21 朝食を食べてから昼の十二時まで、どれほどおなかがすいたか分かりません。舌がすれて高熱が出た時のような臭いがします。そのような環境で、私もおなかがすくのですが、同じ囚人たちを慰労するために、一場の長編小説を話し続けるのです。そうすると、一ヵ月もたたないうちに、彼らが差し入れてもらったものを私のところに持ってきて、「先生の好きなように処理してください」と言ったのです。それは驚くべきことです。
原理は簡単です。ために生きる愛をもって完全投入すれば、そのようになるのです。天理の根本がそのようになっているので、その根本を私が抱き締めていくところには、それを破壊する人がいません。私がそのように行動すれば、出力は強くなります。悲壮な決意と涙が交差する誓いをして、代わりに死の道を行くという旗印を掲げて進み出る群れが現れました。ですから、これは間違いなく真理の道です。
22 私が監獄にいる時、忘れられない出来事がありました。私の誕生日でした。監獄は殺風景な所です。そこに平壌の人がいたのですが、その人が私の誕生日であることを知って、朝、自分が食べ残しておいた一杯のはったい粉をくれたことが、生涯忘れられません。いつか、何千倍にして返してあげなければならないと思います。
私は世話になるのが本当に嫌いな人です。世話になったら、必ず返さなければならないというのです。私は世話をするために来たのであって、世話になるために来たとは考えません。私が「やる」と言って進み出た道では、絶対に最下位にはなりません。
23 私が興南の監獄にいる時、私に従った人たちがいました。その人たちは、食べる物があれば、私に持ってきてくれました。はったい粉を紙に包み、汗の臭いがする股のところに入れて、分け合って食べようとして持ってくるのです。検査をするので、見つかったら大変なことになります。それが、どんなに豪華な晩餐よりも印象的なのです。
生きてきてみれば、それが一生の間、記憶に残ります。すべての認識器官がそこに浸らなければならず、そこで体恤された感覚をもって霊界に行かなければなりません。それが祝福です。自分のために生きるのではありません。自分よりも全体のために生きるのです。
24 私は、北朝鮮の興南の監獄にいる時、共産党の要員たちや囚人など、ありとあらゆる人たちを愛するために先頭に立って闘った人です。ですから、その監獄の共産党要員たちが、私を保護するために気遣ってくれるのが分かりました。自分たちが犠牲になったとしても、お父様の秘密を保護しようとしました。共産世界の極悪性が集約された組織が監獄ですが、そのような監獄の世界でも、私を保護する道があることを発見したのです。そのたった一つの道は、犠牲になって愛する道です。これを私は発見してきました。
その監獄で共産党の幹部だった人は、家からはったい粉が送られてくると、それを練って餅を作り、股の間に隠して、仕事をする所まで一里以上の道を歩いてくるのです。うっかりすると落ちて出てきてしまうので、隠していることが見つかる可能性があります。見つかれば大変なことになるのです。お父様と一緒に分け合って食べようとして、そのようにしたというのです。そのように自分の命まで懸ける危険なことがいくらでもあります。そうしながら、昼食時まで汗を流して働くのです。落ちて見つかると大変なことになるので、股間の奧深いところに隠します。そうすると、汗がしみて臭いがします。新聞紙のような物で包んだからといって、はったい粉に汗がしみ込まないでしょうか。汗がしみたからといって、それを捨てるわけにはいきません。
それを分けてくれるその時は、億万の宇宙を買って余りあるほどの愛の爆発が起こるのです。活火山が噴火するのです。そこでも、天の同志が蘇生するのをはっきりと見ました。ただその愛の道だけが、この世界を消化できることを知ったのです。
獄中の弟子を立てて蕩減復帰を勝利真のお父様は、獄中の苦難を踏み越えて勝利された。監獄では、自らみ言を伝えて伝道することは不可能だったが、愛を実践することによって夢や啓示など霊界の協助を導き出し、十二人以上の獄中の弟子を立てられた。真のお父様は、イエス様が十字架にかかられるとき、イエス様に背いた十二弟子を復帰する蕩減条件を立てることによって、再臨主としての新しい出発のための基台を造成されたのである。
25 監獄には、私が「脱獄しよう」と言えば、命を懸けて付いてくる人たちがいました。死地においてイエス様の十二弟子が逃げたことを復帰しなければなりません。自動的に復帰しなければならないというのです。私が口を開かなくても、霊界が動員されて伝道してくれました。
お父様の囚人番号は五九六(韓国語の発音では、オ・グ・リユク)番でした。ある意味では、「悔しい(オグル)」という言葉に聞こえる番号です。ある人には、夢に先祖が現れ、差し入れのはったい粉を、少しも手を付けずにお父様のところに持っていくようにと命令をしたこともありました。それで、その人がはったい粉の袋を持ってとぼとぼと歩いてきて、「ここに五九六番はいますか。誰ですか」と言うのです。このように霊界が動員されて、食べる物を持ってきてくれたりしました。
その後、私が何も言わずに、平壌を経由して韓国に避難する際、四人の人が付いてきました。四位基台の復帰です。教会を中心とした四人を連れてきたのです。このように歴史は、復帰の原則を外れることはできません。
26 お父様は監獄で、極悪な死刑囚たちにも天の哀れみがあることを願いました。イエス様は、十字架で亡くなるとき、右の強盗に「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・四三)と言いました。お父様は、涙が重なり合う事情をもった人々に、新しい望みと希望を与えるために闘ってきました。監獄に入っても、そのようなことをしたのです。
その人たちを慰労してあげ、私が監獄を出る時に、親が自分の元を去るよりもさらに切ない気持ちで涙を流す場を、彼らに残してあげなければなりませんでした。そのようにしなければ復帰の使命に責任をもてないことを悟り、そのような気持ちで生きてきました。ですから、監獄を出る時、私にしがみついて痛哭する人たちをたくさん見ました。そのようにしたので、私が興南の監獄を出て韓国に来るときに、四人の人が、自分の親や妻子を捨てて私に従ってくるということが起きたのです。
27 お父様の監房から離れた他の部屋に、私に従う人が十二人以上いました。そのように離れて過ごしていても、工場への出発命令が下れば、十五分間ですべて行列をつくるのです。その時は、出てきてトイレにも行ったり来たりするのですが、ほかの人たちと一緒に大勢で行くとトイレが満員になります。それで、監房別に座るのですが、看守が見張っているので、お父様がいる所に行こうとしても行けません。境界線を越えられないのです。
その人たちにとっては、お父様に会うことが一日の中で最も光栄なことであり、生命の道でした。ですから、看守が立っているその下を腹ばいになり、這いつくばるようにして通過しながら、会いにくるということが起きました。見つかった場合には、逃走を企てたとして銃床の端でたたかれ、独房生活を一週間から三週間しなければなりません。三回見つかれば刑罰が重くなります。問題が複雑になるというのです。そのような中でも彼らは、お父様に会って挨拶をしていくことを一日の栄光と思い、そのように行動しました。また、自分たちに食べる物があれば、自分も空腹なのに、私のところに持ってきて分け合って食べるのを光栄なことと思ったのです。そのような心情的絆が、皆さんの知り得ない歴史的背後の伝統として残っているという事実を知らなければなりません。
28 お父様が共産治下の興南の監獄に行って、残忍な圧制と虐待を受けるようになったのは、実体的な復帰の天命を帯びていたからです。サタンの銃剣の前でも、この獄門を開けて出ていくことができる天の人を、天は探し出せるようにしてくれました。直接語らなくても、霊界の霊人たちが伝道して、お父様に従わせました。私は口を閉じていましたが、自分の先祖たちが直接現れて伝道したのです。そうして、お父様は、イエス様を捨てて逃げていった十二弟子以上の弟子を監獄で探し出したのです。
監獄から工場に出発する時間になると、共産党の物々しい監視の中でも、彼らはお父様に会おうとしました。すべての人々が仕事に行くために外に出て、ざわざわとしているのですが、そこで看守たちが銃を持って見張っているにもかかわらず、床を這って私を訪ねてきたのです。天が選んで会わせてくれた人たちは、そのように這ってきてでも、まず挨拶をしようとしました。神様はそのように役事(働き)されます。そこで蕩減基準、四位基台復帰の基準を立てたのです。
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