一九五四年の協会創立とともに、摂理の主流は、キリスト教の一世圏から二世圏に移された。大学において、学生たちを中心に「統一原理」が伝播し始めた。その中で、梨花(イーファ)女子大学と延世(ヨンセ)大学は、キリスト教系の学校として、二世の典型的な代表格であった。しかし、政権と結託したキリスト教の反対と迫害により、一九五五年の三月から七月の間に、いわゆる「梨大(イーデ)・延大(ヨンデ)事件」が発生し、社会問題に飛び火したのである。
1 キリスト教は新婦の宗教です。キリスト教は、再び来られる新郎の前に、新婦一人を準備するために、ローマ(帝国時代)から数多くの迫害を受けてきました。このような歴史を経て、初めてキリスト教文化圏時代に新郎が来て、統一天下を築こうとしたのです。それが、第二次世界大戦の時です。第二次世界大戦以降に、キリスト教を中心として世界が統一されなければなりませんでした。世界が一つにならなければならなかったのです。争ってはいけません。
第二次世界大戦で、連合国であるイギリス、アメリカ、フランスが、枢軸国である日本、ドイツ、イタリアと戦って勝利しました。そのような勝利的基盤の上に、エバ国家とカイン国家とアベル国家が、来られる再臨主を迎えなければなりません。その時に再臨主を迎えていれば、この世界は統一天下をつくり上げていたはずです。お父様に会わなければならなかったということです。そうしていたならば、お父様が全権をもって、この世界を収拾していたはずです。中国、ソ連、日本、アメリカをはじめとして数多くの国々を、すべて収拾していたのです。
しかし、お父様を迎えることができなかったので、梨花女子大・延世大事件が起きました。延世大と梨花女子大、これは(キリスト教における)二世の男性と女性の最高の代表でした。そこでみ旨が成就していたならば、この国のすべての組織の中心になっていたでしょう。
2 韓国での延世大と梨花女子大の事件は、二世を中心として連結されていきます。キリスト教の一世と二世は、縦的には父子関係です。縦的に見れば父子関係になり、横的に見れば相対的関係になります。梨花女子大と延世大は、それ自体を相対的に見ると横的関係です。横的関係がアダムとエバのような立場になれば、縦的関係に当たる父母である一世と子女である二世が自然に一つになるというのです。原理原則において、一世と二世が完全に一つになれば、カインは屈服するようになっています。
二世が天の側に立っているからです。サタン側ではありません。神様の保護圏に入っているので、二世のアベル圏が一つになれば、一世たちは自然と一つになるようになっています。イスラエル民族において、一世は荒野で死にましたが、今は天の側の保護圏にあるので、一世は二世と共にカナンの地に入ることができます。そのような道理です。そのような環境を中心として、韓国で連結させようとしましたが、梨花女子大・延世大事件が起きたのです。
3 お父様は、日本統治下で地下に潜っていった神霊的な指導者と一つになり、解放後、それまで神社参拝をしたキリスト教の指導者と国まで収拾すべき責任がありました。しかし、彼らのもっている信仰観が異なっていたので、決裂してしまいました。その時、地下に潜って活動していたあらゆる指導者たちが、より一層反対しました。国と一つになって、当時、日本の帝国主義に協助していた人々も反対する立場に立つことにより、問題が起きました。一世に対する摂理は、一世である当時のキリスト教指導者たちを一つにすることでしたが、彼らが神様のみ旨に完全に反対する立場に立ったので、再び、二世たちを中心とした糾合運動が起きたのです。梨花女子大と延世大の事件は、それゆえに起きました。
4 お父様が生きているうちにすべきこととは、一世たちが反対するので、二世を中心として糾合することです。ですから、梨花女子大と延世大を中心として摂理が始まりました。その時、梨花女子大は、朴マリヤ(副総長であり、李起鵬-イギブン-副大統領の夫人)を中心として李承晩大統領の夫人とつながっていました。彼らが、宣教師の基盤を中心として、政府と完全に一つになっていたのです。これはアダムとエバと同じです。
一世たちが誤ったことを、二世を糾合して完全に一つにしなければなりません。その二世の中には、神霊的な人の息子、娘もいて、神社参拝をした人の息子、娘もいて、それから、宗教を信じない人の息子、娘たちもいて、すべて入っていました。すべてがまとまっていたのです。この二世たちと完全に一つになったとすれば、そこから一世たちが誤ったことを復帰して、国と教会を収拾し、世界の舞台へと進んでいったはずなのです。
5 韓国に主が来るようになれば、その当時のキリスト教では駄目で、さらに跳躍でき、飛躍できる新しい次元の道を歩まなければなりません。国家の独立が問題ではありません。世界を生かし得る思想的な何かがあれば、完全に一つになるのですが、それがありませんでした。解放直後の三年半の間に、お父様がそのことを果たそうとしましたが、すべてから反対され、私は一人、追い込まれました。そうして、アメリカ軍政時代が始まったのです。
その後も、梨花女子大事件が起きずに、支持されてさえいれば、宗教は自由なので、梨大の総長と李承晩政権を中心として、カインとアベルの位置の頂点に上ることができました。
梨花女子大・延世大事件によって、それが成就されなかったのです。そこにお父様を立てていれば、李承晩大統領とアメリカを中心としたカインとアベルの上に立ち、天下にまたとない飛躍をしていたはずです。お父様が四十歳の時には、天下統一が成就されていたでしょう。
6 キリスト教を基盤として出発しなければならないのが統一教会の運命ですが、キリスト教を失ったので、キリスト教と対等な教団を再びつくらなければなりません。それで、キリスト教の二世たち、キリスト教から追い出された二世たちを集めて基盤を築き、苦労させながら歴史的なすべてのものを蕩減していかなければならないのです。
すなわち個人的な垣根を崩し、家庭的な垣根を崩し、氏族的な垣根を崩し、民族的な垣根を崩しながら、キリスト教が世界史的な基準を中心として責任を果たせなかったことによって怨讐になったので、これに代わる霊的、肉的な基盤を築くために、統一教会は犠牲的代価を払わなければなりませんでした。
7 アダムとエバを中心として見ると、延世大と梨花女子大は堕落していない若い青年男女のような立場なので、父子関係で一つになれば、家庭的な四位基台圏を造成した形と同じです。その中には個人もあり、家庭もあり、氏族もあって、民族編成ができるというのです。そうして李承晩政権と完全に一つになれば、キリスト教を中心として国が一つになるので、国家的基準で父母が立てる位置が決定されるのです。そのようになっていれば、韓国を中心として、真の父母の理想は堅固な基盤をもって出発していたでしょう。
この国とキリスト教の背後に、宣教師とアメリカがいました。国を代表するアメリカ軍政の責任者である駐韓米軍司令官がいて、教会を中心としては宣教師たちがいましたが、この宣教師たちが反対することによって、すべてが行き違ってしまいました。イエス様の時代にユダヤ教が反対したことと、全く同じようになりました。これによって、お父様は、とんでもない異端者として追い込まれ、追放されたのです。荒野に追い出されたのです。四千年の間、天が準備したすべてを失ってしまいました。
これを再び収拾して上がっていかなければなりません。そうするためには、お父様が、キリスト教とアメリカが果たせなかった責任、大韓民国とキリスト教が果たせなかった連帯的な責任を負わなければなりません。大韓民国のキリスト教と政府は国家的基準です。世界的な時代を迎えてからは、世界的基準でキリスト教と国を収拾しなければなりません。
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