私は口を開きませんでした。サタンが世界を占領して天の秘密を探り出そうとしましたが、私は何も言いませんでした。
すべてが私の一言にかかっているので、死んだとしても絶対に口を開くことはできませんでした。角材で身の毛がよだつ拷問を受けても、話さなかったのです。
義理を果たすことができなければなりません。一度約束をしたら、自分が滅びたとしても守らなければなりません。このように拷問を受けたあと、一晩過ぎれば、その日は悲しい日であると同時に、忘れられない日として残るのです。
15 お父様は、むちで打たれ、血を吐き、皮膚が腫れ上がるような場でも、「この血は、歴史を裏切った先祖の血です。私にはまだ行く道が残っていますので、背負う十字架があるならば、もっと負わせてください」と祈りました。これは、どれほど男らしい祈りでしょうか。今までそのような路程を歩んできました。
「耐え忍んで進みますが、いつの日か報いる日がやって来るでしょう。ですから、父よ、耐えてください。韓民族を審判しようとされるならば、最後の審判をされる前に、私に通告して審判してください。また、世界を審判しようとされるならば、最後に私に通告して審判してください」と言ったのです。
自分の不運を嘆いたり、自分の身の上について愚痴をこぼしたりするような人に比べれば、どれほど立派な男でしょうか。歴史時代に一度現れ、霊界に行っても、世界的にあがめられる人になってみなさいというのです。どれほど素晴らしいことでしょうか。
そのようにできる時は一度しかありません。この時を逃せば、もうないのです。その機会をつかまなければなりません。
16 運動がどれほど素晴らしいことか分かりません。疲れてつらいときは、用を足しに行って、きっかり五分間だけ運動すればすっきりします。そのようなことを学んだので、獄中でも死にませんでした。拷問を受ける場に行ったとしても死ぬことはないのです。
拷問を受けるときには、必ず血を流していかなければなりません。水を飲ませて、おなかでもどこでも、ぎゅっぎゅっと踏みつけるのです。ですから、それに耐えるためには、まず浣腸をして、小便の代わりに後ろから抜くように、抜け道をつくらなければなりません。そのためには、血を流していかなければならないというのです。
神様はどれほど知恵の王か分かりません。非常に疲れると鼻血が出るでしょう。鼻血が出なければ脳出血になるのです。鼻血が出るのは、その防止策です。疲れたときには血圧が高くなることを知っているので、噴出するのです。
それと同じように、拷問を受けるときには、抜け道をつくるために必ず血を流さなければなりません。ですから、唇をかむか、舌をかむかして血を流し、穴を開けておかなければなりません。そのようなことを私が教えて、多くの人を助けてあげました。私のような人の生涯路程は、楽な道ではなく、簡単な道ではありません。今まで数多くの死の道がうねって続いてきましたが、その峠をすべて越えました。
17 お父様は、日本統治時代の末期に刑事たちから無数の拷問を受けました。国を愛することを知らない人は、神様を愛することもできないのです。ですから、日本で独立のための地下運動をしました。そのような闘争をして故郷に行くと、誰それが帰ってきた、ということを日本の警察は不思議なくらいによく知っていて、付いて来るのです。
警察に捕まって取り調べを受けるときには、血を吐きながら、何度も死の境をさまよいました。しかし、共に活動した同志たちに対する責任と義理のために命を懸け、「私一人で闘った」と言いました。殺すと脅かされても口を割りませんでした。「言わない」と言ったら言わないのです。(日本の統治から)解放された時、すぐに京畿道の警察部に勤務していた人たちを整理することもできました。しかし、滅んで涙を流しながら行こうとする彼らだったので、そのまま送り出してあげました。
18 植えなければ刈り取ることはできません。怨讐を生かすために、夜に逃がしてあげた歴史が残っているので、日本の若者たちは、お父様に対してその恩を返さなければなりません。日本の国が返さなければなりません。ですから、二十代に監獄生活をしたことに対して、神様に有り難く思うのです。
日本の監獄に入ったので、韓民族の悲惨さが分かりました。すべて教育です。日本がどれほど悪いかを、監獄に入って知ったのです。いくら愛国者の話や本を通して知ったとしても、実感が湧きませんでした。それを信じることができなかったのです。本は勝手に考えて書くことができます。
しかし、監獄に入り、拷問を受けて血を流す過程で、その同志たちと共にいながら、初めて韓国の悲惨な状況が分かるようになりました。このような民族を誰かが解放しなければならないという義務感をもつようになったのも、監獄に入ってからでした。監獄が、お父様にとっては偉大な先生になったのです。復帰摂理路程で、誰一人として触れることができない礎石を据えられた一時でした。
19 お父様は、我が民族が日本統治下で、日本人たちにどれほど虐殺されたかをよく知っています。ですから、日本人たちのことを考えただけでも(怒りと悔しさで)身震いがします。しかし、アジアで日本を無視することはできません。アジアで三国路線を広げるためには、敗れはしましたが、日本は必ず必要な国だというのです。民族性から見ても、間違いなくドイツ民族以上の団結力が生まれるでしょう。
復讐してはいけません。復讐で始めればまた復讐で終わり、そうして、結局は滅びるのです。それゆえ、統一教会は新しい世界をつくるために、「統一理念」を中心として、まずこの国と民族を救わなければならないという新しい糾合運動をしたのです。
20 世の中がいくら反対しても、私は滅びません。私を監獄に閉じ込めても、私の心と私の理念は、閉じ込められません。私を打ちなさいというのです。打てば、今まで私が神様のみ前に歩んできた道と、神様が築いてこられた道とが連結されるのです。
ですから、「打つなら打て!私がお前を憎むか憎まないか」と言いながら、怨讐を愛する心がどれだけ強いかを鑑定しなさいというのです。むちで打たれ、血を吐きながらも、「ああ!よく打たれた。歴史的な怨恨の人類に代わって打たれた。私は打たれて忘れ、記憶にとどめておくことはしない」と言い、「神様!彼らをお赦しください」と言いました。その立場を通過しなければなりません。そのためには、自らを犠牲にする立場に自分を立てなければならないのです。そうすれば簡単です。
日本統治下で、私は十二時間近く拷問を受けて血を吐いたこともあり、十五分間で人を狂わせる、生涯忘れられない拷問も受けました。それでも、奇跡的に生きて出てきたのです。
しかし、私は、彼らに対して怨讐のように接することはしませんでした。彼らに福を祈ってあげてから行く責任が私に残っているので、彼らの何を見て福を祈ってあげるかを、その監房で悩み、研究したのです。
それでも、人には良心があるので、私を拷問した人が、朝、人々がすべて出ていったあとで、誰にも分からないように謝罪するのです。それを見ると、人間は誰もが同じです。彼らも、良心はだますことができないというのです。
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